あなたにドレスは似合わない

くる ひなた

あなたにドレスは似合わない

「あのドレスは似合わない……いえ、ドレスそのものが似合わないのかしら」


 彼女を目にしたロメリアは、そんな感想を抱いた。


 古くから優れた武官を輩出してきたミットー公爵家の屋敷の庭では、この日、お茶会が催されていた。

 招待されたのは、ミットー公爵家と血縁関係にある貴族の家の、十歳から十五歳までの少女ばかりだ。

 発案者である前ミットー公爵夫人は、成人として扱われる十六歳を迎えるまでに、一族の娘達に社交術を身に付ける機会を提供しようと考えたらしい。

 お節介焼きの祖母により、十歳になったばかりのロメリアは、半ば無理やりこのお茶会の主催に祭り上げられていた。

 招待状も、不承不承ながら彼女が書いたのだ。

 だから……


「ねえ、あのピンクのドレスを着ているのって、誰なのかしら」

「知らないわ、あんな陰気くさい雰囲気の子。誰も同じテーブルに着きたがらないのもわかるわ」

「黒髪にあの色のドレス……全然似合わないわね。鏡を見てこなかったのかしら」


 などと、他の令嬢達が笑い物にしている少女が誰なのか、ロメリアはちゃんと知っていた。


「メル……ヒバート男爵家のメル、でしたかしら。確か、わたくしと同い年ですわ」


 男爵は、貴族の中で最下位の爵位である。

 そのため、今ここに集められた少女達の序列においても、メル・ヒバートは最も下に位置付けられていた。

 そんな格下が、この場で最も高い地位にいる──そして、輝かんばかりに美しいロメリアの気を引いたのが面白くないのだろう。

 取り巻きを気取って、ロメリアの両脇に陣取っていた侯爵家の娘達が、殊更意地悪そうな顔をしてメルを見た。


「ヒバート男爵といえば、昇級試験に四度も落ちて、今もまだ平民の文官の下で働いているそうですわ」

「そんな風だから、奥様にも逃げられてしまうんだわ。あのメルって子も、気の毒ですわねぇ」


 自分を挟んでクスクスと笑い合う彼女達を、ロメリアは冷ややかに眺めていた。


(万物は流転する──今こうしてメルを格下と嘲っている彼女達も、もちろんわたくしでさえ、いつ立場が変わるとも知れませんのに……)


 あちこちのテーブルで少女達が談笑する中、メルは庭の隅に置かれたテーブルの前で一人ポツンと所在なげにしていた。

 カップの中身は減っていないようなのに、もう湯気を立てなくなって久しい。

 俯いてしまっている上、長い黒髪がカーテンのように両脇に垂れ下がっているため表情は窺えなかった。

 ロメリアは人知れずため息を吐きつつ、視線を逸らす。

 主催者としては声をかけるべきなのかもしれないが……


(あの子自身、他の令嬢達との交流を望んでいるようには見えませんもの)


 ミットー公爵家からの招待を無視できず、しぶしぶ顔を出したに違いない。

 ならば、このままそっとしておいてやるのが、彼女のためだろう。

 ロメリアとて、今回だけは祖母の顔を立てたが、こんな面倒なことは二度とごめんだと思っていた。

 ロメリアはカップに口を付けつつ、もう一度メルに視線を向ける。

 彼女を嘲るつもりはないが……


「あのドレスは似合わない……いえ、ドレスそのものが似合わないのかしら」


 それっきり、メルに対するロメリアの興味は失せた。

 そう、思われたのだが……

 



「わああっ、馬が暴走をーっ! お嬢様がたー、お逃げくださあーいっ!」




 突如そんな叫び声が響いたかと思ったら、真っ黒い大きな馬がお茶会に乱入してくる。

 当然のことながら、その場は騒然となった。

 ひどく興奮した馬は、進行方向にあったテーブルや椅子をことごとく蹴散らし、傍若無人の限りを尽くす。

 紅茶もお菓子も芝生の上に散乱し、令嬢達は悲鳴を上げて逃げ惑った。


「ひいっ……こっちへ来るわ!」

「きゃああっ、助けてぇっ!」


 強固な蹄で障害物を踏み潰し、ロメリア達がいる真ん中のテーブル目がけて馬が突進してくる。

 ロメリアの両脇を固めていた侯爵令嬢達は我先にと逃げ出した。

 しかし、馬と目が合ったロメリアはその場を動かない。

 足が竦ん……だわけではなく、目を逸らしたら負けだと思って動かなかったのだ。

 彼女は、超の付く負けず嫌いだった。

 ついでに言うと、目力も凄まじかったものだから、馬の足の方が怯む。

 その瞬間だった。

 誰かが、ひらりと馬の背に飛び乗ったのだ。


「まあ、あの子は……」


 ピンク色のスカートが翻り、長い黒髪がふわりと広がり宙を舞う。

 ロメリアは、その光景に目を奪われてしまった。


「どう、どう、大丈夫……大丈夫よ。いい子だね、落ち着いて……」


 馬に跨り、その首を優しく撫でつつ静かな声で囁くのは、メルだった。

 馬はしばらくはその場で足踏みをしていたが、やがて大人しくなる。

 馬上のメルは、すっと背筋が伸びていた。

 今の今まで、会場の隅で居心地悪そうにしていたのと同一人物とは思えないほど、彼女は堂々としていたのだ。

 誰しもが呆気に取られ、言葉もなく彼女を見つめている。


「ふふっ……」


 ロメリアは、自分の心がかつてないほど浮き立つのを感じた。

 この場で最も格下だと思われていた少女が今、馬の上という最も高い場所にいる。

 その事実に気づいた時、ロメリアは思わず駆け出していた。

 さきほど彼女の目力に競り負けた馬が、ビクッとして涙目になる。

 メルはというと、ロメリアがやってくるのに気づいて急いで馬から降りた。

 うだつが上がらない男爵家の娘にとって、王家に次ぐとまで言われる公爵家の令嬢は、それこそ雲の上の存在だ。見下ろすなど恐れ多い。

 ところが結局のところ、馬から降りたとて、メルがロメリアを見下ろすのは変わらなかった。

 同じ十歳でも、メルの方が頭一つ分ほど背が高かったからだ。

 慌てて腰を折ろうとするメルの手を、彼女のもとに辿り着いたロメリアがぎゅっと握り締める。


「驚きましたわ。メルは、馬の扱いがお上手ですのね。馬にはよく乗りますの?」

「い、いえ……馬術は、少し、かじっただけでございます……ロメリア様」


 メルの声が上擦った。

 雲の上の人が、弾んだ声で自分の名を呼んだからだ。

 ロメリアは気にせず続ける。


「そう。乗り慣れているわけではないのに、よくぞとっさに動けましたわね。ドレスで馬に跨るのに、抵抗はありませんでしたの?」

「さっきは、あの……無我夢中で……誰かを傷つけて、馬が罰せられると、悲しいので……」


 しどろもどろに答えるメルを、ロメリアは至近距離からまじまじと眺めた。

 どこかに引っかけでもしたのか、ピンク色のドレスは裾が少し裂けている。

 それを見て、ロメリアは改めて思った。

 やはり、彼女にこのドレスは似合わない。


「いいえ、メルにはそもそもドレスが似合わないのですわ」

「……っ、は、はい……おっしゃるとおりで……」

「あなたには、もっと似合うものがあります。わたくしはそれを存じておりますわ」

「え……?」


 ロメリアは言いたいことだけ言うと、メルの手を引いて駆け出した。

 お茶会も、招待客も、ついでに言うと馬も置いてけぼりだが、もはやどうでもいいことだ。

 ロメリアに模範的な淑女であることを望む祖母のことさえ、心底どうでもよくなった。


「ロ、ロメリア様っ……あの、どちらへ……」

「悪いようにはいたしませんわ。黙ってついてきなさい」


 ロメリアは、戸惑うメルの手を引いて屋敷に入り、階段を三階まで一気に駆け上がる。

 そうして、目の前にあった扉を叩いた。


「お邪魔しますわよ」

「わーっ!?」


 ノックとともに扉を開くと、部屋の主が悲鳴を上げた。

 ここは、ミットー公爵の長男──ロメリアの兄の私室である。

 十五歳になる兄は、普段は軍の寄宿舎で生活しているのだが、この日は週末だったため屋敷に戻っていたのだ。

 今しがたお茶会をめちゃくちゃにした、あの馬に乗って。

 窓辺に置かれた机に向かって書き物をしていたらしい兄は、ロメリアを振り返ってまなじりを釣り上げた。


「ロメリア! 返事を待たずに開けたら、ノックをする意味がないだろっ!」

「まあ、お兄様。ノックの前に足音が聞こえておりましたでしょう? 武官を志す者ならば、いついかなる時も奇襲に備えるべきですわ」

「うぐぐ……まったく口の立つ十歳児め……」

「お兄様はいくつになっても語彙力が乏しくていらっしゃるわね」


 公爵家兄妹の舌戦──しかも、明らかに妹が優勢な様子に、扉の前で立ち尽くしたメルが目を白黒させている。

 彼女を残してズカズカと兄の部屋に踏み込んだロメリアは、笑みさえ浮かべて言い放った。


「どうぞ、おかまいなく。お兄様のクローゼットに用があるだけで、お兄様自身は用無しですわ」

「お兄様のクローゼットに用がある場合は、まずお兄様を通しなさいっ! だいたい、人に見せられないものが入っていたらどうする気だっ!」

「わたくしに見せられないものが入っておりますの?」

「入ってませんけどー!」


 扉が開きっぱなしのため、そんな兄妹のやりとりは丸見えなのだが、廊下を行き交う使用人達が驚く様子はない。

 なにしろ、兄が妹に言い負かされるのは、ミットー公爵家ではいつものことなのだ。


「メル、そんなところにいないで入っていらっしゃい。遠慮はいりませんわ」

「お前は、ちょっとは遠慮しなさい!」

「うるさい兄ですこと。邪魔ですから出て行ってくださる?」

「ここは、その兄の部屋なんですけどっ!?」


 ついには涙目になった兄に、メルは同情を覚える。

 そんな中、そういえば、とロメリアが続けた。


「お兄様の馬が乱入して、お茶会がめちゃくちゃになりましたの。お祖母様はかんかんでしょうから、処分される前に助けに行った方がよろしいのではありませんこと?」

「そっ、それを先に言えーっ!!」


 悲鳴を上げて飛び出していく兄を見送った後、ロメリアは心置きなく彼のクローゼットを物色した。

 有無を言わさず引っ張り込まれたメルは、おろおろするばかりである。


「ロ、ロメリア様、あの、よろしいのですか……?」

「兄のものはわたくしのものであり、異論を認めるつもりもありません。好き勝手扱うのに露ほども罪悪感を感じませんから、安心なさい」

「は、はあ……」

「さて、どれがいいかしら……黒髪が映えるのは、やはり白かしらね?」


 ロメリアの兄は成長がゆっくりめで、この時、メルとは身長も体格もさほど変わらなかった。

 そのため、彼の服はメルにぴったりだったのだが……これにショックを受けた彼が、この後を体を鍛えに鍛えまくって、筋肉ムキムキになるのは、また別の話。


「ほら、やっぱり。ドレスよりこちらの方がしっくりきますわ」


 ロメリアは兄のクローゼットを散々かき回した末、真っ白い上下をメルに着せた。

 最初の印象の通り、白一色の衣装に真っ直ぐな黒髪がよく映える。

 兄よりもよほどそれが似合うメルを満足そうに眺めていたロメリアだが、脱ぎ捨てられたピンクのドレスが目に入ると眉を顰めた。


「このドレス……メルがご自分で選びましたの?」

「い、いいえ……」

「そうでしょうね。あなたが気に入っているようには見えませんでしたもの。いったい誰が、メルにこれを着せましたの?」

「これは、その……祖母が、見立てもので……」


 さきほど侯爵令嬢達が噂していた通り、ヒバート男爵自身は文官としてまったく大成できていない。

 にもかかわらず、見栄っ張りなその母が散財しまくった末、ヒバート男爵家はいまや火の車らしい。

 そんな中、メルに宛ててロメリアからお茶会の招待状が届く。

 これに参加しないという選択肢はなかったものの、これまた侯爵令嬢達が言っていた通り、ヒバート男爵は妻と離縁していた。

 そのため、メルの支度を整えるのは祖母の役目だったが……


「祖母は、私にお金も時間もかける気がありませんでしたので……物置に放り込んでいた母の私物から、このドレスを引っ張り出してきたんです」

「まあ……」


 あまりの仕打ちに、さしものロメリアも絶句する。

 これに慌てたメルは、取り繕うみたいに、聞かれていないことまでしゃべった。


「あのっ、私はドレスにこだわりはございませんので、不満はないのです! 普段は今みたいに男の格好をしている方が多くて……本当は、乗馬と剣術を少し……」

「あら、やっぱり馬には乗り慣れていらっしゃったのね。それに、剣術も?」


 するとここで、愛馬を何とか助けたらしい兄が、疲れ切った顔をして戻ってきた。

 そんな兄に、ロメリアは我がことのように誇らしいげに言う。

 

「お兄様、メルは剣が使えますのよ。ぜひ、稽古をつけてあげてくださいまし」

「は? いやー、さすがに女の子に剣を振り回させるのは……」

「髪が長すぎて邪魔ですわね。切ってしまおうかしら」

「ちょっとはお兄様の話を聞こうか! って、ハサミを持ち出すな! 髪なら私が結んでやるから、勝手によそのお嬢さんの髪切ろうとするのやめてぇええ!」


 ロメリアの手から鋏を取り上げた兄が、メルに断ったのち、その黒髪を結い上げる。

 普段から妹の無茶振りによって鍛えられているため、彼は大体なんでもそつなくこなした。

 しかも、剣術には殊更秀でており、妹と同い年の王子に稽古をつけるほどの腕前である。

 そんな彼の手により、メルの顔が露になった。

 中性的な美しい顔だ。

 それなのに、どうにも心許ない様子で俯いてしまおうとする。

 ロメリアは、その顎を掴んで強引に顔を上げさせた。

 よそのお嬢さんを顎クイする妹に、兄は後ろであわあわしている。


「どうして、下を向いてしまうのです?」

「あの……私の顔を見ると、気分が悪くなると言われるので……」

「まあ、随分なこと。いったい誰がそんなことをおっしゃるの?」

「祖母と……父が。出て行った母にそっくりだから、と」


 ヒバート男爵の母親は、跡継ぎの男児が生まれないことで、メルの母親をひどく詰ったという。

 メルの母親がそれに耐えきれずに生家へと戻ると、今度は父親が、メルが女に生まれたせいで妻に逃げられたと責めた。


「いや、めちゃくちゃだな」


 温厚なロメリアの兄も、これには眉を顰めた。

 ところが、彼とは対照的に、ロメリアはにっこりと微笑む。


「まあ、でしたら、お母様はとてもお美しい方ですのね。だって、メルはこんなに美しいんですもの」

「えっ……」


 メルの頬がぱっと色づいた。

 彼女はもじもじしながら、いいえ、と呟く。


「ロメリア様の方が、ずっと、ずっと、お美しいです……」

「まあ」


 兄は、この時点で存在を消した。

 ここは自分の部屋だとか、そんなことは言っていられない。

 男の自分が間に挟まってはいけない展開だ、と賢明な彼は察したのだ。

 そんな兄の目から見ても、圧倒的な美貌を生まれ持ったロメリアが、可愛らしく小首を傾げて問う。


「メルは、わたくしの顔がお好きかしら?」

「はっ、はい……」


 即答するメルにいっそう笑みを深めたロメリアは、では、と続けた。


「これからは、俯きたくなったら、わたくしの顔を見ればいいのです。そうして、このわたくしに美しいと言わしめた己を誇りなさい」


 これを機に、メルはミットー公爵家で生活をするようになる。

 ロメリアの従者となるべく、その父や兄に師事して剣の腕を磨き、成人を迎える頃には国王陛下からも一目置かれる存在となった。

 メルがドレスを着たのは、この日が最後。

 ロメリアは、彼女に似合わない格好を──いや、望まない格好をさせることは、二度となかった。

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あなたにドレスは似合わない くる ひなた @gozo6ppu

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