そしてどうか、これからも良い冒険を


 かつて――ルネは魔王を討伐した。

 

 神託を受け、仲間を集め、世界中を旅して、何度も死線を潜りぬけ、出会いと別れを繰り返しながら、旅の終点へと辿り着いた。


『*************?』

 最後のキャンプでテッドが言った

『 *************』

 と、ゲルニアが呆れた。

『 *************』

 さらにガーネットが乗って、結局は順番に話を始める。

 全ての音がノイズ混じりで、彼等の顔も酷くぼやけている。


『*********?』


 そうしてルネの番が回って来る。

 トリに回されたのは、彼こそがこの旅の主役であり――勇者おくびょうものであったから。


『*********』


 ルネは迷う。成すべきことは昔から分かっていたが、したいことの話は中々難しい。

 それでも少しの間を置いて語り始めたのは――故郷の母の下へ帰ってしばらくゆっくりしたいこと。読む機会がないまま積んでいた冒険小説を読みふけりたいこと。世話になった人々と酒を交わしたいこと。日がな一日釣りやピクニックに出かけたいこと。何をするでもなくグータラとしてみたいこと。


 そんな長閑な生活を一通り堪能出来たら、


『*******************************』


『*******************************』


 何かを口にしたルネに、ヴィルがゲンナリとする。


『*******************************』


 先生も同じく呆れた様子で、


『 ************* ***************** 』


 ラスターは苦笑交じりだった。

 

『*****************************』


 仲間達はルネの語りを、適宜茶々を挟みながらも、曇りなき笑顔で聞いていた。

 そんな反応を見ていると、ルネはつんと鼻の奥が痛くなる。この親愛なる仲間達と笑い合える機会も最後なのだと思うと、全てを吐き出したくなってしまう。


 それでも『命よりも大切な仲間達だからだ』と、彼は唇を噛んで堪えた。

 話せばきっと、仲間はこれからの結末を良しとしない。自分のことのように怒って、泣いて、ルネを引き留めようとするだろう。


『*************』


『 ******* ************** 』


 だからルネは嘘をついた――――言ってしまえば自分の心が折れるから。

 かつて臆病であった自分を、勇者と呼ばれるまで支えてくれた仲間達に――――砂をかけるような行為であると知りながら。 

 そんな彼等の未来がどうか、明るく光に満ちたものでありますようにと、強く心で願いながら――――その先で彼等がどうなるのかは見ないフリをした。



 そして明くる日……死闘の末に魔王討伐は果たされる。

 ルネの犠牲うらぎりによって成立する、永遠の封印じこまんぞくを持ってして。




 ――そんな短い夢。

 仮眠を挟んだ後の、深夜のことだった。


 院の誰もが寝静まる中、ルネは一人寝室を抜け出していた。

 抜き足差し足。自らの呼吸音さえも押し殺し、廊下を進み、階段を降り、慎重にドアノブを捻る。


 保管している場所は知っていた。

 談話室の金庫の中であり、四桁のダイヤルで鍵が閉まるという造りだ。そういった機械仕掛けは――当時としては珍しく、用途は違ったものの――400年前からも存在しており、手順を知れば誰にでも開けられるという脆弱性がある。


 暗闇の中、絨毯を踏み、カリカリと数字を回す。

 昨日後ろから見ていた番号に変わりはなく、あっさりと鉄の扉は開いてしまう。

 それが自身に対する信頼の裏返しだと思うと…………ルネは酷く心苦しい気分になるが、衝動を抑えることも出来ない。


「……ソフィ」


 そうして彼女のペンダントを手に取って、彼は囁いた。

 年月によって酷く汚れてはいるが、原型はあの日のままだ。400年もの時を経て、よくぞそのままでいてくれたと思う。


「みんな、分かってないんだ……」


 そうしてルネは楕円形のプレートの突起を押し、もう片方の手で本体を時計回りに回す。

 三週ほどさせると、次に背面から棒が伸びる。それを指で押すとようやく隠れていた継ぎ目が浮かび上がる。ぐっと押さえた手に力を入れて、半時計周りに回すと、パカっと金具が外れる音が聞こえた。


 これは単なる首飾りじゃない。

 中に収納出来るスペースのある、ロケットペンダントであることをルネは昔から知っていた。


「…………」


 ルネは貝のように開いた中身に息を飲む。

 そこに待っていたのは――



『私達を置いて、いつか目覚める貴方へ』



 と、そんなメッセージ。

 四つ折りの紙に書かれた表紙だ。


 ルネは予め覚悟をしていた。

 もしもソフィが遺言を残すとすれば、きっとここなんだろうと。

 

 そして宛名の予想は半分半分。

 今を生きる人々に対してのものか、或いは過去に残した誰かに対してか。

 その答えは……残念ながら後者であったのだが。


「ソフィ……」


 息が苦しい。鼻がつんとする。ぶるぶると指先が震える。

 ルネは怖いのだ。彼女の遺言を見ることが。


 だって――そう。

 僕を恨んでいない筈がない。

 僕の所為でみんなが不幸になった。自分勝手な自己犠牲によって、みんながそれを引き摺って、どうしようもない最期を迎えてしまった。


 ソフィだってそうだ。彼女の性格を考えると、僕をずっと待っていたはずだ。

 でも僕は帰ってこない。何時まで経っても帰ってこない。やがては年老いて、皺くちゃになって、今際の際になっても頼りを寄こさない。

 

 きっと後悔しただろう。酷く恨んだことだろう。

 だと言うのに僕だけが生きながらえている。今もこうしてのうのうと生きている。

 それに対する罵倒はどんなものか? きっと……想像も出来ない程の恨みつらみが待っているに違いない。


「駄目……! 駄目だっ……!」


 が、それでもルネは手紙を戻そうとする手を堪える。これは罰なのだと自分に言い聞かす。

 誰にも相談せずに、自分が死ねばどうにかなるだなんて、過酷なようでいて目を逸らしているだけの、そんな選択を選んでしまった罰として。


「…………受け止めるよ。どんな言葉だって」


 ルネは暴れ出しそうな恐怖を必死に抑えつつ、震えた指で紙を開いた。

 四つ折りの羊皮紙。その先に綴られていたものは――



『おかえりなさい』


『そしてどうか、これからも良い冒険を!』



 それだけだった。

 恨みつらみも罵詈雑言もない。

 

 ただただ簡潔に――祝福だけが残されていた。



「なん……だよ……」


 カツンと、指から零れ落ちたペンダントが音を立てる。


「なんっ……だよ……!」


 その上にポタポタと雨のように落ちる。


「なんなんっ……だよぉぉ……!!」


 ルネはわっとその場に蹲る。

 恨んでほしかった。罵倒してほしかった。お前なんかに付いて行った所為でって、今ここにいる自分を否定してほしかった。


「僕は君達を裏切った!! みんなで一緒に帰ろうって約束したのに!! 僕だけは最初っからそのつもりじゃなかった!!」


「あれだけ助けられたのに!! 家族のように思って、家族のように思ってくれたのに!! そんな君達を、僕は、僕は裏切ったんだぞ!?」

 

「だってのに――どうしてそうなるんだ!? 僕にもっと言いたいことがあるだろ!? 馬鹿野郎って!! ふざけんなって!! 責任取れって……さぁ!?」


 ルネはさめざめと泣きながら天に訴える。

 そうしてくれたならルネは償いを名目として、成すべきことを考えるだけでよかったのに。


「僕に――僕に生きろって言うのか!?」


「これからもずっと、この世界で生き永らえて、好きなところに行けって言うのか!?」


「なぁ……なあ!! 答えてくれよヴィル! 先生! ラスター! ソフィ!?」


 しかしどれだけ訴えようと――今やその答えはない。

 望む答えは400年前に眠っている。


「うっ……ううううううううう!!」


 ぶつけようのない悲しみの果てに、彼は崩れ落ちる。


「ごめんっ……! ごめん……よぉ!!」


「何も言わなくって……何も言えなくって……!!」


「僕が、弱虫だったから……! ちゃんと、考えられなかったから……!!」


 400年に渡る後悔の波が押し寄せるかのように、喉から謝罪の言葉が溢れかえった。

 ソフィ、ヴィル、ラスター、先生、サラ、ミラ、トーマス、ガーネット、リネア、テッド、イージス、ゲルニア……と、次々に仲間達の顔が脳裏に浮かんでは、そして消えていく。

 

 そんな彼等に、今となっては謝罪も後悔も届くことはないが、


『うん、ちゃんと考えられたね。ルネらしいから百点をあげる』


 そんな記憶の果てに、いつか言われた言葉が蘇った。


『だったらルネはそうするべきだよ。もうみんなの為とか、私の為とかじゃなくてさ』


 あの日、彼女はルネの手を取って笑っていた。


『それがルネのしたいことなら――私は全力で応援するから』


 まるで満開の花が咲き誇っているかのように。

 ルネを、ルネの未来を、心から祝福していた。





――――――――――――――――――――――――

【あとがき】

次回よりエピローグ。

あと三話くらいで終わりです。

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