オーバードライブ3


「――この子から離れろ」


 ぐったりとしたステラを背に置いて、ルネは言った。

 横目でチラリと見下ろして、呼吸はしていることにホッとしつつだ。


 本当に間一髪でギリギリだった。あと何秒か遅かったら間に合わなかったかもしれない。

 やっぱりステラは凄いと思う。肩に怪我をしていたのに、あれだけの軍勢を相手にして、アスタロト以外は全滅させているのだ。


 だからこそ何よりも、ただただ申し訳なかった。

 助けに来るのが遅れてしまった所為で……こんなにも殴られ、ボロボロになってしまって……。


「もうステラは傷つけさせない。ここからは僕が相手になってやる」


 そんな風にした張本人を、アスタロトをギロリと睨みつけるルネであったが、


「へぇ……貴方が?」


 アスタロトは小馬鹿にしたように笑った。


「貴方、誰だか知らないけど勇者の腰巾着よね?」


「…………」


「この子よりも遥かに劣る貴方一人が私に盾突いて、それでどうにかなるのかしら?」


 事実そうだろうとルネは思う。単純なスペックでは天と地の差だ。

 こうして相対して、あらためてハッキリと思い知らされる。そもそもの積んでいるエンジンが違うのだと、魔力の差が怖気となってビリビリと伝わって来る。


「一人ではないぞ」


 が、それは無策であればという話だ。

 それに今は単騎ではない。二対一というアドバンテージがルネにはあった。


「我もここにいる」


「へぇ…………そう、貴方が。せっかく面倒を見てあげたのに、飼い主の手を噛むのね? ガッツ?」


「誰がガッツだ。我はガトーである」


 続いて現れたガトーはここぞとばかりに、ふんぞり返って言う。


「それに飼い主の手を噛むだと? ふんっ、最初から貴様の軍門に下った覚えはない。我が真に忠誠を誓うことがあるとするなら、それは時代にも揺るがぬ絶対的な強者である。スチームエンパイアだか何だか知らんが、吹けば消し飛ぶようなチンケ小悪党に仕えるつもりは毛頭ない」


「へえ……言うじゃない? あれだけ尻尾を振ってたから、せめて生かすくらいはしてあげたのに」


「…………」


「ね、そうでしょワンちゃん? 最初に会った時みたいに這いつくばってみなさいよ? そうすれば命だけは助けてあげるって、考えてあげてもいいわよ?」


「………………………」


 挑発と沈黙。

 そこにルネはほんのちょっとだけ心配になった。

 

 なにせ現代のインフレに苛まれていたのは彼も同じだ。

 これだけの暴を突き付けられて、ガトーの心が折れてしまわないだろうかと。


「おいルネよ」


「んだよガトー」


 しかしルネに向き直り、彼女に聞こえるようにヒソヒソと語り掛けるガトーに――杞憂でしかないと悟った。


「400歳下のガキンチョがなんか抜かしておるぞ? 痛々しいSキャラを気取って、恥ずかしげもなくワンちゃんなどと宣っておるが?」


「言ってやるなって。そういう年頃なんだろ。悪ぶるたい感じっつーか、お前にもあっただろ?」


「あるかそんなもん。ニンゲンと我を一緒くたにするな。何が悲しくて我が小悪党のフリをせねばならん」


「そうかよ。じゃあ僕も間違っても真似することはやめとくよ。雑魚が雑魚ということもわきまえずに、Sっぽいキャラを気取るのは」


 だからルネもそう返した。

 インフレなんざ知るか。所詮相手は400歳年下のヒヨッコでしかないと、強く心に言い聞かせつつ。


「へぇ……」


 と、そんなルネの強がりも知らず、アスタロトにはしっかり効いていたのだろう。

 声こそ荒げてはいないが、あからさまな挑発に引っかかっている。プライドが高いというか、格下の相手に嘲られることが許せないのかもしれない。


「そう。死にたいんだ?」


「おいルネ? 聞いたか? 今度は死にたいのかって言ったぞこの女」


「聞いてるよガトー。だから言ってやるなって。そういう強い言葉を使えば強いように思える年頃なんだから」


「つまりは、なんだ?」


「寛大な心を持って見逃してやれってこと。生暖かい目で見てやろう」


「ほう? 生暖かい目とはどういうものだ?」


「こんな感じだ」


 ルネはにへらと笑う。


「なるほど。こんな感じか」


 続いてガトーもにへらと笑う。

 あの魔王が見せるには相当に気持ちが悪い。


「そう……そんなにも死にたいなら……」


 が、アスタロトには効果覿面だったようだ。

 取り繕っていた余裕をなくし、ぶつぶつと呟き始めたかと思いきや――


「今すぐに、ぶち殺してあげるわああああああああ!!」


 だんと地を蹴って、ぶんと手を振り下ろした。

 ステップは弾丸のようで、爪も砥がれた刃物のように鋭い。

 そんな速度と鋭利さが相まって、直撃すればチーズのように裂かれることだろう。


「よし来た!!」


「行くぞ!!」


 が、それこそルネ達が待ちわびていたものだった。

 相手が挑発に負けて、隙だらけの行動をしてくれる瞬間が。


「「おらあああっ!!」」


「ぐ、あっ?!」


 そうして一つのパラドックスが誕生した。

 二人の拳がアスタロトの頬に突き刺さっているという矛盾だ。


 先に斬りかかった筈なのに――後から先に殴られたのだ。

 何を言っているのか分からないが、殴られた彼女自身にも分かっていない。

 訳が分からない。道理に合っていない。因果がおかしくなっている。


「え……? え……?」


 アスタロトは腫れた頬を呆然と擦る。


「あわせろルネぇ!!」


「指図すんなぁ!!」


 そうこうしている内にも、ルネとガトーは次の一撃を繰り出す。

 アスタロトは防ごうと手を上げようとして、上がりきらなかった。


「あがっ!!」


 顎が跳ね上がり、血しぶきが噴き出す。

 それとほぼ同時に眉間を蹴られ、ぐわんと視界が揺れる。

 

 何が起こっている? どうして間に合わなかった?

 ダラダラと切った口から血を流すアスタロトは、またしても考え込んでしまったようで、


「「はあああああああああああああ!!」」


「――――」


 二人による追い打ちを、ノーガードで受ける羽目になってしまった。


 九尾につま先が刺さり、下がった顎に膝が叩きこまれ、仰け反った顔に掌が押し付けられる。

 かと言って倒れることも許されない。何時の間にか背後に回り込んでいたルネが背中を蹴り、その反動で前へと向かった先にガトーの拳が腹へと突き刺さる。

 

 胃の中が逆流しそうで、くの字へと曲がる身体。 

 それでも追撃は止まらない。

 後頭部にカカトを叩きつけられ、下がった顎をまたしても蹴り上げられ、喉を突かれてはよろめき、延髄を蹴られては前のめりになって、スネを蹴られ、肩を押され、裏拳で側頭部を叩かれ、逆側も掌底で押し返される。


 ――速い! 速い!! 速すぎる!?


 やがて気付いたのか、アスタロトの表情がそう訴える。

 蒸気魔法を極めた彼女でさえも追いつけないのだ。

 音でさえ愚鈍と嘲る、光のような彼等の速度を前にしては。


「オ、オーバードライブ!!」


 だからこそ、本能的な危機感だったのかもしれない。

 その連撃をやり過ごした彼女が、すさかず全力を解き放ったのは。


「くそっ……仕留めきれなかったか」


「貴様の所為だぞルネ。貴様の力が貧弱な所為で、仕留める前に変身されてしまったではないか」


「お前も似たようなもんだろうが。ペチペチペチペチ殴りやがって」


 出来ることなら全力を出される前に終わらせたかったが、仕方のないことだとルネは思う。

 何せ自分達の『出力全開オーバードライブ』は現代人ステラのものとは違う。守りの面でも鉄壁な蒸気魔法を即座に打ち崩すには至らない。


「やってくれたじゃあ、ない……!」


 禍々しい姿になったアスタロトが、一つになった大きな目をギラリと光らせた。

 鉱石のような肌から人間らしい表情筋はなくなったが、一層低くなった声が確かな怒りを感じさせる。


「やることは同じだぞ、ルネ」


「言われなくたって」


 が、二人は狼狽えなかった。

 直撃すれば紙切れ同然。一発喰らえば即終了。

 更に膨れ上がった相手との魔力差は決定的で、掠るだけでも重症になることが分かっていながらだ。


「虫けら共が!! そこで死にな――」


「「どらぁぁぁ!!」」


「あがっ!!」


 だってやることは変わらないのだ。

 相手の攻撃よりも早くに、自分達の攻撃を叩きこむだけだ。

 どれだけ強力であっても当たらなければどうということはなく、後手に回ろうとも追い越せるならば被弾などあり得ない。


「「でやあああああああっ!!」」


「っ!?」


 そんな子供じみた理論。

 常識外れな高速戦闘を彼等は実現させていた。


 縦横無尽に駆ける姿は影さえも捉えられない。

 四方八方から繰り出される攻撃は、予測はしていてもガードが間に合わない。

 その姿はまさしく雷のようだった。どれだけ俊敏な生物でも、稲妻から逃れることは出来ないように、アスタロトはただただ滅多打ちにされる他なかった。


「くっ……!」


 が、それでもアスタロトは歴戦の戦士だ。

 即座に追いつけないことを察して、現代の防御魔法である『蒸壁』の出力を強める。

 加えて六つの手で全身を固め、守りに徹することを覚えたのだ。


(速いけど、力は大したことない!)


 彼女はそう思った筈だ。実際にその通りだからだ。

 今のルネ達は現代人の目を持ってしても追いつけないほどの速度を誇っているが、それ以外は大した恩恵を受けていない。


 故に守りに徹すれば深手を負うことはない。その中でチャンスを待てばいい。

 貧弱な身の上であれだけの魔法を行使しているのだから、いずれは隙が見つかるだろうと。


「くっ……!」


「!!」


 程なくして、それは訪れた。

 魔力が枯渇したのか、ガトーが先に膝を付いたのだ。

 そしてその隙を逃すアスタロトではない。今度こそ身体を縦から引き裂いてやろうと、ぐわんと爪を振り下ろそうとして――


 ――ズガァン!!


「かはっ!?」


 一発の弾丸に遮られた。

 至近距離から側頭部に当てられた。


 それは『400年前の貧弱な魔法』ではなく『現代の技術』によるものだった。

 如何にアスタロトであってもまともに直撃してしまえば、即死とまではいかないものの、その身を揺るがすほどのダメージとなる。


「ちっ……やっぱ一発じゃ無理か」


 すかさず振り返って、舌打ち一つで離脱するルネがほんの一瞬だけ見えた。


「貴様の当てる場所が悪いのだ。せっかく囮になってやったのに」


 更には振り返って、膝を付いていたガトーが何事もなかったかのように再び姿を消す。


「お、おのれ……!!」


 つまりは、ハメられたのだとアスタロトは知った。

 彼女のプライドを慮るなら、それはさぞ屈辱的なものであったろう。


「っ……! 冷静に、冷静に……!!」


 それでも彼女は堪えた。

 追いかければ相手の思うつぼで、それよりも先に受けたダメージを癒さなければならない。

 

「オーバー――」


 故にアスタロトは更に出力を上げようとした。

 より一層自分の身体を強化して、相手の時間切れを待つためだ。

 

 彼女は大きく口を開き、息を吸おうとして――


「ドライ――おぼっ!?」


 その開いた口に足が突っ込まれた。

 

 ガトーだ。

 それを待ってましたと言わんばかりに、彼は鋭い足の爪を伸ばし、喉の奥を掻っ切ろうとしてきたのだ。

 蒸壁という魔法は飽くまで自分の周囲に外へと押し返す蒸気をまとうことにより、体表面を強化するものであって、体内までも鉄壁にするものではない。


「っ!! ごのっ!!」


「ちぃっ!!」


 それでもアスタロトは即座に反応し、喉を裂かれる前に振り払った。

 これもまた彼等の狙いだったのだ。ガトーも舌打ち一つを残し、再び光速の波へと消えた。


「っ……! っ…………!!


 それからというものの――アスタロトはただただ防戦一方だった。

 反撃を企てることの無意味は先程知った。むしろすれば手痛いカウンターを受けてしまう。

 

「ぐっ……! あっ……!」


 だから身を固める。彼等の体力切れを待つ。

 ガードの隙を縫って叩き込まれる腹への一撃も、カバーしきれない後頭部へと振り下ろされる踵も、ガラ開きになってしまった下半身への打撃も、その全てをじっと耐え忍ぶ。


「はぁ……はぁ……!」


「ぜっ……ぜぇ……!」


 事実として、彼等の体力とて無尽蔵ではない。

 少しづつスピードは落ちつつあった。

 演技ではなく、それが本当に限界を迎えた時が彼女の勝利であるのだが――


「んだよ……! もうへばっちまったのか……!?」


「ぬかせ……! 貴様こそ肩で息をしておるくせして……!」


 彼等は今にも止まりそうで、止まらないのだ。


(こいつより先にへばってたまるか! 犬扱いされてた奴なんかに!!)


 と、ルネは震える足に喝を入れて跳躍する。


(我がくたばってなるものか! 小娘の背中にコソコソと隠れてた勇者より先に!!)


 と、ガトーは暴れる肺を律して壁を蹴る。


(僕はまだやれる!! こんなのへっちゃらだ!!)


(我はまだ健在だ!! あと三日は戦える!!)


 ルネもガトーも、汗だくで息も絶え絶えでありながら、それでもと出力全開オーバードライブを続ける。


((少なくとも――コイツより先にくたばってたまるか!!))


 …………もし、アスタロトに失策があったとするなら、彼等を知らなかったことだ。

 

 彼等は勇者と魔王である。

 古来より反目しあっていた、終生の宿敵と言っても過言ではない。

 

 故にそんな彼等の一方だけが、先にギブアップを告げるだろうか?

 否。かようなことはあり得ない。互いにそう思っているのだから、それはもう永久機関に等しい。


「「だああぁぁぁらあああっっっ!!」」


 止まらない。止まらない。止まらない。

 二人によるラッシュは、何時までも終わらなかった。

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