ステラ・マリーローズの想い

 

 雪の要塞は年月による摩耗よりも更に消耗し、今やその大半が原型を成していない。

 四方を囲んでいた石壁は風穴だらけになり、見張り台は根本から圧し折れ、雪畳であった地面には無数のクレーターが生み出されている。


 すなわち――それだけ激しい戦闘があったということだ。

 軽く五百を超える軍勢がこの通り、たった一人を除いて壊滅している。

 辺りは死屍累々。黒焦げになったり、壁に突き刺さったり、仰向けで泡を吹いていたりと、意識不明者で埋め尽くされている。


「まったく……連邦の勇者ってのは想像以上ね」


 そんな地に伏せる仲間達を一瞥して、彼女は溜息を吐く。

 もっともその目に気遣いの類はなく、むしろ「役立たず」と言わんばかりの冷酷さに満ちている。


「読み通りというか、心底正面から戦わなくて良かったって思ってるわ。よもやとは思ったけど、あの時以上の力を見せるんだもの」


「…………」


「ま、それでも私が勝った。万全を期した私の方が勝負事に聡かった」


「……………」


「五分以下の勝負は愚策。五分の勝負も愚策。七割以上が丁度いいってね? 貴方も次の人生があるなら覚えておきなさい? これが私達魔族の、スチームエンパイアの方針だから……ねっ!!」


「ぐぁ!!」


 と、アスタロトの足が、蹲っていたステラの腹に突き刺さる。

 それは力任せの蹴りであったが、もうステラにはそれすら防御出来ない。


 矢継ぎ早の爆撃によってロングコートも、帽子も、長い金髪でさえも焦げている。

 雨のような銃弾で白い皮膚は裂け、鮮血が滴り、雪化粧に赤溜まりを作っている。

 身体がくの字から立ち上がれないのは、それでも戦い続けた証拠だ。限界を迎えてなお戦場を駆け抜けた四肢が今ではガクガクと笑い続けていて、硝煙を吸い込み続けた呼吸器がヒューヒューと笛のような音を発している。

 

 それが出力全開オーバードライブの代償であった。

 仲間の為に一秒でも時間を稼ごうとしていた彼女は、自らの限界の限界を超え、今や呼吸をするだけの存在へと化している。


「…………しぃなあ」


 アスタロトに足蹴にされつつ、ステラは朦朧とした意識で思う。

 大勇者様ならこんなことにはならなかったのに。こんなものはピンチでもなかっただろうと、自らの不甲斐なさばかりを悔いている。


「ほら? これが欲しかったんでしょう?」

 

 と、アスタロトはそんな彼女に聖遺物を見せつける。

 それは何処もかしこも錆び塗れであったが、原型は保っている。


「これで釣れることは分かっていた。ソウピアの孤児院の出身である、貴方が何よりも欲しがってるものだと知ってたから」

 

 ソウピアのペンダントだ。

 彼女が幼い頃から死ぬまで身に着けていた物で、そこには大勇者ルネ・ロードブローグとの思い出が詰まっていると言われている。


 だからこそステラは無茶をしてまで取り返してあげたかった。

 自分をここまで育ててくれた院の為にも、自分の心を支えてくれた大勇者様の為にも。


「でも――あげない」


「うぐっ!?」


 が、ステラが伸ばそうとした手は踏みつけられる。


「あげるわけないでしょ? これは貴方を釣る為に手にいれた餌だけど、それ以上にニンゲン達にだけは渡すわけにはいかない……ってね!!」


「っ!?」


 聖遺物は遠ざかり、代わりに足底で叩きつけられた。


「――なにが連邦の勇者よ!!」


 無防備な身体を踏まれる。


「調子に乗って、幅を利かせて、最後にはこのザマ!?」


 ゲシゲシと、何度も何度も執拗に。


「ただの世間知らずのガキじゃない!? 聖遺物を集めてまさかって、怖がってる連中が馬鹿みたい!!」


 痛みは感じない。もう痛覚を感じられるだけの余裕さえなかった。

 全身に鉛のように圧し掛かる疲弊が、彼女をそうさせている。


(あ……死ぬの? ボク、死んじゃうのかな?)


 そう思うと――後悔はないけど――ちょっぴり怖いとステラは思った。

 強靭なステラとて一人の人間だ。真に死の感覚を知っているわけではなく、陽気な顔の裏には人並みに恐れる気持ちがあった。

 

(うん……それでも、うん…………)


 さりとて『ちょっぴり』である。

 心の底から絶望しているわけではない。


(大丈夫……ボクのガットが、勘がするから……)


 彼女はよくピンチの時に『ガット』だの、『勘』だのと根拠にするが、本当にそういうわけではない。

 発言そのものは仲間を不安にさせない為の、言わば強がりに等しいものである。


(ボクは大丈夫……きっと、大丈夫……)


 しかし同時に、本当にそうだと信ずる気持ちも同居していた。

 それは『自分がここで死ぬわけはない』という自負ではなく、最初からもっと大きなものに身を委ねているからだ。


 無垢な市民は勇者である自分が助ける。

 悪党は勇者と呼ばれる自分が成敗する。

 世界中に散ってしまった希望の象徴は、勇者という称号を与えられた自分が元通りにしてみせる。


 ならば自身はどうだろう?

 そんな勇者に訪れる危機は誰が救うのか? 誰が手を差し伸べられるのか? 


 そんなもの……自分よりも遥かに偉大な大勇者を置いて他にいない。

 自身の危機にはまた大勇者が駆けつけてくれる筈だと、そんな馬鹿げた根拠でステラは安らぎを得ている。


(ああ……そう、いえば……)


 ステラは今にも途切れそうな頭で思う。

 さっきのアスタロトの様子だ。ソウピアの聖遺物は自分を釣る為の餌だと言っていたが、意地でも渡さぬという恐れも垣間見えた。


『聖遺物の全てを揃えた時――古来の封印が解き放たれ――勇者ルネ・ロードブローグが再びこの世に降臨し、あらゆる闇を打ち払う』


 かつて、そんな一説を耳にしたことがあった。

 だからスチームエンパイアの残党はそれを阻止しようと、人間の手から聖遺物を搔き集めているのだという……根拠もへったくれもない与太話である。


「……何が可笑しいの?」


 と、朧げな視界の向こうで怒気を感じた。

 ステラは笑っていたのだ。


「ああ、いや――」


 その先はもう声にならない。今にも切れそうな、細い糸一本のみ残った意識で思うだけに留める。

 皮肉なもんだ。キミとボクの立場は真逆だけど、大勇者様をおそれる気持ちは同じで、あの御方の存在は今も確かに残されている……と。


「伏兵がまだある……? いいえ、そんな筈はないわ。五体満足で逃げて行ったのは雑魚ばかり」


 ステラの笑みを深読みしてしまったのか、アスタロトは少しばかり考え込む。

 その間、十数秒程度であっただろうか? 耳をピクピクと動かし、挙動不審に辺りを見回し、念入りに気配を探っているようだった。


 されど、ごうごうと吹雪く以外は何も響かない。


「……いずれせよ、長居は無用ね。そろそろトドメをさしておきましょう」


 それからようやくシャキンと鋭い爪を伸ばし、ステラの首筋に押し当てる。

 軽く引けば終わりだ。もう蒸壁レジストも展開出来ないステラに抗う術はなく、喉笛は紙のように引き裂かれ、あっという間に永遠の眠りへと導かれることだろう。


「じゃあ連邦の勇者サマ? これでさよう――」


 が、それを実行に移そうとした瞬間だった。

 アスタロトの手が止まり、切られてもいないのにピリピリとした痛みを感じた。


 それが物理的な接触によるものではないとステラは察する。

 もっと別次元のものだ。何処にでもあって何処にもないもので、形はあるのに留められない刹那の衝撃。

 

「くっ!?」


 咄嗟に離れたアスタロトの判断は正しかった。

 なにせ次の瞬間――さっきまで彼女が立っていた場所には、雷光を放つ長物が突き刺さっていたのだから。


「――この子から離れろ」


 と、更に次の瞬間には、投げたその長物を引き抜く男の足も見えた。

 もうステラには顔を動かすだけの余力もなく、視界もぼやけているから、それが誰なのかは分からない。


(ああ――やっぱり、そうだ)

 

 しかし、それでも確信していた。


(ボクの勘は当たるんだ。ボクが本当にピンチな時は、何時だって貴方が助けてくれる)


 最後まで残っていた糸が、そこでプツリと途切れるのを感じる。

 もう頑張らなくてもいいんだと思う。


(おかえりなさい、おかえりなさい――大勇者様)


 それを最後に、ステラは意識を手放した。

 その目に涙を浮かべつつ、幸せな夢に浸るように頬を緩ませながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る