僕はあの子の夢を守りたい
「貴様の小癪な封印魔法から目覚めたのは、今から一年前ほどのことだ」
ガトーはそう言った。
当初は身構えていたルネだったが、彼に戦う意志はないようだった。
ルネが目覚めた時に彼の姿が見えなかった理由は、なんてことはなかった。
ルネよりも1年早く、ガトーはこの400年後に解き放たれていたのだから。
「何処もかしこも面妖で厄介な世界だ。おまけにどいつもこいつもが進化しておる。かつて世界の半分を捉えていた我が、そんじゃそこらの雑魚にも叶わぬほどにな」
「…………」
ルネは黙して頷く。ルネがそうであったように、彼も同じだったのだろう。
今の世界はインフレしている。あの覇道を突き進んでいた魔族の長であろうと、例外ではなかったのだ。
「そんな折に、厄介に奴に捕まってしまった」
が、その後の出会いはルネとは違ったらしい。
善人そのもののステラではなく、あの卑怯上等のアスタロトとくれば、どんな憂き目にあったかは想像に容易い。
「我を! この我を犬などと呼んで顎で扱うとは!! ちょっと力が強いくらいでなんだ!? 貴様にどれだけの知性がある!? それに我がかつての魔王だと、どれだけ訴えたところで信じようともせん!! この我を気狂いだと断定し、事あるごとに躾と称して殴る蹴るをしてはだな!?」
「お、おう」
想像すると哀れだとは思う。
同じく400年後の世界に振り回された身として、不運だったと同情する気持ちもある。
でも同じくらいにルネは思った。
かつての堂々足る姿を知っているだけに、こんな風に青筋を立てて捲し立てる
「だがまぁ――今日でそれも終わりだ」
「え?」
ところがそれは数瞬のこと。
ガトーはすんと気持ちを落ち着かせ、偉そうに腕を組みながら言った。
「奴は現代の勇者に夢中で、ようやくアイツの監視の目が解けた」
「ってことはガトー、お前……」
「貴様もどうだルネ? 貴様に対して恨みつらみはあるが、まぁ同じく400年前から叩き起こされた者同士のよしみだ。あの女の手から離れるまで、行動を共にしてやってもいいが?」
ガトーはルネを同じ境遇だと思っているのだろう。
自分と同じく『厄介な現代人』に捕まって、否応が無しに付き合わされているのだと。
「残念だけど、僕はお前とは違う」
ルネは否定する。出会いそのものは幸運だったと思ってるし、見捨てる気持ちなんてこれっぽっちもない。
「僕はステラを助けに行く。お前とは境遇が違うんだ」
「なに?」
「でも力を合わせるってのは賛成だ。なぁガトー、折角ならお前が逃げるついでに――」
勇者魔王であろうと今は呉越同舟。
生き延びる為に手を貸してくれと、ルネがそう提案しようとした時だった。
「ふん……哀れなことだ」
ところガトーは聞き終える前に吐き捨てる。
「危険を顧みずにあの小娘を助けにいくだと? 貴様は一体何を守っているつもりなのだ?」
「な,なんだよ突然。何をって言われても」
「この期に及んでまた意味のない行動を繰り返すのか、と言っておる」
言っている意味がルネには分からなかった。
ルネは世話になったステラを助けたい。それだけの話だが、もっと大きな理由が必要なのだろうか?
「ステラが死ねば、みんなが悲しむから」
「それは皆という大義名分を理由にした、貴様個人の感情だ。この世界にとっては些細なことでしかない」
「いやいや些細なことなもんか! あの子は現代の勇者だぞ!?」
「いいや、些細なことだ」
「そりゃ魔王のお前にとっては些細なことかもしれないけど、今を生きる人々にとっては――」
「魔王だの勇者だのという肩書も含めてだ。実際に貴様も我もこの世界から消えはしていたが、何の支障もなく動いているであろう?」
「っ!?」
ルネは冷や水を浴びせられたかのように言葉を失う。
それだけはずっと身に染みていたことだから。
「何を守ろうとしたところで無駄だ。時代はあらゆるものを淘汰する」
と、ガトーは続ける。
「貴様もこれまで見て来たであろう? 今のこの世に貴様の知るものがどれだけ残されておる? 人も、街も、魔法も、何一つとして元の形は残しておらん」
「そ、それは」
「淘汰とは摂理なのだ。そこに残酷も慈悲もない。これまでも当たり前のように行われてきて、これからも当たり前のように行われるだろう。そんなものの何処に守る価値があるというのだ? いずれは忘れ去られ、滅びるだけだというのに」
「だからって! 形を変えようとも街は街だし、人は人だ!! 残ってるものだってちょっとくらい!!」
「仮に400年前から続く船があったとしよう。そのデッキの板は軒並み交換され、マストを木から鉄柱へと変えて、帆の代わりに翼を広げ、海ではなく空を駆け巡り、風力ではなく蒸気エンジンによって前進するようになった。それでも貴様は、それが同じ船だと断言出来るのか?」
「っ…………」
ルネは否定できなかった。
なにせ街や人だけでなく、記録もまたそうだった。
大勇者様は大勇者様であって、ルネ個人を意味していない。彼等が実際に生きていた足跡は年月によって間違った形で伝わり、今では経歴が似ているだけの他人に等しくなっている。
「ルネよ……我は摂理の伝道者だ。自らのことを魔王だと、支配者だと思ったことは一度もない」
そこにガトーは、かつて何度も自称していた立場を呟く。
「欲しているのは淘汰の果てにあるものだ。力の強き者が、より強き者に喰われ、それさえもより強き者に捕食される。その果てに待っているものこそ、決して変わることない
「そんなの、ただの地獄だ。最後の一人になるまで殺し合ってるだけじゃないか」
「我と貴様とでは地獄の捉え方が違うのだ。だからずっと脳内お花畑な貴様とは平行線であったし、どちらが淘汰されるべき思想であったのかと…………まぁいい」
不意にデジャブを感じたのは、400年にもこういう会話があったからだ。
そしてガトーもそう感じたのか、不意に自らの思想を語るのを止めては、
「要するにどうでもいいのだよ。そしてそんなどうでもいいことに、身を投げ出してまで加勢しようとする貴様を酷く軽蔑しておる。何せそれは自殺行為というものであり、逃げるにせよ戦うにせよ、すべからく生きる為に全力を尽くすという、生物としての摂理をも侮辱する行為だからな」
とまで言ってのけた。
「だ、だからお前は、アスタロト達にも関心を抱かないって? 自分は犬扱いまでされていながら、僕がステラを加勢することが愚かだって、そう言いたいのか?」
「ふんっ……犬扱いはもう御免だが、アスタロトが勝つことに異論はない。それはあの小娘が弱く、アスタロトによって淘汰されるだけの話だからな」
「ステラは弱くない。卑怯な手を使われたから追い詰められてるだけだ」
「卑怯も姑息も戦場では常套手段だ。むしろ生き汚くあろうとしない方が気狂いである。あの小娘だけでなく、かつて自らの命を差しだそうとした貴様でさえも」
「ぼ、僕の行為が無意味だったって言いたいのか!?」
「無意味であろう? 何時だって貴様は感情的に動いていた。だから我を道ずれにするという手段も取れた。しかしそうして生まれたこの世はどうだった? 結局ニンゲン共は争い合って、収拾がつかなくなったであろう?」
「っ…………」
そこを突かれると、またしてもルネは何も言えなくなる。
ずっと自分でも分かっていたことだ。魔王なき後に、一時とは言え世が乱れてしまった事実は。
「…………それでも」
ルネにはもう、理屈的な反論は出来なかった。
今の世界において自分は記号でしかなく、今は尊敬されているステラでさえも、時と共にいずれはそうなるのかもしれない。
「……それでも」
だけど、それでも――
『ボクはそれで勇気づけられたんだ。どんなに辛くても前を向いて、あの御方が守ってくださった世界を謳歌しようって』
脳裏に過ぎったのはステラの言葉だ。
『だからこそトレジャーハンターにもなった。失われた大勇者様の足跡をハッキリさせて、どんなに勇気ある人だったのかって知らしめることが出来れば……ボクがそうであったように、きっとまた誰かの心が救われるから』
あの子は自分によく似た偶像に憧れて――されどその姿形ではなく――意志を伝えようとしていた。
「僕はあの子を――あの子の夢を守りたい」
だからこそルネは言った。
それだけは時代にも消せやしない、確固足るものだと信じて。
「夢……だと?」
「意志の話さ。確かに僕達の記録は消えて、あやふやなものになってしまったけどれど……正しさは理想として、間違いは教訓として今でも受け継がれている」
ルネは歴史の教科書を思い出す。
かつて世界は分断の時代を恥じて、二度とこのようなことが起こらぬようにと、連邦を結成したらしい。
「だったらやっぱり世界は地続きだ。道具とか、街とか、僕等がどうこうとかじゃない。想いが受け継がれているなら、僕はそれを他人事とは思えない」
「そんなものはまやかしだ。どうやってその形を証明する? 貴様がそう思いたいだけの話ではないのか?」
「あぁそうだ。僕がそう思いたいんだよ」
「なん……だと?」
開き直るように返すルネに、ガトーは呆気に取られた様子だった。
しかし本当に開き直ってるわけじゃない。
それこそがルネの――400年前から現代にまで続く――心からの想いであった。
「お前の言う通りだよガトー。僕の身勝手な思いは、誰も幸せにしなかったのかもしれない」
「それでも、そんなちっぽけな足掻きでも」
「それを心の糧にして、今を生きてくれる人を僕は大事にしたい」
「たとえ間違っていたんだとしても、その先を続けてくれたなら、僕はそれを肯定したいんだ」
「お前からすると道理も摂理もない……単なる身内びいきなんだろうけどね」
思えば、本心はずっとそうだった。
世界だなんて大層なことを考えたことは一度もない。ルネはただ、ルネが知っている人達に笑っていてほしかっただけなのだ。
それが旅の間にちょっぴり広がって、最終的に勇者と呼ばれるようになってしまっただけのことで。
「ガトー、取引をしよう」
「取引……だと?」
だからこそ助けに行かないという選択肢はない。たとえ無残な肉塊になろうともだ。
ルネはそんな決死の覚悟を抱きつつ、呆然としていたガトーに向かって言った。
「僕がアイツを倒す。お前を残党に追われることなく自由にしてやる。だから――」
「だから? なんだというのだ?」
ルネは背後のリジーを見下ろした後、ステラが今も戦っているであろう方角へと視線を移す。
「みんなを無事に返してやってくれ」
「………」
「ステラも、リジーも、やっぱり今の世界に必要なんだ。僕なんかよりもずっとね」
「…………ルネよ、死ぬつもりか?」
その問いかけに、ルネは首を横に振った。
昨日までの自分にも唾を吐きたい気分だった。
「馬鹿言うな。こんなとこで死んでたまるか」
死ねばステラが悲しむ。もう誰かを泣かせるなんて御免だ。
今を生きる彼女達の心に、罪悪感というしこりを残すわけにはいかない。
「僕は戦う。無謀な選択なんかじゃない」
それは勝算の低い戦法ではあるが、0%ではなかった。
ルネには未だ彼女達に見せていない魔法があるのだ。不意を突いて、対応される前に押せればワンチャンあるかもしれない。
だったら99%も1%も二者択一でしかない。
生きれば一で、死ねば零だ。他者が聞けば極端で馬鹿馬鹿しい話であろうが、ルネはかつてそういう戦いを続けていた。
その不明瞭な変数を一へと持って行けるだけの度胸が、勇者足るものだとルネは信じている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます