ゲルシリード山脈


 ソフィ・フラワーズは喜怒哀楽のハッキリした、花のような女の子だった。


『見てよルネ!! ほら!!』


 何か嬉しいことがある度に満開の笑顔を浮かべる。

 それは本人ばかりか、見ている方も自然と釣られてしまう。

 

『ル、ルネ……うぅ……こんなのって』


 何か悲しいことがあれば、自分のことのように涙を流す。

 魔王討伐の旅に悲劇は付き物だ。その度に大粒の涙を流す彼女は、まるで雨にしなだれる花弁を思わせた。


『どいてルネ!! うりゃああああああああ!!』


 かと思えばこの勇ましさである。

 一応は僧侶という役割だったのだが、戦闘になれば前衛職顔負けで、何時だってルネの隣で杖を鈍器のようにぶん回していた。

 

 しかしそれはそれで彼女らしいというか、雑草のような逞しさというか。

 要は惚れた弱みなんだろう。強く、優しく、美しくと、自分以上に勇者らしいオーラを放っているとルネは思っていた。


『ねぇルネ? 最近暗い顔をしてるけど、何か困ったこととかあったりする?』


 だからこそ、一番最初に気付いたのも彼女だった。

 ルネが旅の最期に企んでいることを――ハッキリとまでは辿り着けずとも――薄々と察するくらいには。


『何もないよ。みんな優しくって、楽しい旅をさせてくれてる』


 ルネはそう答えた。ソフィはこれからもソフィらしく、平和な世界で幸せに生きてくれればいいと願いつつ。


『嘘。他のみんなは騙せても私はそうじゃないから』


『え、えぇと』


 が、幼馴染というものは強敵だ。

 ルネの抱えた嘘を見抜き、ジトっとした目で、それが何なのかを見据えようとしてきた。 


『ねえルネ? 変なこと考えてないよね?』


『変なことって何だよ? 訳が分からないんだけど?』


 しかしそんな彼女に鍛えられたからか、ルネも嘘を不得手としていなかった。

 だからその日もすっとぼけて見せながら――


『ソフィはさ、この旅が終わったら何がしたい?』


 なんてことを口にした。

 それは彼にとってみれば、話をはぐらかす程度の意味でしかない。


『したい、こと……』


『うん、旅の終わりも近づいて来てるしね。参考程度に知りたいんだ』


『…………』


 が、ソフィーは黙り込む。

 それどころか――何を考えていたのか――俯きがちな顔を真っ赤にした。


『お、教えない!!』


『え?』


『秘密!! ルネにはまだ内緒だから!!』


 ぷいと顔を逸らしつつ、チラチラと横目で見て来る。

 それに対してルネは――心の奥底で察しつつも――首を傾げて見せた。


『それよりルネのことだよ!!』


『え、僕?』


『そうそう!! 昔から自分のことは二の次三の次なんだし、やりたいことくらい言えないの!?』


『やりたいこと……そうだな』


『うんうん! 一つくらいあるでしょ!? なんなら私が付き合ってあげてもいいからさっ!!』


 ルネは考えた。

 しかし考えても考えても思い浮かばない。魔王討伐後の自分の姿が想像出来ないのだ。


『はぁ……じゃあこれは宿題だね』


 するとソフィは自らの腰に手を当て、しょうがないなぁと言わんばかりに微笑んだ。


『宿題?』


『うん、宿題。旅の終わりまでにちゃんと答えを出しておくこと。その時になったらもう一回聞くから、私が納得できるだけのものを用意しておくんだよ?』


『え、いやその』


『っと、みんなが呼んでる。そろそろ行こっか』


 仲間達の声に気付いて、ソフィがルネの手を引く。

 その掌の温もりがないことから、ルネもまたロードブローグではなく、フラワーズとして察した。


 またしてもそういうことだ。ここ最近では珍しい長閑な夢である。

 そうして夢だと気付いた瞬間、愛しき彼女の姿は瞬く間に霧散する。気づいてしまったことが惜しくなって、手を伸ばそうとするも、ルネの掌は彼女をすり抜ける。


(あぁ、せめて――)


 だからルネは思った。

 自分が何と答えたのかは覚えていないが、それで君を納得させられたのかと、声にならない声を張り上げようとした。




「ルネくん、寒くない?」


「大丈夫だよステラ」


 と、全身をモコモコの衣服で包んだルネが頷く。

 標高三千メートルを優に超えるゲルシリード山脈は、季節外れの雪に包まれていた。


「今日は特に吹雪いています。ザイルは絶対に手放さぬように」


「分かってるよリジー」


 そして昇れば昇るほど、ごうごうと吹雪は勢いを増していく。

 今では分厚いゴーグル越しでもほとんど前が見えないくらいだ。互いを紐で括りつけていなければ、中腹に至るまでもなく遭難していたことだろう。


 しかしルネにとってそれは初めての経験ではなかった。

 400年前の旅路でも雪国を縦断することがあって、足を踏み外して滑落しそうになったり、凍った川を突き破って凍死しそうになったりして……その度に仲間に助けられた過去があった。


「…………ごめん」

 

 そんなことを思い出すと、沸々と煮えていた心もすっかり落ち着いていた。


「昨日は怒鳴っちゃって。大人気なかったよね」


「…………」


「…………」


 激情の後に去来するのは情けなさだった。

 幾らソフィ絡みだったとは言え、400年も年下の女の子相手に、ムキになっていたことがただただ恥ずかしかった。


「ルネくんが気にすることじゃないよ」


 しかし明るい声が返って来る。


「むしろボクからすると、感謝したいくらいなんだ」


「感謝?」


「ソウピア様の聖遺物を誰よりも回収したいのはボクだ。ルネくんがああ言ってくれなかったら、今でも部屋で悶々としていたかもしれない。リジーには申し訳ない限りだけど」


「…………」


 パッとゴーグルを外した先は満面の笑みだった。

 自分の気持ちを汲み取ってくれたことが嬉しいと、ステラはそう言わんばかりに。


「ホントにそうです」


 一方でリジーはかじかむ指先よりも冷たい声で言った。


「そもそもこの山脈は天候が荒れやすいんです。戦闘をするにしても自由が効きづらい。それに視界が悪い所為で、不意打ちを事前予測することなんて不可能に等しいんですよ? 相手が待ち構えていたらどうするおつもりですか?」


「だ、だよね」


「まぁ……だからこそ正規の登山道から外れたルートを選んでるんですが。積もった雪で下半身が埋もってしまうくらいの、全身びしょ濡れ確定のルートを」


「あはは……リジーには苦労をかけるよ」


 今のところエンカウントはしていないものの、その分だけ不安定なコースであることは、浮かべるステラの汗と苦笑が証拠になっている。


「まぁ、とは言っても」


 それでもリジーは深い雪を掻き分けながら言う。


「ソウピア様の遺産を取り戻したい気持ちは私も同じです。彼女は彼女が愛した、あの院と共にあるべきだと思っています」


「リジー……」


「それにここまで来たらもう引き下がれません。これだけ苦労しているのですから、何か一つくらいは持ち帰らないと気が済みませんよ」


「う……うんっ!! じゃあやってやろう!! やってみせようじゃないか!!」


「ステラさん! あまり一人で先には行かないように!!」


 リジーの発言に気を良くしたステラが、豪雪も気にせずバタバタと駆け出す。

 繋がった紐がピンと引っ張られて苦しくなるも、その明るさがルネにとっては有難かった。


「ルネさん」


 と、先導する彼女のザイルを二人で伝っている最中だった。


「熱くなっていたのは私の方です。先日は失礼致しました」


 軽くではあったが、頭を下げられてしまう。

 謝る必要なんてないとルネは思う。だって要は全部自分が悪いのだから。

 かつての仲間が非業の死を遂げたことも、世界が一度分断したことも、現代にまで魔王軍残党が残っていることもだ。自分がちゃんと見ていなかったからこその今がある。 


 その責任を取ろうとして、先日はまた先走ろうとしてしてしまった。

 しかし今の自分に何が出来る? 彼女達がいなければ自分は一歩足りとも踏み出せやしない。無駄死にはかつての仲間達への侮辱に等しい。


「気にしないでリジー」


 だから――ちゃんと責任を取る方法は他にある。

 ルネはそう思い直している。死地を求めるのは結構だが、ちゃんと役に立ってから死すべきであると。


「僕は大丈夫だから」


「…………っ」


 が、どうしてだろう?

 ルネの目に、リジーは酷く口惜しそうに見えた。


「…………ルネさん」


 そうしてしばらく間を置いて、唇を噛みながら彼女は言った。


「一つだけ約束してください」


「約束?」


「仮に戦闘になろうとも、絶対に前には出ないと」


「そんなこと――」


 言われるまでもないと思う。

 仮に出たところで足手まといだ。ルネは彼女達の戦闘にはついていけない。


「もしも私やステラさんが窮地に陥ったとしてもです」


「――――」


 ところがリジーはそこから先を付け足す。


「貴方は振り返らず、真っ直ぐに下山する。先日の旧水道のようなこともしてはいけません。私達の生死に関わらず、貴方として生きることをお約束ください」


「――――そ、そんな! そんなこと!!」


 出来るわけないと、ルネは衝動のまま続けそうになった。

 過去の残骸でしかない自分が、二人を見捨ててのうのうと生きるなんてことは――


「どうして出来ないのです?」


 が、リジーは疑問を許さずに睨みつけてくる。


「私達と貴方は深い仲ではありません。たまたまステラさんに拾われて、たまたま同行しているだけの一般人です」


「っ!」


「それの何処に、責任なんてものが生じるというのです?」


 ルネは答えない。答えられない。

 助けられた恩? 親切にしてくれた義理? それとも現代の勇者という立場だから?

 考えてみると思考は酷く散り散りで、まとまりようがなかった。


「記憶喪失という貴方の過去を私は深く問いません。ステラさんにも話さない以上、言いたくないことなんでしょう」


 一方でリジーは、言葉の一つ一つに万感の思いを込めている。


「ですから、どうか――」


 彼女はルネの手を取って、手袋越しに温度を伝えて――



「自らの命を進んで投げ捨てることだけは止めて下さい」


「たとえどんな崇高な理由があろうと、それはこの世で最も愚かな行為です。致命的な馬鹿のやることです」


「貴方はたった一人で目覚めたおつもりかもしれませんが……何処かで、悲しむ人もいるかもしれないのですよ?」



 そんなもの――今となってはいない。

 もう僕は独りだ。悲しんでくれる人はみんな先立っている。


 なんて、ルネはそう言い返そうとした。

 けれど何故だか言葉にはならなかった。


「それだけが、私の願いです」


 飽くまで命令ではないと言い残しつつ、リジーは振り返って再び歩き始める。

 繋がった紐が伸びて、否応が成しにルネも続かざるを得ない。もやもやとした思いを抱えながら、ザクザクと深い雪道を進んだ。

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