それだけは絶対に
「ステラさん、ルネさん。事態が急変しました」
それは子供達の自由時間が終わり、へとへとになって院に帰って来た後のこと。
談話室に呼んだリジーが、深刻そうな顔でそう言った。
「急変?」
ステラが首を傾げる。
「魔族の動向を観察してる二人の連絡を待ちつつ、ここで待機っていう方針じゃなかったっけ?」
「ええ。そのエドから続報が入ったんです」
リジーは眉を難しそうに歪めつつ、テーブルの上に置いてあった塊を操作する。
読み取り部分とディスプレイが一体になった機械だ。長いロール状のパンチカードを差し込むと、表面に並んでいた小さなパネル群が、パタパタと音を立てて回転し始めた。
『悪天候の所為で通話が出来ない。だから『伝書鳩』で伝えさせてもらう』
やがてパネルは文章となっていた。
そう言った技術自体は街の掲示板で何度も見かけていた為、ルネも今更驚きはしない。
『ステラの探してるものが見つかった。連中の運んでいる物の中に、薔薇を模した木彫りの箱が確認出来た』
「な、なんだって!?」
ステラはガタッと椅子から立ち上がる。
「ねえエド!! それは何処なの!? 本当に見つけたの!?」
「落ち着いてくださいステラさん。これは伝書鳩から復元したものですよ」
「あ……」
タイムラグのある手紙に過ぎないと、リジーに言われて気付いたのだろう。
ステラは自らの興奮を恥じるかのように、顔を赤くしてその場に腰を落とす。
『だが奴等の動きは妙だ。ブラドルニア側まで進軍するのかと思いきや、ゲルシリード山脈の中腹付近に留まって、そのまま一歩も動こうとしない。一体何を考えてるのやら』
「恐らくは、ですが」
続いて表示される文章にリジーが補足を挟む。
「彼等は旧水道のブラックマーケットが倒壊したことを知ったんだと思います。どんなに貴重な聖遺物があったとしても、買い手がいなくなったらどうしようもありませんから」
「じゃ、じゃあ魔族……スチームエンパイアの残党は何を考えて?」
「別のマーケットを探しているか、手をこまねているか」
「だ、だったらさ!!」
そこにステラが身を乗り出す。
「チャンスじゃないか!! ボク達がそこに攻め込んで、あの御方の聖遺物を!」
「ステラさん」
冷や水を浴びせるようにリジーが言う。
「お気持ちは分かります。ですが今一度冷静になってください」
「冷静って!? ボクは冷静だよ!!」
「はい。それは私も重々承知しております」
明らかに冷静ではないステラを、それでも声を荒げ返すことなく、リジーは落ち着いた様子で続ける。
「ステラさんの言うとおり、今の状況は確かに千載一遇ではありますが、同時に危険でもあります」
「危険って?」
「酷く視界が悪いようで、敵の総数が分からないのです。以前にあった報告では少なく見積もっても中隊レベル。最悪五百体を超える魔物が待ち構えているかもしれない」
リジーは地図を広げ、その視点を指差す。
「それにあの聖遺物はソウピア様のみならず、ルネ・ロードブローグとも深く関係しています。そんなに貴重なものを運んでいるなら警備は厳重な筈です」
「…………」
「無論取り戻さなければいけないものだとは、私も重々承知しております。アレはこの院にとっても大きな意味があるものですから」
「ねえ?」
そこでルネは口を挟む。
「それって前にも聞いた聖遺物のことだよね? 君達にとって単なる聖遺物じゃなくって、もっと深い意味があるっていう」
「…………」
「まぁ……それは」
「それって何なの? どういうものなの?」
ステラは口を噤み、リジーはもごもごとする。
「僕には話せないことなの? 僕だって仲間のつもりなんだけど?」
ここにはルネを含めて三人しかいない。
仮にチャーリーに聞かれていたって、もう無茶はしないだろうと思う。
「…………ソウピア様の形見なんです」
と、しばしの無言を挟んだ後にリジーが言った。
ソウピア様――このローズマリー聖護院の設立者だということはルネも知っていた。
「ルネ・ロードブローグの幼馴染であった」
「え――?」
が、そこから先は初耳だった。
そしてルネ・ロードブローグの、ルネの幼馴染とくれば一人しかいない。
「彼女が身に着けていたペンダントは、今も失われたものとされている。大勇者ルネを知る上での特級聖遺物として、誰もが探し求めているのです」
「――――」
ルネはソフィのことを思い出す。
彼女は何時だってそうだった。母親から譲り受けた形見を、肌身離さず首から下げていた。
そんなペンダントを今は魔族が持っている。遺体と共に埋葬されたわけでも、何処かに大事に保管されているわけでもなく、彼女の形見を横から奪い取り、彼女の思い出を金に換えようとしている。
「探しにいこう。絶対に」
次の瞬間、ルネは席を立った。
急いたように踵を返し、そのまま外へと飛び出さんばかりの勢いで。
「ま、待ってください!! まだ行くと決めたわけではありませんが!?」
「魔族に奪われてるんでしょ!? だったら早く行かなきゃ!!」
掴んで来る彼女の腕が鬱陶しいかった。
振り解こうとして、出来ない自身の貧弱さが恨めしかった。
「一刻も早くに行くべきだよ!!」
だからルネは自由な口で訴える。
「君達はトレジャーハンターなんでしょ!? だったらソフ……ソウピア様とやらの聖遺物は、すぐにでも保護しなきゃ駄目じゃないか!!」
「ルネさん!」
「なんなら勇者としてもそうだ!! この院のみならず、大勇者にとっても大事な宝が魔族に奪われてるのを、易々見過ごすことが今の勇者のやることなの!? そうじゃないよね!? ねえステラ!!」
「っ!?」
遮るリジーから目を逸らし、ルネはステラをキッと睨みつける。
「…………」
しかしステラは……何も言わなかった。
便乗してくれない。賛同してくれない。さっきまで散々食い掛かっていた癖にと、一層ルネの頭に血が昇る。
「――このっ!!」
「ぐっ!!」
と、そうこうしている内に、ルネはリジーに投げ飛ばされた。
単純な力の差はもちろんのこと、間接まで極められていて、上半身がピクリとも動かせなかった。
「落ち着いてください、ルネさん」
なのにリジーは哀願するかのよう。
圧倒的優位にも関わらず、酷く悲しそうに眉を歪めている。
「……………………だから」
「え?」
「っ……なんでもない」
ルネは喉元まで湧き上がっていた言葉を引っ込める。
感情的に口にしたところで状況は覆せやしない。『お願いだからソフィの思い出まで奪わないでくれ』だなんて。
「分かった! キミ達の言い分は分かったから、どうか喧嘩はやめてくれ!!」
そこにステラが、今にも泣きだしそうな表情で訴える。
「ボクが冷静じゃなかったのが悪かったんだ! だからお願いだよ……リジーも、ルネくんも、仲間内で争うのだけはやめてくれ……!!」
「…………そう、ですね」
「…………」
シュンとしたリジーの拘束が緩む。
しかしそこから抜け出したルネは、己が気持ちを緩ませない。
「やっぱり行くべきだよ」
「で、でも……」
「僕のことなら気にしなくてもいい」
ルネは思う。
彼女達が二の足を踏んでいるのは自分の所為ではないかと。
「前にも言ったでしょ? 見捨ててくれてもいいって」
しかしそれはルネにとって死よりも辛い苦痛だ。
自分がいる所為で誰かを制限するなどあってはならない。そんなの『成すべきこと』とは遠く離れている。
「うん……ボクもそうしたい。ソウピア様のペンダントだけは、何がなんでも」
そうまで言ってようやく、ステラもゆっくりと頷き返した。
潤んでいた目元をゴシゴシと擦って、その瞳に強さを滲ませながら。
「ステラさん」
「お願いリジー。アレはこの院に返してあげなくちゃいけないものなんだ」
「ですが」
「今回の捜索はボクが全責任を取る。どれだけ危険なことがあろうと、ルネくんは守り抜いてみせるから」
「…………………はぁ」
するとリジーは強張っていた肩を落とし、力なく溜息を吐いた。
言葉にはしていないが、それは同意を意味していた。
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