繰り返される平穏2
「じゃあアニキ!! また困ったことがあれば何でも言ってくれよな!!」
「う、うん」
そうして満足したのか、チャーリーは院に向かって走り去って行った。
今度はシスターの手伝いでもするつもりなのかもしれない。
あの日以降、チャーリーはずっとそうだ。ルネに対して敵意を向けることを止め、むしろ兄として敬い、事あるごとに褒められようとしている。
「なんだかルネくん……随分とチャーリーに懐かれてるね?」
と、そこで何時の間に戻ったのやら。
振り返ると、ぷくーっとステラが恨めしそうに頬を膨らましていた。
「前まではボクにベッタリだったのに」
「あはは……そんなことないって」
それは目に掛けていた弟を取られた、嫉妬のようなものなんだろう。
その辺りはルネも申し訳なく思っている。
「ステラのオマケだよ。チャーリーはステラのことが好きだから、そのついでに僕のことも慕ってくれてるだけさ」
「ううううう……そうなのかな? ボクがしょっちゅう怒るから、嫌いになったってわけじゃなくて?」
「ステラを嫌う子がいるもんか。ここの子供達はみんなステラのことが大好きだよ」
「ル、ルネくん……!」
そう言うとステラは瞳をうるうるとさせ、キラキラと輝かせる。
相変わらず単純……もとい。純粋な子だ。ルネの言葉に疑い一つ見せず、不安を感涙一つで流し尽くしていた。
「だったらボクもルネくんには負けてられないね!!」
と、ステラは院に向かってダッシュする。
「シスターの手伝いをしてくるから!! どっちが『真のお姉ちゃん』になれるか、勝負だからねええええええええ!?」
どどどっと離れて行くステラにルネは苦笑する。
真のお姉ちゃん勝負なら最初から完敗だろうと。せめて『真の年長者』くらいにしてくれと。
「――上手く誤魔化せましたね?」
が、すかさずそこに冷めた声が差し込む。
「やはり悪い男です。チャーリーのみならず、ステラさんの純粋な御心まで騙して操ろうとは、万死に値しますね」
「…………そんなつもりはないってば」
「ええ、貴方にそんなつもりはないのでしょう。だからこそ厄介だと思ってるのですが?」
ステラが帰っていた以上、同行者も然りであった。
リジーは一切絆さらされることなく、じっとルネを睨みつけている。
「チャーリーから聞きました。先日の旧水道崩壊の折に、貴方が『すっげー魔法を見せてくれた』と」
「…………へえ? それってどんな?」
「バチバチーってして、ビューンと走り去っていったそうです」
「…………」
子供らしい表現だとルネは思った。
或いは理解の範疇を超えているから、そうとしか言い様がないのか。
「貴方は一体何をしたんです?」
「…………考え過ぎだよ」
そこにルネは一歩先回った否定から始めた。
「僕は妙なことを企んじゃいない。ましてやステラに危害を加えようなんてことは、これっぽっちも」
「…………」
リジーはずっと自分を疑っていて、何なら嫌ってさえいるとルネは思っている。
記憶喪失という嘘を疑われることも当然だ。だからこそ先日の一件も、リジーの警戒心を強めるに過ぎなかったんだろうと感じながら――
「ふぇ?」
リジーに頬をぐぐぐっと引っ張られる。
「ふぁ、ふぁの? ふぃじー? (あ、あの? リジー?)」
「…………」
「い、いふぁいから、はなふぃてふれないふぁな? (い、痛いから、離してくれないかな?)」
「……………………」
ジトっとした目は、ルネに思い違いを悟らせる。
疑いというよりかは……苛立ちともどかしさを折半したかのような……なんというか、複雑な色を宿していた。
「もう一度聞きます」
やがてリジーは手を放し、胸元に添えて、すぅはぁと深呼吸を挟んだ後に言う。
「貴方は何をしたんです? チャーリーの語っていた言葉の意味は?」
「あ、ああ」
ルネは頬を擦りながら続ける。
要は純粋に『あの移動』のことを聞きたかったんだろうと、そう思い直しながら。
「たぶんチャーリーの見間違いだったんじゃないかな?」
「見間違い?」
「うん。あの子もパニックだったから、そんな風に見えちゃったんだろうね。もちろん僕は全力で走ってたし、無我夢中だったことは認めるけどね?」
と、ルネは説明した。
事実ではないが、そう言った方が余計な疑いを生まないと判断したが故である。
何せあの時使った魔法は――どう説明していいのかルネ自身にも分からない。
少なくとも現代人が培ってきた技術からは外れており、それを会得した経緯を問い詰められるのが容易に想像出来る。
経緯とはそれすなわち、400年前のことだ。
何時か信じてくれるようになったら話すつもりだが、今がその時ではないと思った。
ルネはステラを失望させたくないし、リジーに頭の病気を疑われたくはないのだ。
「本当に?」
「本当だよ」
だからしつこく問われようとルネは撤回しない。
「ソウピア様に誓って?」
「まぁ……うん」
この院で崇められているソウピア様とやらの仔細は知らないが、一応は頷いておく。
「嘘吐いたら針千本を」
「飲むよ」
「爪の隙間に捻じ込みますが、それでもよろしいですか?」
「って怖いわ!! なんでそんなリアル拷問くさい表現なの!? ま、まさか本当にするつもりじゃないよね!?」
「嘘じゃないなら問題ないでしょう? まぁ仮にそうだったら……ふふっ」
「や、いや、その、ほんとに、本当に知らないから!! か、仮に何かの間違いで嘘と認定されたとしても、お、お願いだから、そういう痛そうなやつは!!」
と、わりと本気でビビリ始めるルネに対し、
「冗談です」
リジーは淡々と言い返す。
「まったく何を怖がってるんだか。私が本当にそんなことをする人間に見えましたか?」
「…………」
さもありなんと思ったことは、言葉にしないでおいた。
「あと寝ぐせ」
「え?」
「ずっと跳ねてるのに、鏡も見てなかったのですか?」
言われて自らの頭に触れ、ルネは気づく。
後頭部にぴょこんと尻尾が立っていることに。
「これから今後の方針について話し合います。それまでに直しておきなさい」
それだけを言い残し、リジーもまた院の中へと帰って行った。
「……………………」
ルネは井戸に向かって歩き、桶で水を汲み上げる。
指で触れるとひんやりと冷たい。そのまま軽く掌ですくって後頭部にかける。爪を櫛に見立てて梳かそうとするも、中々頑固な跳ねっぷりであった。
だから更に多くの水をすくおうとして――見てしまった。
透き通った水面に映る自分の顔を。その背後にまとわりつく
「うっ……ぷ………!!」
咄嗟に口を押さえた。吐きそうになったのを必死で堪えた。
ぶわっと湧き上がる脂汗が額に滲み、頬を伝い、顎からポタポタと地面に染みを作る。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
あれは夢だ。これは幻覚だ。彼女達がそこにいるわけがない。
ルネは自分にそう言い聞かせつつ、もう一度恐る恐る水面を覗く。
実際にその通りだった。そこに亡者の列はなく、ただただ疲弊しきった男の顔が映っているだけだった。
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