ぜんぶ貴方の所為
小高い丘は色鮮やかな花に包まれていた
右手を見れば緑と桃、左手を見れば黄と赤。その先にはまた……と、カラフルな絨毯が何処までも広がっている。
一方で空は灰色に染まっており、誰一人としてすれ違うこともない。
起きていながら寝静まっているような、揺れぬ花びらを横目で見ながらルネは歩き続ける。
「こんにちは」
と、しばらく歩いてようやく人を見つけた。
花の手入れをしている老婆である。彼女はルネの存在に気付くと、皺くちゃの口元をニコリと微笑ませる。
「大変そうですね?」
「いえいえ、好きでやってることですから」
彼女は滴る汗を拭いながら言う。
虫よけのつもりなのか、深く被った帽子からはネットが伸びていて、顔の半分が隠れていた。
「僕でよければ、何かお手伝いできることはありますか?」
「そうですか。なら少し休憩がてらに、この老いぼれと世間話にでも付き合ってくれますか?」
そう言って老婆は足元にシートを広げ、ティーポットとカップを二つ用意する。
周囲に火の下は見当たらないが、渡されたお茶には湯気が立っていた。
「昔は小さな花壇を作るくらいで満足だったんですが、気づいた時にはこんなに大きくなってしまって」
「まさか、この量をお一人で?」
「如何せん他にやることがないものでしてねえ。道楽のようなものですよ」
「にしても凄い……一体どれだけ時間をかければ」
「五十年くらいですかね」
「ごじゅっ」
ルネは言葉を詰まらせる。
道楽にしたって度が過ぎていると思った。
「いえいえ、本当にやることがないだけなんです。二十そこそこで目標を見失ってからは、使いきれないお金と長いだけの時間を持て余していて」
が、それでも老婆は何てこともないように微笑みを崩さず、
「あ、良ければお菓子もどうでしょう? 若い方のお口に合うかは分かりませんが」
何処からともなく取り出したクッキーをルネに手渡す。
浅い黄金色をしているものの、ザラザラともツルツルともしていない。
「それで話を戻しますが、私にはかつて将来を誓い合った男の子がいました。ちょっと怖がりだけど冒険好きで、察しは悪いけど気は優しくて、頼りなさそうでも芯は通っていて、そして……誰よりも勇敢な人だった」
「その御方は、今は?」
「何処かへと消えてしまいました。私にも、仲間にも相談せずに」
「…………」
「今は何処で何をしてるんでしょうね? ずっと待っている内に、すっかりお婆ちゃんになってしまいましたが」
気まずさから目を逸らすように、ルネは貰ったクッキーを口にする。
しかしそこには味も触感もない。砂を噛んでいるかのように何も感じられない。
「おや残念。これでも大味だった昔よりかは、上手になったつもりなんですがねえ」
表情で察したのか、老婆はくっくと喉を鳴らして笑う。
依然として目元は窺えず、口元だけをニンマリと覗かせて。
「ああでも――たった一つだけ、許せないことがあるんです。良いところも悪いところも含めて好きでしたが、一つだけどうしても受け入れがたいことが」
そうして腰を上げ、一歩近づいて来る。
「彼は私達に嘘をついていたんです。この旅が終わったらこうしたいああしたいと、仲間達で打ち明けあっていたんですが、彼だけはそうじゃなかった」
一歩、また一歩と近づいて来て、吐息が触れそうな距離になる。
ルネは後ずさろうとするも動けない。全身に重石が巻き付けられているかのように、視線さえも逸らすことが出来ない。
「ねえルネ?」
そして老婆は帽子を取りながら言った。
「どうして――私に嘘をついたの?」
「!?」
どれだけ変わり果てようと面影は残っていた。
勝気な目の形。クセっ気の強い亜麻色の頭髪。そして何時の間にやら、首からもペンダントが吊り下がっている。
「ソ……フィー?」
やっとの思いでルネが声を絞り出すと、老婆は――ソフィはニタリと口端を歪める。
「ねえルネ? どんな気分? 一人だけ平和な世界でのうのうと冒険するのは?」
「え……」
「楽しい? 新鮮? それとも年下の女の子に守られて、ちょっぴり恥ずかしい?」
「う、あ…………」
「まぁどうだっていいけど、羨ましい限りよね? 私達はそうじゃなかったんだから」
ソフィはそこで初めてすんと、これまで浮かべていた表情を無に沈める。
「貴方がいなくなったせいで、みんなが好き勝手にしだした。生前の貴方の行為を、発言を都合のいいように解釈して、毎日のようにいがみ合うようになった」
「貴方が絶対的な英雄として、鶴の一声で諫めなければいけなかったのに。魔族の手から取り返した領土の問題とか、魔物がいた所為であやふやになっていた海域の帰属先とか。誰の所為でここまで被害が大きくなったとか、誰のおかげでこの程度で食い止められたとか。その責任を互いになすりつけ、功績を互いに主張して、世界がバラバラになった」
「なのに貴方がしたことは何? 『わが身を犠牲にして世界を救う』っていう耳障りの良い自己陶酔に浸りたいが為に、後々のことに目を逸らし、考えようともしなかった。ね……ほんとはどうでもよかったんでしょ? 私のことも、仲間のことも」
「ち、ちがっ!」
ルネは否定しようとする。
そんなつもりはない。そんなことになるだなんて夢にも思っていなかった。
ただ彼は救いたかっただけだ。大切な幼馴染のことを、家族同然の仲間のことを、自分の身一つで保証されるならって。
「違わないでしょうが!?」
が、すぐさまソフィの皺は憤怒に捻じれ、かつての彼女とは思えぬような形相へと変わる。
「私は貴方をずっと待っていた!! ずっとずっと!! 約束を守ってくれると信じてた!!」
「でも貴方は帰って来ない!! 何処を探しても貴方はいない!! どれだけ世界が荒れて、不審感に満ち溢れても知らんぷりだった!!」
「その間に――ねえ見てよ!? 私はこんなになったのよ!? 全身が皺くちゃでヨボヨボになって、今では一人で花を植え続けてるおかしな老人って言われて、惨めで、虚しくて、悲しくて!!」
「や、やめてくれ!」
ルネは耳を押さえて蹲る。
他でもない幼馴染の言葉は、誰に罵倒されるよりも遥かに鋭く、彼の胸を深く抉った。
「へえ? そうやってまた知らんぷりをするんだ」
そんなルネにソフィは肩を竦め、
「でも何時までそうしていられる? これを見ても?」
と言った。
するとどうだ? さっきまで咲き誇っていた花は萎れ、土へと帰り、瞬く間に底の見えない泥溜まりへと姿を変える。
灰色の空は山火事のような真紅に染まり、あちこちから轟くうめき声もあって、この世の終わりを感じさせる。
「ルネ……よぉ」
そしてゾクっと背が冷えた。
泥から這い上がってきた声は、聞き覚えのあるものだった。
「お前が、あんまり遅いもんだから。凱旋式に着て来る、予定の鎧、こんなにも、汚れちまった」
ぴちゃぴちゃと粘っこい液体が落ちる音。
ルネは意を決して振り返る。
するとそこには――首のないヴィルが、だくだくと血液を流しながら立ち尽くしていた。
「うわあああああああああ!?」
すぐさまルネは逃げ出す。
足元が泥溜まりの所為か上手く手足が動かない。何度も何度も転びそうになりながら、それでも一心不乱に離れようとして、
「おや――坊ヤ」
またしても聞き覚えのある声が、底から湧き上がって来る。
「今まデ、何処ニ、行っテタんだい? 随分と、探したヨ?」
上から下へと向けられるようなそれは、かつては安心出来る音色だった
ちょっと変わってはいるけれど、パーティの最年長として、先生として、精神的支柱になっていた。
「向コウ側に呑まれテ、ちょット、ツカレたけど、奈ニも、ナニモ、揉ンダイハナイぎwhんぢwdjf」
が、そんなブリジット先生の今はどうだ?
漆黒のシルエットから蛸のような足を延ばし、うねうねと蠢いている。
声色も低いのか高いのかも分からぬ、聞いているだけで不快感が湧き上がる濁音であった。
「あ、あああああああああああああ!!」
ルネは悲鳴を上げながら、また別の方向へと逃げ出す。
何処に向かっているのかは分からない。ただこの地獄から抜け出せるのであればと、延々とループし続ける風景の中、あるかどうかも分からぬ出口を目指す。
「あ、ああ、や、っと、みつけ、ました、よ。ル、ネ、さん」
それでも前に立ち塞がる。
これまで以上に途切れ途切れの訴えだった。
「お、いら、と、いっしょ、に、たか、たから、を」
しかしそれも当然だ。ラスターは凍結していた。
分厚い氷塊の中から、カクカクと人形のように顎だけを動かし、死んだ目でルネを見下ろしていた。
「ルネ、よぉ?」
「模ウや?」
「ル、ネ、さ、ん」
そうして気付けば三者に囲まれている。
首のない身体が、蛸のようなシルエットが、氷塊の中の男がじりじりと迫ってくる。
「ねえルネ?」
その合間を縫って、老婆が嗜虐的な笑みを浮かべながら近づく。
「ぜんぶ、貴方の所為だよ?」
「やめてくれ」
「貴方の所為でみんなこうなったんだ」
「やめてくれ」
「貴方が勝手にいなくなったから、みんなこんな最期を辿ることになって――」
ぽんと肩に手を降ろされる。
ルネはやっとの思いでそれを弾き、大きく息を吸って――
「もうやめてくれ!!」
「わっ!?」
と、そこで風景が切り替わった。
ぜぇぜぇと息を荒げながらルネは周囲を見渡す。
そこは泥溜まりの地面でも真っ赤な世界でもない。
ローズマリー聖護院の私室の、古くて頼りないベッドの上であった。
「え、ええとルネくん? お、おはよう?」
「あ、ああ……ステラか」
引き気味の彼女の顔を見て、さっきまでのことが夢だと悟る。
寝間着が汗でびっしょりだった。また洗濯物が増えるとルネは溜息を吐く。
「中々降りてこなかったから、起こしに来たんだ」
ステラは言う。
「随分とうなされてたみたいだけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと怖い夢を見ただけだから」
替えの服を手に取りながらルネは返す。
「怖い夢?」
「うーん……そうだな。一つ目のおばけにリンチされる夢っていうか」
「それってサイクロプス?」
「いいや。あれはサイクロプスじゃなかった。お城よりもずっと大きくて半透明だったから。臭い雑巾を口に捻じ込まれて、ロープで吊るされた挙句に、腹を半日ボコボコと殴られる夢だ」
「そ、それは恐ろしい夢だね」
と、適当に並べた地獄絵図をステラは信じてくれる。
彼女の能天気さと言うか、疑わないところがただただ有難かった。
だってあんな夢――誰にも話すわけにはいかないから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます