山分け


「まったく……貴方達と来たら……!」


 それは消防隊への報告と、地上まで逃げてきたブラックマーケットの商人検挙と、海に落ちた旧水道と現水路を完全に遮断するという、もろもろの後始末を終えた後のこと。

 聖護院にステラ達が帰る頃には、すっかり夜が明けていた。雨上がりの雫が太陽の光に反射して、宝石のように煌めく美しい朝である。


「確かにチャーリーを探しに行って欲しいとは言いました。ですが無茶までしろとは一言も言ってません。旧水道が沈みそうになっていると、そこに貴方達が取り残されていると消防隊の方々から聞かされた時、私がどんなに血の気を冷やしたか分かりますか? 分かりませんよね? えぇぇぇ貴方達は昔からそうですから」


 そんな美しき一日の始まりを、彼女達は正座と説教によって迎えていた。


「だ、だからシスター。それは不慮の事故があって」


「そ、そうですシスター・レオナ。救助を優先した結果というか」

 

 ステラとリジーは恐る恐る反論する。

 さっきまで散々絞られていたチャーリーはとびっきりのゲンコツを受けて、今は隣の床に沈んでいる。


「だから周りに助けを求めろと言っているでしょう!! ここは普段貴方達が探索している遺跡ではないのですよ!? 崩れそうになってると分かった時点で、何故通報しなかったのですか!? どうして非常用の道具すら用意しなかったのですか!? リジーさんもすぐ傍についていながらどうして!?」


「うぐ……」


「うぅ……」


 が、すぐに彼女達はたじたじになってしまう。どれだけ大人になっても、親からの説教というのは一定の貫録があるものだ。

 それに結果的ではあったが、焦る余りにストッパーとなるべきリジーも含めて、相手の罠にかかってしまったことは事実なのだから。


「シ、シスター・レオナ。チャーリーは勿論のこと、ステラもリジーも反省しているようですし、どうかその辺りで納めて頂けると」


 と、そこに別の修道女が割って入ってくれた。


「ルネ・フラワーズさんも深く眠っておられるようですし」


「ルネくん!! そうだルネくんだ!!」


 それを聞いた途端、ステラは勢いよく立ち上がる。

 立ち上がろうとして、足が痺れているのか、ちょっとだけふらつきつつもだ。


「ルネくんの様子が気になるから、お説教の続きはまた後で!!」


「ちょ、ちょっとステラさん!?」


 呼び止めるレオナを無視して、ステラは礼拝堂からルネの客室に向かって駆け出した。

 説教から抜け出すのに丁度良い言い訳ということもそうだが、ルネの様子が気になるのも嘘ではない。


 彼は地上に帰った途端、泥のように眠りこけていた。

 うとうととする前兆は一切見せず、パタンと気絶するかのようにだ。

 

 一時は肝を冷やしたステラではあったが、消防隊の見立てでは『魔力の枯渇』とのことらしい。しばらく寝かせていれば良くなるだろうとのお墨付きだ。

 ステラはそんな診断にほっとしたのも束の間、それはそれで良く分からなかった。リジーの見立てでは、彼は近道を見つけた筈なのだ。そこを全力疾走して、肉体的に疲れてはいるだろうが、魔力を消費する要因は何処にも見当たらない。少なくともステラの知る限りで、彼が操れる魔法の範疇では。


 そんなこともあって、彼の様子はずっと気になっていた。

 ひょっとしたら見えない部位の怪我とか、隠れた病気とか、そういうことがあるのではと。


「ルネくん、入るね?」


 そうして彼の部屋の前に来て、ステラは念のためにノックを挟んでから、ドアノブを捻った。

 その先で彼があどけない顔をして、眠っているだろうと思いながら――


「…………あれ?」


 が、そこには誰もいなかった。

 ベッドはあるものの、掛布団は裏返っている。

 開いた窓から流れ込む風が、主のいないシーツをばたばたとはためかせている。


「ルネ、くん?」


 しばしステラはぼうっとして、その場に立ち尽くしていた。



 どれだけ眠っていたのだろうかと不安になったが、それほど時間は経っていないらしい。

 ルネは街を散策し、ガラス張りの商店に貼られているカレンダーを眺めながら、そう思った。


 ここの店主は毎朝夜明け前に目覚めてカレンダーを捲る。そういったルーチンがあることをルネは知っている。

 それから街の中央に伸びている時計台を眺めれば、刺している針から時間が逆算出来る。

 おおよそ八時間三十分。時間という概念が大まかであった400年前を思うと、我ながら現代感に少しづつ馴染みつつあるのだと思う。


「でも……ああ……」


 それでもルネの身体はダルさを訴えていた。

 全身が筋肉痛だ。歩いているだけで節々から悲鳴が上げる。

 リハビリが必要だと外を散策してみたものの、百メートルも進まない内にゲンナリとしてしまう。


「まぁ……無理はないよね」


 独りごちつつ、同時に『この程度で済んで良かった』という気持ちも湧き上がった。

 見よう見まねのぶっつけ本番で、とんでもない無茶をして見せた。五体満足であるだけで十分だと思いつつ、


「おーいルネット! 元気そうじゃんか!!」


 と、通りすがろうとしたテラス席から声をかけられる。


「おいおいどうしたんだよ? 俺だよ俺!」


 馴染みない偽名であったから、ほんの一瞬振り返るのが遅れた。

 物々しい武器や薬の類は外しているが、伸ばしっぱなしの無精髭は変わらない。


「フェイ・ボールドウィン……」


「お? ちゃんと名前を覚えててくれてたか?」


 ルネの返事に男は機嫌を良くして、酒瓶をくいっと傾ける。

 衣服は水と泥で汚れている。あれから家にも帰らず、ずっと飲んでいたんだろう。


「にしても良かったよ。ガキは無事で、姉ちゃん達も無事で、ブラックマーケットの連中も……まぁ豚箱にはぶちこまれたけど、命まで落とさなかっただけで儲けもんだからな」


「…………」


「それに俺もだ。まさかあの姉ちゃん達が連邦のトレジャーハンターだったとはなぁ? アンタに協力しなきゃあ、俺も今頃は豚箱行きだったって思うと、やっぱりツイてるって話であって――」


「どうして?」


 そこでルネは言う。

 あの時のことを思い出しながらだ。


「どうして君は僕達を助けてくれたの? 僕があそこが沈むって訴えると、すぐに警鐘を鳴らしてくれた。それにチャーリーまで預かってくれて、彼女達の脱出を手助けしてくれた。誰も死なずに済んだのは君のおかげだ」


「…………」


「だからってわけじゃないけど……君のことだけはブラドルニアの警察組織にも訴えなかった。彼女達が帰って来る頃には、一足先にトンズラしてたってこともあるけどね? でも、だからと言って……」


 ルネには分からなかった。

 チャーリーの捜索を買って出てくれたこともそうだが、どうしてスカベンジャーがそこまで献身的になってくれるのだろうと。


「ま、サービスってやつだよ」


 そこにフェイはくくっと胸を上下させながら返す。


「兄ちゃんは見るからに『無知なお人良し』って感じだからなぁ。そういう奴には優しくしなきゃあ、うちらの取り決め的にバチが当たっちまう」


「取り決めって……」


 それは以前にも聞いたことだ。

 決められているからそうしているのだと。


「それって、なんの?」


 だったらそれは誰か? 誰に決められたものなのか?

 如何にもアウトローと言った彼を、ここまで従わせる掟というものは?



勇者盗賊ブレイブシーフ団の取り決めだよ」


「――――」



 ルネは言葉を失った。

 今なんと? こいつは何を口にしたのかと。


「ブ、ブレイブ……ブレイブシーフ団だってぇ!?」


「わっ!?」


 直後、ルネは胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄る。

 それもそうだ。何せここに来て、一言一句違えないワードが飛び出してしまったのだから。


「ブレイブシーフ団って――あのラスターが言ってた!?」


「な、なんだよ詳しいじゃねえか。大団長の名前を知ってるだなんて」


「ラスターを知ってるの!? 彼は何処にいるの!? ねぇ何処に!?」


「ちょ、ちょっとアンタ落ち着けって!!」


 矢継ぎ早に捲し立てつつ、ルネの心には光が指していた。

 これまでずっとニアピン続きでありながら、遂に辿り着けたと歓喜した。

 同時にそれは皮肉なことでもある。正史はとことん捻じ曲がっていながら、イリーガルな連中だけが正しい歴史を受け継いでいるのだから。


 閑話休題。 

 ともあれ、ラスターと会えたらどんなことを話そうか?

 積もる話は幾らでもある。でもそれより先にすべきは再開の祝杯だ。

 ああでもでも。彼も自分もそこまで酒は強くないから、グルメにすべきだろうか? 彼は盗賊でありながら甘い物が大好きだった。現代のスイーツと紅茶を並べて、ティータイムに勤しむことも悪くないのではと、ルネの濁流のような思考がそう訴えて――


「400年前の人間に何を言ってんだよ?」


 途端、すぐに現実を思い知らされる。


「昔の人間だよ。会うも何もとっくに死んでるし、俺も見たことはない」


「…………」


 ルネはぺたんと尻餅をつく。

 400年という月日を改めて思い知らされる。


「っ……」


 が、そこまではまだ耐えられた。

 冷静になって考えると当然だ。ラスターが今も生きているわけがない。


「ラスターは……その、君達の団長は……」


 ルネはもごもごとして、言葉を選びながら言った。


「幸せ、だったのかい?」


「はぁ?」


「そ、その! 実は僕もトレジャーハンターで、彼の軌跡を調べてるんだ!! かつて大勇者の仲間だった彼が、どういう余生を歩んだのかって、色々と気になることがあって――」


「いやいや、適当な嘘を吐くなよルネット。ラスター大団長が勇者パーティだったなんて話、うちらの何処にも伝わっちゃいねえぞ?」


「え?」


「自分で言うのもなんだけどよぉ、なんだって犯罪者が勇者の仲間になんてなるんだ? 仮に百歩譲ってそんな記録があったとして、残したいなんて誰も思わねえだろ」


 言われて、ルネはステラの話を思い出す。

 時折聞かされる『ルド・ロードブローグ』の英雄譚に、盗賊という単語は一つもなかったことを。

 それはまだ教えられていないだけなのか、或いは『意図的に抹消されたから』なのか。

 いずれにせよ、だ。


「昔のことだからどんな感じだったかは分からねえ。でも少なくとも、あの死に方は楽しいもんじゃなかったろうな」


「――――」


 死んだ。死んだ。死んだ。

 直接的なその言葉が、ルネの頭をぐるぐると周回する。


「大盗賊ラスターの最期は雪山に消えた。危険だと分かってながら付き添いも連れずに、たった一人で」


「な、なんで?」 


「そこにお宝を見つけたからだって聞いてる。大団長は個人的な資産をどれだけ溜め込もうと、満足しなかったらしい」


「だから! なんで!?」


 ルネは狂ったのように叫ぶ。

 そんなこと、ラスターらしくない最期だと思った。

 どうせなら彼はもっと盗賊らしく自己中心的で、思うがままに振舞った最期であってほしかった。


「理由は分からないが、言葉は残されてる」


 そうでなければルネは――これまでしてきたことは――


「山分けだからってよ。何時か文無しで帰ってくるバディの為にって」


 しかし、それでも聞きたくない言葉が突き刺さる。


「山分けってのは平等の証。蓄えてなきゃあ取引にならないからって……だから大団長は血眼になって宝を求めてたって聞いてる。誰かに半分を上げる為にな」


「――――」


「羨ましい限りだよな? そうまでしてスカウトしたいって、大団長に思わせた何処ぞの野郎ってのは…………っておいアンタ、泣いてるのか?」 


 ルネは泣いてないと訴えようした。

 しかし次から次へと溢れ出る感情が、言い訳を潰してしまう。


「ああ――ラスター」


 そこでカチリと、心の中でハマったような気がした。

 ずっと目を逸らしていた決定的な何かが、遂にはルネの奥底で。

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