リジー・チェンバースの郷愁


「脱出は……難しそうですね」


 ルネとチャーリーの気配が去った後、リジーは上を見上げながら溜息を吐く。

 ルネの見立ては当たっており、二人が落ちた先は深く、大きな空洞となっていた。

 古くは海へと放流する為のポンプ場として使われていたのだろう。ランプの光を向けると、残骸らしき設備が打ち捨てられていた。


「直接飛ぶのは無理だけど、これを足場に昇って行ったらどうかな?」


 と、ステラはそんな残骸に足を乗せようとした。

 しかしそうした途端に根本から崩れ落ちる。完全に朽ち果てていて、人の体重に耐えきれるものではなかった。


「他に出口はなさそう? もともと施設として使ってたならさ」


「探して見ましたが、元の入口は瓦礫で塞がっていました」


「そっかぁ……」


 言って、ステラはその場に腰を下ろす。

 そしてリジーも同じように座り込み、彼女の傍で肩を預け合う。


「残念だね」


「ええ残念です」


 が、二人は落ち着き払っていて、悲壮感は微塵も感じさせない。

 お人よしで向こう見ずなステラと行動を共にしている以上、こんなことはこれまで幾度となくあった。リジーはそんな彼女と好き好んで一緒にいるのだから、否応がなしに慣れざるを得ないのだ。


「ですが手段はあります」


 そしてまったく手がないわけでもなかった。

 どんな状況であろうと、生存を諦めるという行為をリジーは良しとしないのだから。


「うんうん、是非聞かせてくれ♪」


 そんなリジーのことを理解しているのか、ステラは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。

 能天気な顔に頭痛を感じつつも、リジーは身に纏った黒衣の中からガラス試験管を取り出した。


「私のありったけの薬剤を使い、塞いでいる瓦礫を爆破させます」


「え、でもそれって」


「ええ、ここが崩れるのを早めるでしょうね。ひょっとしたら爆破した時点で海水が雪崩れ込んでくるかもしれない。それに運よく耐えられたとしても、地上までのルートは分かりませんし、そもそも道が繋がってるのかどうかさえ定かじゃない」


「……無事に脱出できる確率は二割くらい?」


「一割以下ですよこんなもの」


「ま、まぁ少なくともゼロじゃないんでしょ? だったら絶対にイケるよ! 絶対に!!」


 吐き捨てるリジーであったが、ステラはまるで成功を信じて疑わないかのよう。

 

 あぁそうだ。もう一つ理由があった。

 こんな楽観主義者が傍にいるから、リジーはおちおち凹んでもいられないのだ。


「ともあれ――それはルネさんとチャーリーが脱出した後のことです」


「だね。万が一決壊しちゃったら、二人を巻き込んじゃうもんね」


 どうしても破壊を伴う以上、彼等が脱出するまで行動に移るわけにはいかない。

 それを踏まえた上で、それはそれとしてだ。


「五分ここで待ちます。あの虚弱な男でも全力で走れば安全地点まで辿り着くことでしょう。まぁとは言っても? あの男は頭も良くなさそうですから、道に迷ってなければいいのですが。あんな馬の骨の命はどうでもいいですが、せめてチャーリーだけでも外に――」


「ねぇリジー?」


 と、憎々しくぼやくリジーにステラが口を挟む。


「思ってもないことを口にするのはやめなよ。リジーにとって死んでいい人間なんていないでしょ? 怪我をしてれば誰だって治そうとするのがリジーじゃんか」


「…………」


「前も聞いたことだけどさ……リジーはルネくんのこと、嫌いなのかな? ボクは良い子だって思ってるんだけど」


「…………嫌いです」


「…………そっか」


「ですが……憎いわけではありません」


 それはリジーの本音だった。

 決して憎いわけではないが、リジーはルネという在り方が許せないのだ。

 

 気が置けないステラとの二人旅に挟まられることは――まぁそれはそれで気に食わないことではあるが――彼女にとっては微々たる理由でしかない。

 なにせ彼女達が所属する24号班は大所帯である。今は資金難が原因で二人一組に散ってはいるが、元々は個性豊かな男女が入り乱れる小隊パーティであるのだから。


 では何故そう思うのか?

 そこにはリジー・チェンバースという女の出自が関わっている。


 かつてブラドルニア市街のお屋敷で暮らしていたリジーの父は、彼女と同じく腕の優れた調合師ブレンダーであり、『境界なき連邦医師団』に所属していた。

 国内外問わずに紛争や疫病が蔓延すれば、真っ先に飛び込み治療に当たる仕事だ。故に世界中を駆け回っていて、家に帰れることも滅多になかったが、それでも幼きリジーは父を尊敬していた。

 使用人に言われるまでもなく勉学に励み、家族が傍にいないことの寂しさを訴えず、何時かは父のようになりたいと思っていた。


『リジー。今度は特に長い仕事になりそうなんだ』


 が、とある日のことだった。

 二ヶ月ぶりに家に帰ってきた父は、彼女を存分に甘えさせ、積もった話を嬉しそうに聞いて、勉強で分からないところを事細やかに教えた後で――そう言った。


『連邦の外――外界の一国で内戦が起こった。ゲリラは政府への怨嗟に駆られて、無関係な民間人にも被害が出ている』


 今になって思えば、父は死を覚悟していたのだろう。

 或いは自分と同じ道を志す娘に、偉大な背中を見せたかったのかもしれない。


『だから続きはまた帰ってきた後で。それまでにパパを驚かせるくらいに賢くなりなさい』


 そうして父は家を去って、そのまま帰ってくることはなかった。

 死を伝えにきた軍人の誰もが涙ながらに言った。

 貴方の父上は立派だった。身を挺して無垢な市民を救った。歴史に残るべき英雄だったと。


 が、一人残されたリジーからすると、そんなことは慰めにもならなかった。

 英雄じゃなくてもいい。惨めでもいい。たとえどんなに後ろ指をさされようと、リジーはたった一人の父に帰ってきてほしかったのだ。



「なにが――『死んだ方がマシだ』ですか」



 故に今のリジーも強く思っている。

 たとえどんな理由があれ、命を自ら投げ捨てる行為は、何よりも馬鹿馬鹿しいことなのだと。


「死んだ方がマシなことなんてありません。プライドだか何だか知りませんけど、後に残された人のことを考えなさい」


 その悪態は、かつてのルネの発言に対して向けられたものだった。


「記憶喪失のクセして……何をそんなに偉そうに……」


 恨みがましく吐き捨てつつ、自らを記憶喪失と名乗る男のことを思い出す。

 最初はステラを騙す為の嘘かと疑っていたが、IDを所持していないどころか、街や機械と言った些細なことにも驚いている様子から、本気ガチなのだと彼女は知った。


「怖いんでしょう? 不安なんでしょう? だったらもっと、それらしく振舞いなさい……!!」


 されどルネは、自ら危険へと飛び込んだ。

 見てくれは大人しそうで、トラブルが好きそうな性格ではない。度々盾になろうとはするが、一方で彼女達の実力には恐れ慄いていて、英雄願望が強いようにも見えない。

 怪我をすれば痛がり、敵を前にすると冷や汗を流し、少なくとも自分を妄信しているわけではないのに……それでも彼はこう言ってのけたのだ。


『それがより良い結果になるなら――死んだほうがずっとマシだ』


 それは自分達の仲間に加わる為に、彼が吐いたセリフだ。

 あの時リジーの背はぞっと冷えていた。

 だって彼の目は強がりの類でもなければ、強い言葉で誤魔化そうというものでもない。

 まるで、本当に死んだことがあるかのような説得力があって――


「だから……私は……」


 それが受け入れ難くて、どうしても強く当たってしまう。

 死はリジーにとって絶対的かつ、受け入れがたい暴力の化身なのだ。

 故にそれを当然のように天秤にかけてしまうルネのことを、本心では悪い人ではないと察しつつも――


「うん、そっか」


 と、そこでステラが安心したかのように微笑む。


「どうして、ですか?」


 すかさずリジーは言い返す。


「私は私の勝手な理由でルネさんを嫌って、ステラさんにも余計な心配をかけたのに」


「うーん……嬉しいから、かな?」


「嬉しい?」


「ルネくんが無理ーって思うのはやっぱり残念だけど、それでもリジーはリジーだって分かったからさ。誤解やすれ違いが原因じゃないって分かっただけでも十分だよ」


「なんですかそれは……」


 ステラさんのクセに、とリジーは頬を膨らませる。

 

「それにルネくんの悪癖にはボクも思うところがあるからね。彼は自分の命を雑に扱い過ぎだよ。あとお節介焼きだし、頼まれたら断れなかったりとか」


 いやお前が言うなと思いつつ……不意にリジーはもう一つの想いに気付く。

 要素要素を並べていくと、彼は不思議と『何処かの誰かさん』に良く似ており、それもあって気に食わなかったのだと。

 

 しかし不思議なことだ。

 どうしてそうなのだろう? 彼が彼女に似たのか、それとも彼女が彼に似たのか?

 どちらも考えにくいことだが、何故だかリジーには答えがあるような気がしてしまう。


「リジー、そろそろだよ」


「っ……はい」


 が、その思考は中断される。定めていたタイムリミットが過ぎたのだ。

 だったら後に待っているのは賭けの時間だと――リジーは指の間に何本もの試験管を挟み込む。


 地鳴りはさっきよりも強く、海水が足元をから這い上がって来ている。

 故にどうしても最悪のヴィジョンが浮かんでしまう。自分が爆破した結果、溺死してしまう未来だ。

 リジーは自分の選択を後悔しないが、死は一倍恐れている。それも自分以外の誰かを含むとなれば尚更のことに


「大丈夫だよリジー。きっと上手くいく」


 と、そんな震えた指先をステラの掌が包む。

 

「予感がするんだ。これまでがそうであったように、今回もきっとそうだって」


「…………根拠は?」


「勇者の勘さ。ボクのガットがそう言ってる」


 くすっとリジーは笑った。

 そんなものは根拠でも何でもない。むしろ狂人の戯言に等しい。


「ではいきます。衝撃に備えてください」


 が、それでもリジーの震えは止まっていた。

 試験管を瓦礫に向かって投げつけ、彼女が配合した『限りなく水に近いポーション』をぶちまける。


「バース――」


 そして呪文を唱えれば終わりだった。

 道が開けるのか、或いは水に沈むのか。

 リジーはどちらになってもいい身構えをしながら――


『おおおおおおおおおおおおおおい!!』


 と、上から叫び声が響き渡った。

 リジーは寸前で呪文を止め、ステラと顔を見合わせる。

 まるで鏡を見ているかのようだと思った。口を半開きにして、目を点にした、何処までも気の抜けた状態が。


『ステラぁぁぁぁぁぁぁ!! リジーぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!! そこにいるならコレに捕まってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』


 そして続けざまにぶらんと縄梯子が落ちて来た。

 見るからに丈夫そうで、しっかりと固定されているのか、ステラが足を乗せてもビクともしない。


「「…………」」


 二人は無言のまま頷き合い、それを昇った。

 内心は混乱しきっていて、声すらも出なかったのだ。

 

 どうして彼がここにいるのか? どうして帰って来たのか? どうして戻ることが出来たというのか?

 自分は夢を見ているのではないかと、リジーは梯子を上がりつつ、何度も何度も頬を抓りながら――


「よ……よかったあああああああああああ!」


 と、元の道へと戻ってきた直後だ。

 安堵に腰を抜かすルネの姿に、まさしく現実の光景なのだと思い知らされた。


「ル、ルネくん! これって!?」


 ステラは道具一式を見下ろしながら言った。

 災害救助用のキットだ。少なくともここに来る前は持ち合わせていなかった。

 すなわち彼は一度地上に戻って――ブラドルニア消防隊にでも訴えてから――また戻って来たことを意味している。


「い、一体……どのようにして……」


「そんなことより!!」


 フラフラと覚束ない足で立ち上がりながらルネが遮る。


「もうここは限界だ!! チャーリーは先に外に預けて来たから、早く!!」


「っ!?」


 ――ズドドドドドドドドド!!


 地鳴りがまた一層強まり、ガラリと剥がれ落ちた落盤が、さっきまで開いていた穴を埋め尽くす。

 まさしく間一髪だったのだ。もしもあそこに残っていたらと、リジーはたらりと冷や汗を流す。


「行こう!! 捕まって!!」


「ス、ステラ!?」


「ちょ、ちょっとステラさん」


出力全開オーバードライブ!!」


 右手にリジーを、左手にルネを抱えて、ステラは地下道を全力で駆け出した。

 弾丸のような速度と、大砲から発射されたかのような浮遊感は、何時まで経っても慣れないものだ。

 なにせ彼女の出力全開オーバードライブは広い連邦でも屈指のものだ。積んでいるエンジンが桁違いであり、同じく実力者のリジーであろうと、小脇に抱えてて飛び跳ねられると多少は酔ってしまう。


(でも……)


 それでもとリジーは思った。

 まだ遅い。自分達という重しを背負ってはいるものの、たった五分の間にここから地上までを往復する速度には遠く及ばない。


(ルネさん……貴方は一体……?)


 しかし右手側に目を向けると、彼はこのジェットコースター状態にすっかり目を回していた。今にも吐き出しそうなくらいに顔を真っ青にして、両手で口を押さえている。

 とてもステラ以上の出力で駆け抜けた男とは思えない。きっと自分達が知らない近道でも見つけていたんだろうと、リジーは己に言い聞かせる。


(だったら目を回す前に、私達にそのルートを教えなさいっての)

  

 通り過ぎていった道が次々に崩れていき、奥から海水が洪水のように迫って来る。

 それと同時に前方には誘導灯のような光が点々と続いており、彼女達が近づくと同時に動き始める。

 遭難者誘導用の小型オートマタだ。小さな八つ足を忙しなく動かし、地上までのルートを先導してくれている。

 

 ――予感がするんだ。これまでがそうであったように、今回もきっとそうだって。


 ――勇者の勘さ。


 さっきまでしていた話をリジーは思い出す。

『勇者』というのはかくも恐ろしいものだと、彼女は失われつつある旧世界に向けて、大きな溜息を残した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る