ブラドルニア旧水道


「何故着いて来たのです?」


 深夜の雨雲に覆われたブラドルニア市街は、ほとんど人通りがなかった。

 ざぁざぁと雨が忙しなく水面を打ち、見るからに川の波を荒げている。

 それでも一向に氾濫する様子が見られないのは、街全体に備わった装置とやらによるものなんだろう。


「貴方に何が出来るのです? 足手まといだと言っているでしょう?」


「そ、それでも何か出来ることくらい!!」


「ありません。最悪は戦闘にもなります。命が惜しければとっとと院に帰って、大人しく待っていることです」


「惜しくない!! これっぽっちも!!」


 そんなどしゃぶりの中で、ようやく追いついたルネと、それを蔑んだリジーが言い争う。

 ルネは思う。あの時の言い争いが原因だとすれば、自分にも責任の一端があると。

 

「だからどうか頼む!! 僕にも手伝わせてくれ!」


「っ!!」


「戦闘になったら庇わなくていい!! どうか容赦なく見捨ててくれ!! ましてやそれが僕のミスが原因なら!!」


 ルネは勇者だ。ずっと勇者として生きて来た。

 そんな自分が間違いをしてしまったら、それは正さなければならない。過ちの責任は何としてでも果たされなければならない。


「どうして……貴方は……!」


 そういった思いで、感情のままにそう捲し立てたところで、リジーが口を噤む。

 納得はしていないと言った様子だ。どうすれば分かってくれるだろうと考え始めたところ、


「もうっ!! 仲間内で争って場合じゃないでしょう!?」


 と、ステラに怒鳴られた。


「そんなことより今はチャーリーのこと!! 喧嘩なら後で幾らでも出来る!! そうじゃないの!?」


「す、すいません……ステラさん」


「ご、ごめん……ステラ」


 まさに鶴の一声だった。

 二人は言い争いを止めて、余計な思考をも断ち切った。


「分かってくれたならいいんだ。ボク等は仲間なんだから」


 そう言ってステラは手すりを乗り越え、水路付近の足場へと降りる。

 それから橋の下の暗がりまで進み、足元の蓋をぐぐっと動かす。その先には梯子が伸びていて、底の見えない暗がりが広がっていた。


「じゃあ行くよ? 何が待ってるか分からないから武器は構えて。ルネくんは鎧を着てないし、出来るだけ後ろに下がってるように」


「はい」


「う、うん」


 二人の頷きにステラはにっと微笑むと、開いた穴に向かって躊躇いもなく飛び降りる。

 続くリジーも同様だ。底までの高さを知っているのか、或いはこの程度の高さなど何ともないのか。


「…………」


 が、ルネはそのどちらでもない。

 梯子に手をかけ、一歩一歩慎重に足を降ろしていく。

 底までは思ったよりも深い。カツンカツンと自らの足音が木霊し、怪物の腹の中へと飛び込む気分だった。


 月明りもない夜の地下道なのだから当然だが、足が硬い地面に触れる頃には真っ暗だった。

 それに生ゴミと排泄物が入り混じったかのような強い刺激臭が漂い、水の勢いも地上より激しく感じられる。ドドドドッと滝のような音が遠くから聞こえていた。


「旧水道の入口はここから西に700メートルほど進んだ先にあります」


 と、リジーがオイルランプを灯しながら言った。

 もう片方の手で広げているのは地図だ。この迷宮のように入り組んでいる地下道の縮図が描かれている。


「ですがその先はほとんど地図が役に立ちません。あそこは300年前から200年前にかけての無計画な増設工事によって、誰も全容を把握できないまま現水路と隔離され、区画ごと廃棄されている」


「だからこそスカベンジャーの、ブラックマーケットの温床にもなってる。それも遺物美術館がある、このお膝元で聖遺物の取引だなんて嘆かわしい限りだね」


「最終的な買い手がそこにいるからですよ。今ある展示物の幾つかも、そこで取引されたものだという噂があるくらいです」


 先を進みながら、リジーとステラが言葉を交わす。


「いつか一斉摘発したいって思ってるんだけどね。ブラドルニア市はどうにも腰が重くていけないや」


「ステラさん、余計なことは考えないで下さいよ? 旧水道はそもそもが耐久年数を過ぎていて、本来は立ち入り禁止となっているのですから」


「分かってるってば。今回は飽くまでチャーリーを連れ戻すこと。ボクが言ったことだからね」


「ええ、そうしてくれることを願っています……っと、ここですかね」


 そこでコツコツと早足だったブーツの音が止まる。

 行き止まりにあったのは扉ではなく蓋だった。地上と同じような……ではなく、明らかに錆び切っている。

 湿気の腐食によって柿色に染まり切ったソレは、リジーが軽く持ち上げようとしただけで真っ二つに折れてしまった。


「やれやれ……市に新しい蓋を要求しなければいけませんね。それも丈夫な鍵がついたものを」


 などと呆れつつ、二人は更なる暗がりへと飛び込んだ。

 その後で今度はルネも同じようにした。梯子も酷く柿色に染まっていたからだ。

 

 そうして地面に着地して、ジンジンとする足を擦りながら前を向く。


「なんだ……これ?」


 ルネはそこで顔をしかめる。

『隔離されている』や『廃棄されている』といった談の通り、生活排水は確かに流れていない。

 しかしポタポタと壁や天井から水滴が落ちている。ほのかな塩の香りから、それが海水であることが分かる。ひんやりとした空気が外とは一線を画していて、まるで水中にいるかのように思えた。


「思った以上に劣化が激しいようですね」


 と、そんなルネの感想を補足するかのように、リジーが眉を曇らせる。


「海水が溢れて来ています。戦闘など行おうものなら、決壊して一気に溢れる可能性がある」


「――――」


 そういえば、とルネは思い出した。

 潟湖に建てられたこのブラドルニアという街は埋め立て地ではなく、特に西側は海の上に浮かんでいると聞いた。

 だったらその地下は? そこから更に地下に潜ってしまったら? ほとんど海中に等しいのではと、ルネの背に冷たいものが走った。


「ほ、ほんとにこんなところに、チャーリーがいるの?」


「分かりません。ですがほら」


 焦るルネに向かってリジーが遠くを指差す。

 通路はこれまでと違って完全な暗闇ではない。自分達とは別の誰かが光を灯している。


「ブラックマーケット……スカベンジャーかな?」


 と、ステラがガチンと剣を構えようとした。


「いけませんステラさん。仮にそうだとしても、トレジャーハンターであることは知らせず、穏便に事を済ませましょう」


「どうして? 飽くまでちょっと脅かすだけさ。チャーリーのことを聞くついでに、悪いことも止めさせられたらって」


「ステラさんに戦うつもりはなくとも、彼等が逆上してきたらどうするのです? ステラさんが暴れたら、こんなボロイ水路なんてひとたまりもありませんよ」


「あっ……そ、そうだったね。ごめんよルネくん」


 リジーの指摘にステラは剣を収め、シュンとする。

 しかしその謝罪は何故かルネに対してである。

 それはどうしてって? そんなことは考える間でもない。


「それでいいのですステラさん。もしも辺りが洪水にでもなってしまえば、真っ先に溺れ死ぬのはクソザコのルネさんからですし」


「知ってるよ!! 本人も分かってるんだから敢えて言わないでよ!?」


 と、リジーは情け容赦なく言った。

 しかしルネは反論しつつも否定はしない。人外染みた動きの出来る彼女達なら、この一帯が沈むよりも先に逃げ果せるだろうが、彼にそれが出来る自信はまったくない。

 膝まで覆われた時点であっけなく転倒して、そのままざぁざぁと沖にまで流されるビジョンが容易に想像出来た。


「ともあれ、私が話をさせていただきます。二人は後ろに下がっていて」


 そう言ってリジーが前に出て、隊列が変わる。

 奥の灯りは次第に大きくなっていって、その先に待っていたものは――

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