ローズマリー聖護院での生活3


 そうして二日が過ぎ、三日が過ぎ、一週間が過ぎた。

 未だにリジーからの連絡はない。仲間との連絡に難航しているのだろう。

 が、それくらいは予想の範疇だ。冒険というものはかくして、概算通りに行くことの方が珍しいくらいだ。


「ルネさん、次はこれを」


「はい」


 だからもう少しの辛抱だと思いながら――ルネは受け取ったジャガイモをまな板の上に置き、包丁を忙しなく動かす。

 都合三十人超の食事の準備だ。それは世話になってばかりの現状に、ルネが買って出た手伝いの一つだった。

 

 料理そのものは嫌いではない。野営が当番制だったかつてのこともあって、包丁や鍋の扱いには慣れている。

 むしろその辺りを不得手としていたのはソフィだった。花や子供扱いとは裏腹に、不揃いに切られた食材と、大味過ぎるスープを思い出しつつ――


「ねぇねぇまだー!?」


「おなかすいたー! おなかすいたー!!」


「あ、これ好物なんだ♪」


 野営の時はまったく違うものだと思い知らされる。

 食事があれだけ苦労したなら、その前準備も同様ということだ。

 欲望に忠実でフリーダムな子供達は、調理場にまで忍び込み、好き勝手している。


「ちょ、ちょっとちょっと!! それまだ出来てないから!!」


 油に入れる前の揚げ物を、口に含もうとする子供の手をルネは掴む。


「あああああ!! 駄目だって!! 危ないから!!」


 ぐつぐつと湯で立つ鍋を覗きこみ、そのまま顔を突っ込みかねない子供を引き剥がす。


「走り回ったら駄目!! ぶつかったら――ってぬわああああああああ!?」


 挙句、狭い通路を走り回っていた子供を止めようとして、引っくり返ったフライパンの具材に顔を焼かれた。

 ソテーにしていたポテトは塩っぽく、しばらく頬からしょっぱさが付いて離れなかった。



「えぇと……ここが終わったら」


 雑巾を片手にルネは考える。

 広い院の掃除は適当に掃いて回ったところで中々終わらない。

 一つ一つ計画的に終わらせることが重要なのだが――


「あははっ、やっちゃった♪」


「ちょっとぉぉぉぉ!? さっき拭いたばかりなのにぃぃぃぃ!!」


 おまけにリアルタイムで汚す子供がいれば尚更のことだ。

 何処でどう遊んだのか、彼女はポタポタと全身を泥まみれにしている。


「なんでそうなるの!? ほらさっさとこれで拭いて!!」


「ん……♪」


 すかさずルネはゴシゴシとタオルで全身を拭く。

 泥が払われて亜麻色の地毛が見える。汚れが吸い込まれて柔肌が露わになる。これで一件落着……とはいかない。


「ははっ!! 泥人間のおとおりだー!!」


「ちょっとおおおおおおおおお!?」


 と、続いて泥まみれの男の子が、これまた汚れた棒を振り回しながらの凱旋を果たす。

 これ以上掃除した床を汚してたまるかと、秒でルネは飛びついた。


「そうはならんでしょ!? 遊ぶにしたって程度を考えてよ!!」


「あははっ♪」


「あははじゃないから!!」


 ルネは男の子と全身と、彼の足跡を手早くふき取る。

 今度こそ、今度こそ大丈夫だと思った。


「うおおおおおおお……! マッドモンスターだぞぉぉぉぉぉ……!!」


「んなあああああああああああああ!?」


 が、それもまた裏切られた。

 お化けを装っているのか、最早泥の塊である。本当に一見するとそういうモンスターにしか見えない。

 そんな子供がずるずると床を汚し、粘液のように後を残す。


「いやそうはならんやろうがああああああああああ!!」


 絶叫して、ルネはタオルの山を抱えて飛び掛かる。

 幾ら何でも度が過ぎている。何処でどう遊んだらこうなるんだと思った。



「ぜぇ……ぜぇ……」


「あー……これ以上は無理そうだね」


 そうして子供に振り回されつつも、訓練は欠かさない。

 しかし結果は同じだ。何度やっても蒸気魔法は使えず、一対一の実戦形式は返り討ちに終わってしまう。


「はーい! またステラおねえちゃんのかちーっ♪」


「ルネもがんばれよー」


「一回くらいステラおねえちゃんをぎゃふんと言わせてみせろってー」


「うぐぐっ……」


 と、マンツーマンだった筈の訓練は、何日も立たぬ内にバレてしまい、今では好奇心旺盛な子供達がギャラリーとなっている。

 歯に衣を着せぬ発言がグサグサとルネに突き刺さるが、その大半は好意的な感情によるものだ。出来ない弟の背中を押すかのように、一応は応援してくれている(それを幼い子供にされるというのも、相当にキツイものではあるが)。

 

「んだよ……やっぱり雑魚じゃねーか」


 が、全てがそうというわけではなく、中にはあからさまに見下してくる子もいた。


「やっぱりお前は召使いだ。ステラの仲間だなんて認めねぇぞクソ雑魚」


「もうっ!! チャーリーってば!!」


 ステラと言い合うワインレッドの少年――チャーリーと呼ぶらしい。

 彼は何故だか、ここに訪れた初日からずっとルネを目の敵にしている。事あるごとに見下し、あからさまに挑発してくる。

 

「や、チャーリー」


 されどルネも子供相手に敵対する気はない。

 

「そんなことしなくたって、僕は君のお姉ちゃんを取らないから」

 

「はぁ!? な、なにがだよ!? ステラは関係ねーっつーの!!」


「ステラのことだなんて僕は口にしてないよ?」


「っ!? ぐっ……うううううううう!!」


 否定しつつも悔しげに唸る様子に、ルネはその気持ちが分からないでもなかった。

 ステラはこの院においても大層慕われている。あれだけ帰宅を喜ばれていたのだ。だったらその中に憧れと混同した感情を向ける子がいても、まったく不思議じゃない。

 

「しょ、勝負だ!」


「え?」


「俺と勝負しろクソザコ野郎!!」


「ちょ、ちょっとチャーリー!!」


 が、少々刺激しすぎたとルネは思った。

 チャーリーはその小さな両手で構えて、握り拳をルネに向ける。


「お前が相応しいか俺が試してやる!! 本当にステラの仲間だってんなら見せてくれるよなぁ!?」


「お、おいおい」


 当然ルネは狼狽える。

 子供相手に拳を向けることも、あと勝てるどうかなんてことを大真面目に考えつつ、


「落ち着きなってチャーリー! そんなことをしたってステラは喜ばないってば!!」


「ステラは関係ないっつってるだろ!! 俺がお前に勝つか!? お前が俺に勝つか!? それだけじゃねえか!!」


「ああ、もうっ」


 失敗したとルネは後悔する。

 どうすれば彼を落ち着かせられるか? 何を言ったら宥められるか?

 そんなことが脳裏を過ぎる最中――


「行くぞおらぁ!!」


「!?」


 粗削りでありながら、弾丸のような熱が眼前を通り過ぎた。

 紙一重で避けてから気付く。

 蒸気魔法だ。

 彼はルネよりもずっと幼くして、蒸気魔法を理解しているのだ。


「くたばれ!!」


 が、その魔力はステラと比べると小さなもので、軌道もまた素直だった。

 全てが力任せの直線タックルだ。幾ら前時代のルネとは言え、そうまで分かりやすい攻撃は避けられる。

 まるで猛牛をやり過ごす闘牛士のように、直線的な突進を何度かやり過ごす。


「はぁ……! はぁ……!」


「もうやめようチャーリー! 僕は怒っちゃないし、今なら誰にも怒られないから!!」


「まだだ……まだだ!!」


「チャーリー!!」


 が、必死な訴えかけも火に油なのか、チャーリーはまたしても蒸気を纏い、弾丸のような速度で突撃する。


「そこまでだよ――チャーリー」


「っ!?」


 しかしそれは半ばで遮られる。

 瞬く間に二人の合間に割り込んだステラが、それを片手で押さえつけていたのだ。


「前に見た時より蒸気魔法の扱いが上手くなってるね。ボクが言った練習を今でも続けてることが分かるし、その歳でそれだけやれるのは凄いと思う」


「う、うごかっ……!」


「けどね?」


 チャーリーがどれだけ必死に押し切ろうしてもビクともしないステラは、ギロリと冷たい視線を向けた。


「それを使って身勝手な暴力を振るうなら話は別だ。そんなことの為にキミに魔法を教えたんじゃない」


「ひっ!?」


「チャーリーはボクみたいになりたいって言ってくれたよね? なら何も知らないルネくんを虐めることがボクみたいだって、チャーリーはそう言いたいの?」


「そ、その……それは……!」


 彼女からとは思えぬ剣呑とした空気に、チャーリーは身体を縮こまらせて目を瞑る。

 叩かれると思ったのだろう。実際にステラのもう片腕はチャーリーの頭へと伸びていく。


「ちょっ、ステラ!!」

 

 ルネはすかさず止めに入ろうとした。

 僕は気にしちゃない。だからその辺りで収めてくれと、そう続けようとしたところで、


「だから――仲良くしよ?」


「えっ……?」


 が、ルネの不安視した光景は訪れない。

 ステラはぽすんと軽く叩くだけで、その赤みがかった頭髪を優しく撫でる。


「キミだって本当は優しい子だ。キミの生まれは恵まれたものじゃなかったから、強くなりたいって気持ちも良く分かる」


「…………」


「でも戦えることだけが強さじゃない。相手を信じて、仲良く出来ることもそうなんだ。だからね? ほら、ルネくんにごめんなさいをしよ?」


「……………………」


 そうまで言われて、チャーリーはルネに向き直る。

 その唇はぷるぷると震えていた。開いては閉じて、何かを口にしようとしては、飲み込んでを繰り返している。


 そして――


「だあああああああああっれが!!」


 盛大に叫んだ。

 それもわざわざ顔を近づけて、ルネの鼓膜にダメージを与えながら。


「お前みたいなクソザコ野郎に謝るもんか!! 次こそはギッタンギッタンにしてやっからな!!」


「あっ、こらチャーリー!!」


「ばーかばーか!! 覚えてやがれっ!!」


「もうっ……もうっ!!」


 ステラの静止も空しく、チャーリーは悪態を吐きながら逃げてしまう。


「ごめんねルネくん? あの子にはボクから言っておくから」


「い、いや、気にしなくていいよ」


「ダメダメっ!! こうなったらお尻ペンペンだからっ!!」


 と、ルネがキンキンとした耳鳴りに苛まれる一方、ステラはむかっとした顔で駆け出す。

 そこからは蜘蛛の子を散らすようだった。ステラと一緒に追いかける者、院へと帰る

者、どちらでもなく去って行く者と、子供達は思うがままに四散していった。


「はぁ……まぁいいけど……」


 そうして一人きりになってしまったが、却って都合がいいとも思った。

 元々訓練後はその機会を窺っていたのだ。自主トレというか、集中出来る環境での魔法の訓練を。


「じゃあ――一つ一つ試していこうか」

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