ローズマリー聖護院での生活


 ブラドルニアというのは、至る所から水の匂いが感じられる街だと思った。

 元々が海に連なる潟湖から広げていく形で作られているらしく、橋が至る所に伸びていて、あちこちの水路には小型船が行き交っている。

 更に言えば今歩いている街の西側に関しては、陸地から遠く離れた立地上、どう考えても地面が海に浮かんでいる状態だ。聞いた話では30メートル強の水深があるそうで、たとえ現代の技術を考慮に入れたところで、埋め立てるには無茶があるとルネは思う。


 しかし踏みしめる地面はしっかりとしていて、体重を乗せたところでビクともしない。

 一体どういうカラクリなのかと、ルネはブレッド店から帰る道中、足元をまじまじと見下ろしていた。


「あはっ! そんなに心配しなくたって、落ちたりなんかしないよ!」


「ま、まぁ……そりゃそうなんだろうけど」


 びくびくとしているルネがおかしいのか、ステラはけらけらと笑いながら言った。


「ブラドルニアの下水溝には水没対策の為に、精密な隆起装置とスタビライザーが組み込まれてる。ルネくんが溺れることは絶対にあり得ないよ」


「…………」


 隆起装置やスタビライザーというのが何のことかは分からないが、対策は成されているのだろう。

 実際に水際に来てもそうだ。波打ち際にばしゃんと大波が押し寄せようと、絶妙な加減で足場にまで水は至らない。水に浮かんでいるにも関わらず、船の上のようにグラグラとすることもない。


「だから波にさらわれるなんてことも――」


 それを信頼しきっているのか、けたけたと笑うステラであったが――


「おぶっ!!」


 そこで勢いよく舞い上がった高波に苛まれる。

 ちょっと身体にかかるどころか、帽子の上からぶちまけられていた。


「ま、まぁ……? たまにはこういうことも、あるかもだけど?」


 なにごともなかったように塩水を吐き出し、ニッコリと笑い直す。

 ご自慢のシステムとやらは不安定なんだろうとルネは思った。


「それはそうと」


 自分が持った分は濡れぬようにと、紙袋を腹に押し当てながらルネは言う。


「しばらくはここでって話なんだよね?」


「うん。エドとレイに合流するまではね」


「こういうことってよくあることなの?」


「まぁ……同じ街で一週間か二週間くらいは普通かな?」


「そっか……」


 少なくともあと一週間耐えればいい。

 ルネは自分に言い聞かせながら、前を向こうとした。




「あははははははは!!」


「こらマーク!! 食事中に走り回ってはいけません!!」


「これきらーい!!」


「ジェレミー!! 他の子のお皿にニンジンを乗せない!!」


「わああああああああん!! ロジャーがわたしのリンゴをとったああああああ!!」


「ああ!! もうロジャー!! 貴方って子は本当に!!」


 ローズマリー聖護院での朝食は賑やかすぎるものであった。

 ドタバタと駆け回ったり、悲鳴が上がったり、食器が飛び交ったりと何でもアリだ。

 そんなエネルギッシュな子供達が三十人超もいるのだから、シスターの怒声が絶えずして響き渡る。かような光景を前にして、食事に集中しろという方が無茶なものである。


「こらマーク。駆けっこなら後でボクが付き合ってあげるから」


「げっ!? ステラねえちゃん!?」


 しかしステラは慣れた様子で対処する。

 目にも止まらぬ速さで男の子の首根っこを掴み、テーブルへと戻らせた。


「ジェレミー。リジーみたいな立派なレディになりたいんでしょ? だったらちゃんとお野菜も食べなくちゃ」


「う、うう……」


 かと思えば、ニンジンをフォークで指して対面の女の子に突き出す。

 女の子は鼻をつまんでソレを咥えると、プルプルと震えながら丸呑みにした。


「ロジャー。エマに構って欲しくてちょっかいを掛けたい気持ちは分かるけど、それじゃあ逆効果だから」


「なっ、そんなじゃねーよ!! 別にコイツのことなんて!!」


「そ……じゃあエマに嫌われてもいいんだね? これからずっと無視されてもいいって?」


「う、うぅ…………ご、ごめんよ……」


「ボクじゃなくてエマに言うこと!」


「エマ! ごめんなさい!!」


 さらには瞬く間にテーブルの端にまで移動し、小競り合いをしていた二人の仲を取り持つ。

 シスターに応援を頼まれたわけではなく、全てが自発的で、当然のようにだ。かつてはこの院で『姉』として過ごしていたことが窺える。


「慣れてるんだね」


「あはは……ごめんねルネくん。忙しない感じになっちゃって」


 一通りの騒ぎを静めた後、自席に戻ってきたステラが苦笑する。

 

「気にしなくていいよ。立派だと思うし」


「り、立派って」


「『剣を振ったり戦ったりするだけが勇者じゃない』ってね」


「え……それって誰の?」


「適当に思いついただけの言葉だよ。誰の引用でもない」


 嘘である。

 かつてルネにそう言ったのはソフィだ。


 彼女はお転婆でありながらも花を愛し、子供好きな性格だった。

 愛を持って花や子供を育むことも戦いに等しい。むしろ剣を必要としなくなった後こそ長い戦いが始まるのだから、覚悟しておきなさいと何度も言っていたことを思い出す。


「そ、そっか……なんていうか、その……」


 が、ステラは妙に感銘を受けているというか、何処か挙動不審であった。

 どうしてそんな反応をするのかと――テーブルを見下ろして、ふいに気付く。


「ステラ?」


「な、なんだい」


「しれっと僕の皿にピーマンを置くのはやめないか?」


「…………てへっ」


「ちゃんと食べないと立派なレディになれないんじゃなかったっけ?」


「うぐぐ……!!」


 どれだけ立派に見えようと、彼女もまた育ち切っちゃいない。

 そう思いながらルネはピーマンをステラの皿に戻す。次いでにしれっと自分の皿からのブロッコリーを混ぜつつ。



「わあああああああ!!」


「こっちこっちー!!」


「ほらほら!! はやくはやく!!」


 その後の昼休み。

 腹ごなしと言わんばりに子供達は庭で遊び始める。


 それにルネが付き合うのは自主的な意志によるものだ。

 厄介になるばかりでは忍びなく、せめてもの遊び相手を買って出たのだ。

 それが今繰り広げられている鬼ごっこであるのだが――


「ぜぇ……ぜぇ……」


「おいおい兄ちゃん遅いぞー!!」


 鬼役となったルネは、本気で息を切らしていた。

 相手が子供なのだからと、最初はジョギング程度のつもりだった。しかし思った以上にすばしっこくて捕まらない。


 なればと少しばかり加速したところで、子供達も更に加速して捕まらない。

 コンチクショウと大人気なく全速力を出してみたが――その結果がこれである。肉薄は出来るものの、かろうじて捕まえられないまま今に至っている。


「なっさけねえなー! それでも大人かよー!!」


「うう……」


 これもまた400年前と今の差なのだろう。

 ワインレッドヘアーのあの男の子に煽られたところで、言い返す言葉がなかった。


「よぼよぼの爺さんレベルじゃん! やっぱり召使いなんじゃねえの? その程度でステラの仲間だなんてあり得ねえし」


「うぐっ……」


 それに子供の言うことだ。

 言い返すなんて大人気ないことだし、ある意味では正直な感想を言ってくれてるってことでもある。


「ゴブリン以下! スライム以下! ナメクジ以下のよわよわ野郎!!」


「うぐぐぐぐぐっ……」


 我慢だ我慢。子供の言うこと子供の言うこと。

 だったら笑って返すくらいが大人ってもんで――


「そこまで言うことないでしょうが!!」


 が、何故かそれを見ていてステラの方が先にブチ切れた。


「言っていいことと悪いことがあるよチャーリー!!」


「な、なんだよステラ?」


「ルネくんはね!! 確かによわっちいかもしれないけど、ゴブリン以下ってことも否定はしないけど!!」


 と、強張る男の子に対してステラが詰め寄る。

 よわっちいってことも、ゴブリン以下ってことも否定はしないまま。


「それでも、その……凄いんだ!! なんか、こう、凄いオーラ的なものがあってだね!?」


 フォローするつもりなら、もうちょっと考えてからしてくれとルネは思う。


「だからそう、ルネくんは立派なんだ!! 息をしてるだけで偉いんだ!!」


 かと思えば、早々に結論に入った。

 勢いばかりで何の説明にもなってないけど? 弱いことへの反論は何一つされてないけど?


「ルネくんはなんかこう……凄い!! いいねチャーリ!?」


「え、いやでも」


「いいね!?」


「お、おう」


 そして最後の最後まで力技だった。男の子もなし崩し的に頷くしかなかった感じだ。


「ね、ルネくん?」


 だというのにステラは、一仕事終えたと言わんばかりのドヤ顔を見せる。

 これにどんな反応をすればいいのかと、ルネは迷わざるを得ない。


「はぁ……」


 ルネは溜息を吐く。

 要は年長者(400年以上)として、自分が折れるべきなのだと思った。

 男の子とステラの両者を立てる言葉は何だろうと、迷い始めた時であった。


「きゃっ!!」


「っ!?」


 近くで悲鳴が聞こえた。

 木の上に逃げていた女の子だ。ステラと男の子のやり取りに気が抜けたのか、枝から滑り落ちて、地面に落下しようとしている。


 ステラは既に呪文を唱えているが間に合わない。

 それが分かったルネが反射的に駆け出し、両手を前にして跳躍する。


 ――ズンッ!!


 だからこその間一髪だった。

 ルネの両腕にぷるぷると震えた女の子が抱えられている。


 怖かったのだろう。その瞳にはぶくりと大粒の涙が浮かんでいる。

 ルネは彼女を地面に降ろし、両腕の痛みに堪えながらも、その頭髪を優しく撫でた。


「ステイシー、怪我はなかったかい?」


「っ……わああああああああああん!!」


 と、そこで感情がはちきれたかのように、足に抱き着かれてわんわんと泣かれた。

 それだけ泣ける元気があるなら十分だと、ルネはほっと胸を撫でおろす。


「ね? ね? ルネくんはすごいでしょ?」


「ぐぅぅぅぅぅぅ!」


 と、そんな視界の端でだ。

 何故かドヤ顔をしているステラと、ワインレッドの男の子が悔しがっているのが垣間見えた。

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