スチームエンパイア2


「あ、あの……お、お呼び、でしょうか?」


「――――」


 ルネは言葉を失った。

 それはへこへこと腰の曲がった、くたびれた男であった。

 紫色の肌で魔族だとは分かる。元々長生きな種族ということもあってか、ツヤそのものは失われておらず、整った顔立ちからハンサムと呼べる類ではある。


 しかしそれを台無しにしているのは、その態度だ。

 常に機嫌を窺うようにおどおどとした視線に、途切れ途切れで自信がまったく感じられない声。眉をはしょぼくれ、組んだ両手は揉み手で、きゅっとした内股は小便を我慢しているかのように頼りない。


「――――」


 そんな男の姿に、ふとルネは心の片隅にあった疑問を思い出す。

 400年の時を経て自らが目覚めたことに関してだ。

 あの時ルネは封印魔法を使って魔王を道連れにした。それが最後だと思っていたが、奇しくも400年後にその魔法は解かれてしまった。


 だったら魔王は? とルネは思っていたのだ。

 自分が解放されたのであれば、魔王も同じだったのではないのか?

 ひょっとしたら自分よりも先に目覚めて、この世界を闊歩しているのではないか?


「こ、こいつらを倒せばいいんですかアスタロト様……ってぇ!?」


「――――」


 その答えが、いま目の前にあった。

 そして男もルネに気付いたのだろう。目をぎょっとさせて、口をぱくぱくと動かしている。


「どうしたの? ペットのガッツ?」


「い、いえ……なんでも……なんでもありません」


「どうしたのルネくん? 急に顔を伏せちゃって……え、泣いてるの!?」


「な、なんでもないよステラ……うん、なんでもないんだ」


 それは皮肉としか言いようがなかった。

 ルネ・ロードブロークではなく、ルネ・フラワーズとして。大魔王ガトーではなく、魔王軍ペットのガッツとして。

 かつての勇者と魔王が再開したこともそうだが――ここぞという場面で分かり合えたということが。


 かつて剣を交えた関係でありながら、彼等は言葉一つ交わさず、アイコンタクトだけで互いの気持ちを汲み取った。

 今やペット扱いをされている魔王と、年下の女の背にビクビクと隠れているルネ。

 今の実力差云々を考慮すれば当然のことだが、かつての価値観とか、当時の立場を考えると相当に恥ずかしい有り様だと。


「出来ないのかしら? 困ったわね。この程度も出来ないなら、またキツイ躾をしてあげないと――」


「は、はぅ!? で、出来ます!! 出来ます出来ます!! 我にお任せください!!」


 が、環境面という意味では彼の方がシビアに感じられた。

 アスタロトによる扱いは犬のそれだ。ガトーの尻を乱暴に蹴って、無理くりにステラへと立ち向かわせている。


「こ、来い! 現代の勇者よ!! 我はその、アスタロト様のその、ペットというか何というか……!!」


「ガッツ?」


「は、はい! ペットです!! わ、我は、あ、貴方の忠実なペットで……ぐぅ!!」


 その拙い口上と、かつての姿を比較して、またしてもルネは涙が零れそうになった。


「ふ、ふーん……まぁ、やるっていうならやってあげるけどさ」


 と、ステラは立ち塞がるガトーに剣を向ける。


「手加減なんてしないから、降参は早めにしてよね?」


「――――は?」


「魔族だからって、出来るなら殺すまではしたくないんだ。だからさ、無理ってなったら早めに言ってくれた方が」


「ほ、ほざくな小娘!!」


 途端に飛び掛かるガトー。かつての宿敵であったからこそ、ステラの発言は逆鱗に等しいとルネは知っていた。

 ガトーという男はプライドが高く、見下されることが何よりも許せないのだ。


「ペンタスペル!!」


 故にガトーは最初から全力全開であった。

 火、水、風、氷、土の弾丸を同時に放つという高度な攻撃魔法である。

 厄介なのは相殺するためのシールドが通用しないことで、当たれば五属性のどれかに必ず特攻されてしまう。


 故に一度唱えられれば最後。

 全力で回避に努めなければならなかった記憶がルネに蘇る。


「はっ!」


「な、なにぃ!?」


 が、ステラはその場から一歩も動かなかった。

 ただ軽く剣を素振りしただけだ。それだけで五つの弾丸は跡形もなく消し飛んだ。


「な、ならこれはどうだ!? カオティックフレア!!」


 次にガトーが放ったのは人を丸呑みしそうなほどに大きく、青白い火球だった。

 当たれば骨をも溶かすほどの強力な炎魔法であり、不出来な部下を始末する為に、彼が最も好んでいた処刑方法だ。


 ルネは思い出す。死闘によって打ち破った四天王の一人を、あっけなく消し炭へと変えた時のことを。

 仲間でありながらも容赦なく切り捨てる冷酷さと、その圧倒的な威力に身震いした時のことを。


「ほっ!」


「なん……だと?」


 が、そんな恐ろしい火球を片手で、それも素手で弾き飛ばしている現代人がいた。

 決して400年の間に威力が落ちたわけじゃない。その証拠にぶつかった岩盤はしゅうしゅうと煙を上げ、ドロドロと溶けている。


「だ、だ、だったら!! グレーターアクアスピア!!」


 次は胴体を捩じり切るほどの渦を見せる水の槍。

 ステラは剣を縦に振って一刀両断にする。


「サタニックウィンドエッジ!!」


 手刀から次々に放たれる風の刃。

 ステラは必要最低限のステップで全弾を避ける。


「クローリングアイス!!」


 地面から湧き上がる氷が蛇のように彼女の足に巻き付く。

 機動力を奪おうと思ったのだろう。しかしステラは普通に膝を上げて、巻き付いていた氷はバキバキと崩れ落ちる。


「ぐ、ぎ……!」


「はぁ……もういいよね?」


 魔法の連続に息を切らせ、だらだと汗を流しているガトーとは裏腹に、ステラは息一つ乱さず、呆れたような目を向けている。


「これが最終通告だから。次に攻撃してきたらボクも反撃する。その前に降参してくれたらボクは――」


「…………!」


 善意のつもりでも、それがまた彼のプライドを傷つけたのだろう。

 ピキリと青筋が額に走るのをルネは感じる。


「……暗雲が天を埋め尽くし、その唸りが静寂を切り裂く。かの闇に轟くのは天空より舞い降りし光の槍か? 否、世界をより深淵へと沈める漆黒の王の咆哮である」


「っ!?」


 それから発せられる詠唱にルネは気づく。

 それはガトーが持つ数多の魔法の中でも最強の呪文であると。

 受けることも出来なければ躱すことも出来ない。漆黒の雷を落とすという――奇しくも神託を受けた勇者ルネが得意とするものと同じの――まさに光速の雷魔法である。


「故に畏れ、称えよ! 我こそは真理の代弁者! 調停者の名を持ってして、ここに淘汰の雷を下そう!!」


「ステラ! 逃げて!!」


「もう遅い!! くらえ小娘――エンシェント・ライトニング!!」


 次の瞬間、上空からの一撃がステラに落とされた。


 光でありながらも黒という矛盾。真理を語りながら道理をねじ負けるという矛盾。

 それこそがかつてルネがもっとも恐れた、ガトーの奥の手であった。まさしく光の速さで落ちる雷は、どんな生物であっても避けることは叶わない。


 出来得る対抗手段は攻撃範囲から逃げ切るか、同じ雷魔法を持ってして相殺するかだった。

 しかしステラはそのどちらも出来なかった。彼女は射程範囲に入っていて、蒸気魔法は炎と水の複合である。

 だからこそ直撃は必然であり、ルネは彼女の無事を確かめようとして―― 

 

「…………これで終わり?」


「「え?」」


 何事もなく立っているステラに、ルネとガトーの間抜け声が重なる。

 倒れるどころか膝をついてもいない。それどころか何事もなかったかのようにピンピンとしていらっしゃる。


「じゃあ約束どおりだね――歯を食いしばって!!」


「ぎっ!?」


 と、それから一瞬のことだった。

 瞬く間に距離を詰めたステラが利き腕に構えた剣――ではなく、自由な左手でガトーの頬にストレートをぶちこんだ。


「ぎにゃあああああああああああああああああ!!」


 そしてガトーは――かつての魔王は――恐ろしくも情けない悲鳴を上げながらぶっ飛んだ。

 まるで紙屑を投げるようにクルクルと回転しながら、チュドーンと音を立てて石壁を爆散させる。


 もくもくと沸き立つ粉塵が舞い上がり、しばらくして去った後に、その身体はぷらんと浮き上がっていた。

 頭から壁に突き刺さっているのだ。

 死んでるかどうかはさておいて、少なくとも意識はないようで、下半身がだらんと伸びている。


「まったく――だから言ったのに」


 と、傷一つ見られないステラを見て、ルネはまたしても思い知らされた。

 400年前と現代人の間では超えられない壁がある。そんなインフレの波はかつての魔王でさえ例外ではないのだと。


「はぁ……この程度かぁ」


 実際に敵側の評価もこの通りだ。

 アスタロトは壁のオブジェと化した魔王に何一つ驚かず、むしろ当然の結果と言わんばかりに肩を落としている。


「何故か昔の遺跡に詳しいから生かしておいてあげたのに、やっぱりワンちゃんはワンちゃんね。戦闘面ではまったく期待出来やしない」


 言って、彼女は指をパチンと鳴らす。

 転移魔法のようだった。何もない宙にぽかんと穴が開いて、壁に埋まったガトーを何処かへと連れ去って行った。


「前座は終わりだよね? じゃあ次はキミだ」


「…………」


 一方でルネはと言えば、バチバチといわす二者にぼうっとする他なかった。

『あの魔王が』だったからだ。『あの誰よりも恐ろしかった魔王』が子供扱いだったことに、ショックを隠せずにいる。


「ルネくん!!」


「え――?」


 故にだった。

 気づいた時にはステラに庇われていた。


 眼前に向かっているのは禍々しい光弾。

 それはさっきの魔王のものより遥かに早く、遥かに強大なものであり――


 ――ズガアアアアアアアアアアアン!!


 後方で、落石のようにガラガラと降り注ぐ。

 間一髪でステラが弾いてくれたのだ。もしそうしてくれなかったら、自分の身体は四散していただろうとルネは思う。


「……卑怯じゃないかな? キミの相手はボクだよ?」


「あら? 殺し合いにモラルなんてあるのかしら? 弱い者から狙うのが王道じゃない?」


「そうかい。話して分かってくれる、ってことはなさそうだね?」


 と、不意打ちをしたアスタロトはふてぶてしく笑い、ステラはさっきとは変わって真剣に武器を構える。

 そんな二者を前にして、ルネは自然と距離を取っていた。


 戦いの始まりを察したのだ。

 現代人同士の、それも拮抗した実力者による争いを。

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