スチームエンパイア


「逃げたよ!! ほら!!」


 ステラは散り散りになっているようで、一つの地点へと収束しているゴブリン達を追う。

 戦闘は戦闘とも呼べぬほどにあっけなく終わった。

 たとえ不意打ちでも、彼女と彼等では地力が違うのだ。スピードもパワーも桁違いの彼女を前に、寝込みを襲うつもりだったゴブリンは這う這うの体で逃げ出している。


「ふん!!」


「GAA!?」


 が、それも彼女からすれば計算の上である。

 依頼内容は根絶であり、逃げるということはすなわち住処へ向かっているということだ。

 都合十二体目のゴブリンをノックアウトしつつ、ステラは彼等が逃げ込んだ林の奥を睨みつけていた。


「ここが彼等の基地ってわけだね」


 林道から外れたそこは一見すると、雑草と苔に覆われた単なる凹凸のようでいて、注意深く観察すると違和感を感じた。

 周囲との境界がぼやけているのだ。まるで砂漠の中を歩いているかのように、風景がゆらゆらと動いている。


消煙オフセット


 そしてステラが呪文を呟いた途端、それは煙のように吹いて消える。

 人為的に生み出されていた幻覚が消えた先には、大きな洞穴がぽかんと口を開いていた。


「これは予想以上に厄介な依頼かもね」


 と、ステラは少しばかり顔を強張らせる。


「厄介って?」


「普通のネオゴブリンに幻煙ハレーションを使う技術はない。バックにもっと大きなものがついていると考えた方がいい」


「も、もっと大きなもの?」


「高位の魔族だ。たとえば――スチームエンパイアの残党とかね」


「!?」


 スチームエンパイアという単語にルネは絶句し、かつて閲覧した歴史書を思い出す。

 それは最初に『蒸気』という概念をこの世界に生み出し、世界を混乱に陥れたという魔族国家である。その構成員にはかつてルネが剣を交わした、魔王軍の末裔が中心になっているとも。


「その、スチームエンパイアってやつらは」


 ルネは激戦の記憶に苛まれつつ、ステラに尋ねる。


「今もそこら中に跋扈してるのかい? あ、あんな連中共が……」


 言いながらゾクリと背筋を冷えるのを感じた。

 魔王ガトー。その配下の王下四魔族。世界を飲み尽くす邪龍ファフニル。大地を腐敗させる悪魔ブリアル。死海を漂う巨獣クラケノス。

 その全てが死闘であり、命が幾つあっても足りないくらいだった。

 故にあんな怪物達が――それも今の技術でより進化して――躍動しているだなんて、ルネには考えるだけでも末恐ろしかった。


「いや、もうそんなにはいないよ。スチームエンパイア自体が随分前に滅びているし、残党の目撃通報だって年々減っている。今すぐ世界をどうこうしようっていうだけの勢力はないだろうね」


 が、ステラはそれを否定してくれた。

 ルネはほっと胸を撫でおろそうとする。


「でも残った彼等が今でも危険なことには変わりない」


 しかしステラの強張りは解れず、その一言にルネはまたしても寒気が湧き上がる。


「何度か剣を交えたこともあるけど、簡単に倒せる相手は一人もいなかった。負けそうになったことだってある」


「え!? ス、ステラが!?」


 ルネはぎょっと声を裏返した。苦戦という単語が飛び出したことが信じられなかったのだ。

 少なくとも彼の知る限り、このステラという女は誰よりも強い。だからこそ『勇者』と謳われていて、そんな彼女が敵わぬ相手となると――


「だ、大丈夫なの? 応援とか呼んだ方が……」


「ははっ! 大丈夫大丈夫!! それは今より未熟だった昔のことさ!!」


 だが心配を余所にステラは笑った。


「ボクは負けないよ。どんな強敵が相手でも、大勇者様がそうであったようにね」


「…………」


「それにもしも残党だったとしたら、尚のこと勇者として放っておくべきじゃない。企み事があるなら何としてでも阻止しなきゃいけない」


 トレジャーハンターとしてではなく、『勇者として』と彼女は語る。

 現代の勇者と過去の勇者ではまるで意味合いが違うのに、その呼称を同じ重さで捉えているのだろうか?


 だから引き返すという選択肢が最初からないのだ。何処までもお節介を焼こうとするし、事件とあらば放ってはおけない。

 それが『憧れの大勇者様』らしいから。『ルネ・ロードブローグ』ならそうすると彼女は信じているから。


「あっ、でもルネくんにはちょっと危ないかもだし、ここで待っててくれても――」


「行くよ」


「え?」


「ステラについていくよ。ううん、ついて行かせて。荷物持ちでも何でもいいから」


 戦力になれるとは思っていない。むしろ激戦が待っているなら足手まといだ。

 それでもルネはそう口にしていた。うまく言葉には出来ないが、なんとなく、それが責任のような気がした。


「そ、そう? じゃあ出来るだけ後ろに下がっててね?」


 と、ルネの勢いに圧を感じたかのか、ステラはたどたどしくも了承する。

 そうして互いに数メートルの距離を空けつつ入った洞窟は、確かに人為的なものが無数に感じられた。

 添えられたランプや柱はもちろんのこと、奥に行けば行くほどにガシャンガシャンと機械音が轟き、鉱炉がぐつぐつと沸き立ち、空っぽの手押し車が打ち捨てられている。


「これは?」


 中でも特に気になったのは、誰かが押しているわけでもないのに、独りでに動いている鉄板だった。

 まるで芋虫のような線が走っていて、その背に乗せた物を遠くへと運んでいる。


「蒸気コンベアだよ。ルネくんは見たことはないかな?」


「蒸気コンベア?」


「ちょっと大きめの工場なんかで使われるもので……って言っても分かんないよね。まぁ要するに――」


 ステラはルネの知識量を慮りつつ、流れる部品を手に取っては、


「ここで彼等は武器を作ってる。それも無断でだ」


 と言った。


「ぶ、武器? これがかい?」


 しかしルネからすると、何処が武器なのかさっぱり分からない。 

 歯車に、鉄芯に、真球と、ガラクタが流れているようにしか思えない。


「部品だからだよ。これをこうして、こうすると」


 ステラは流れるガラクタを拾い上げ、カチャカチャと手慣れた様子でそれを組み立てていく。

 そうして出来上がったものは――


「ばーん」


「うわっ!?」


「なんてね?」


 飽くまで冗談であり、本当にステラが引き金を引いたわけではない。

 それでもルネはビクリと肩を震わせた。なにせ彼女が手にしているのは『銃』であり、先日撃ち抜かれた苦い記憶が蘇ってしまう。


「その気になれば誰にでも扱える銃の製造には連邦政府の認可がいる。お酒の密造レベルの、ちょっとした出来心じゃ済まないんだよ」


「…………」


「いよいよって感じだね。まったく……他の冒険者がこの仕事にあり付かなくてよかったよ。なりたての駆け出し君が相手をするにはちょっと重すぎる依頼だ」


 と、おどけたような口調でありながら、一層彼女の緊張が高ぶるのを感じた。

 それと同時に身震いしそうな空気の冷たさもだ。精神的な物ではない。『剥き出しの殺気』と言っても過言ではない、魔力の奔流をルネは察したのだ。


「で、でもどうして魔族が武器を? 戦争でもしようって言うのかい?」


 そんな怖気を振り払うように、ルネは早口で質問を続ける。


「それも将来的には考えてるのかもしれない」


 ステラは心なしか先導する歩を早めつつ、前を向いたまま答える。


「けれど当面は聖遺物目当てだろうね」


「聖遺物? スカベンジャーのように?」


「スカベンジャーなんて可愛らしいもんさ。残党は聖遺物を掻っ攫う為なら、貴重な古代遺跡を更地にすることも厭わない」


「な、なんで? なんだって魔族が、勇者の装備を見つけようとしてるの?」


「軍備を整える為の売買目的だっていうのが大半の見方だけど……オカルトっぽい説もある。彼等は人間に回収されることを恐れてるんだって」


「恐れてる? 何を?」


「それは大勇者様がいつか――と、お喋りはまた今度だ」


 洞窟に入ってここに来るまで戦闘はなかった。警備体系が機能していないというより、奥で待ち構えているのだろう。

 敵はステラの接近を知っている。

 知った上で戦力を整え、迎え撃とうとしている。


「ルネくん、準備はいい?」


 当然、ステラにもそんなことは織り込み済みだ。

 他とは明らかに違う、見るからに物々しく、重厚そうな扉に手をかけながら彼女は言う。

 ルネはそれに頷きつつ、一歩後ろに距離を取った。戦力になれぬことは百も承知で、間違っても彼女の邪魔にはならぬようにと。


「ふっ!」


 そうして彼女が扉を開き、


「来たわね……連邦の勇者」


 その先の開けた空間の奥で、その女は仰々しく出迎える。

 大層にも玉座を作っていて、さながら魔王のように。


「ああ、当たって欲しくはなかったけど」


 ステラは額に手を添え、残念そうに天を仰ぐ。


「スチームエンパイア。魔王軍の残党か」


「ええ。スチームエンパイア軍幹部の、アスタロト・ダインバーズよ。ただし残党という言葉には語弊があるわね。私達は今もこうして存続しているから」


 女は見るからに常人ではなかった。

 人の形ではあるし、人の言葉を話してはいるものの、頭頂部からは角が生えている。

 それに目が真っ黒だ。本来は白であるべき部分が黒く染まり、その中央の動向が金色に光っている。

 

 昔からの皮肉だった。

 一見すると人のように見えて、言葉を交わせる魔族ほど力が強く、話が通じないということは。


「そ、貴方が『勇者ステラ』ね? それとそこにいる是弱な人間は――」


「ルネくんは関係ない。君の相手はボクだ」


「…………まぁいいわ。障害にはならないだろうし」


 と、ルネに一瞥したのは一瞬だった。取るに足らないと思われたのだろう。

 それが元勇者としてのルネのプライドを傷つける……なんてことはない。


 なにせ彼が身につけたスペクタクルアラームは、眼前の強大な敵に反応しており―― 


 なまえ: アスタロト・ダインバーズ

 しょくぎょう: UNKNOWN

 せいべつ: じょせい


 ちから: UNKNOWN

 まもり: UNKNOWN

 たいりょく: UNKNOWN

 すばやさ: UNKNOWN

 かしこさ: UNKNOWN

 うんのよさ: UNKNOWN


 こんなふざけたステータスを表示する。『分からないことが分かった』と言わんばかりの内容だ。

 しかしその匙の投げ出しっぷりをルネは知っている。ステラやリジーと同じ類の表記なのだ。


 それが何を意味しているかだなんて――考えるまでもない。

 仮にルネが『なにくそ』と飛び出したところで、一瞬で灰塵と化してしまうことであろう。


「ここで何を企んでるのか分からないけど、大人しく投降しろ」


 ところがステラはそんな相手にもひるむことなく、剣のグリップに手を添えながら言った。


「連邦のトレジャーハンターには旅先での『仲裁』をする権利が認められてる。降参するなら命までは奪わない」


「ふふっ……命までは奪わない、か。そんな甘言を言っておいて、後でどんな責め苦を味合わせることやら」


「昔とは違う。凝り固まったキミ達は知らないかもだけど、今では街で暮らしてる魔族だっているんだ。彼等の平和な未来の為にも、どうかボクに剣を向けさせることはやめてくれないか?」


「飼いならされた魔族なんて魔族じゃないわ。要は家畜と同然。ニンゲンの定めた法に従い、ニンゲンに尻尾を振るような者共なんて」


「残念だ。話が通じないようで」


 そこでステラはガチンと剣を開き、アスタロトに向かって構える。

 

「私も暇じゃないの。貴方如きの相手をするつもりはないわ」


 が、魔族は身構えることすらしなかった。

 むしろ腕を組んでふんぞり返っている。


「逃げるのかい?」


「逃げる? まさか。チャンスを与えてるのよ」


「チャンスだって? それってボクの? それとも君の?」


「どっちもよ。まずは私のペットが相手になってあげるから」


「!?」


 と、そこで奥の暗がりで何かが蠢くのをルネは感じた。

 魔王軍の幹部クラスが『ペット』と称するのは、その大抵が狂暴な魔獣であった。


 つまりは前哨戦が待っているのだと知る。

 竜が出るのか悪魔が出るのか、いずれにしても強大な相手であると。


「ステラ! 気をつけて!!」


「ああ! もちろんだとも!!」


 ルネの訴えに、ステラは力強く頷き返す。

 そうして、やがてその奥から現れたのは――

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