きっとまた誰かの心が救われるから
「うーん……ここでもなかったかぁ」
その後、依頼通りの地点に着いた後のことだ。
確かにゴブリンはたむろしていたし、それなりの拠点も築いてはいたのだが、
「違うの?」
「うん……あまりに数が少なすぎる」
と、ステラは言う。
たった一人で軽く五十匹近くを叩きのめした後でだ。
ルネからするとそれだけも十分なくらいに思えるが、彼女の感覚からするとそうではないらしい。
「たぶん本拠地があると思うんだよね。そう遠くはない位置に」
「どうしてそんなことが分かるの?」
「統計と傾向。あとは
要するに第六感的なものなんだろうとルネは思う。
実際にそうではなかろうと、原理の分からぬルネからすればそれに等しい。
「だったら探してみる?」
「いや……ここは待ったほうがいいね」
「待つ? 向こうは警戒してるし、囲まれちゃうかもだよ?」
「警戒してるからだよ。出てこないってことはこっちを恐れてる。囲まなきゃどうにも出来ないって思ってるなら、そうした方が一網打尽に出来る」
ステラは剣を降ろし、バックパックからポットを取り出した。
もう片方の手には茶葉の詰まった缶。よもや敵地でティータイムをしようというのだ。。
「ちょ、ちょっとステラ!」
が、それはあまりにも危険だとルネは訴える。
油断が何よりの大敵になることを知っているからだ。
「大丈夫。ルネくんはボクが守ってあげるから」
「――――」
「安心して。ボクが傍に居るよ」
しかしその言葉に、ルネは何も言えなくなった。
大木に寄り添っているかのような安心感……とでも言うべきだろうか?
お茶をコポコポと入れ、菓子をゴソゴソと出しつつも、その姿には一片の隙も見られなかった。もし仮に草むらからゴブリンが飛び出したとして、お茶を飲みながらでも薙ぎ払えるくらいに。
「折角だし、お話でもしようか」
と、周囲に警戒心を散らしつつも、眼前のルネに対しては無防備だ。
湯気立つティーカップを渡しながら彼女は言った。
「どうしてこうまで?」
話題はルネから切り出す。
「どうしてって?」
「僕が頼んだのは同行だけなのに、研修に護衛まで買ってくれて、申し訳ないっていうかさ」
「うーん」
ルネからすると至れり尽くせりというか、たとえ高価な聖遺物との引き換えにしたって、割に合っていないような気がした。
「直感かな?」
と、少し考えた後にステラは真面目な表情で答える。
「直感?」
「うん。トレジャーハンターの勘ってやつ。ボクは思うにルネくんはただものじゃない。ボク等の旅に多大な貢献をしてくれる、凄い男の子なんじゃないかってね」
「!?」
ルネはぎょっと表情を強張らせる。
自惚れではないが、その直感は確かに当たっている。彼女達の目的がかつての勇者パーティの遺品を集めることだというなら、ルネは存在そのものが当時の生き字引である。
恐るべきは現代人の勘……いや、現代の勇者と言うべきか?
「あ、あのさ……!」
だからこそルネは同時に思った。ひょっとすると彼女なら、本当のことを言っても信じてくれるのではないかと。
自分は400年前の人間であるという、荒唐無稽で、正気を疑われるばかりだった事実を受け入れてくれる人ではないかと。
「じ、実は僕――」
「なーんてねっ!」
が、意を決して告げようとした瞬間だった。
ステラが真剣な表情を崩し、おどけるように声を弾ませたのは。
「どう? どう? さっきの言い回し? 真に迫ってたと思わない? 全てを見据えてたっていう、大勇者様らしい振舞いじゃなかった?」
「あ、あはは…………。うん、すっかり騙されちゃったよ」
ルネはガクリと肩を落としたい気持ちを堪え、ぎこちなく笑って返す。
要は冗談だったということだ。これでは到底真実を告げられない……というか大勇者様らしいって何だ? 僕はそんな慧眼なんて持ち合わせちゃいなかったぞと思う。
「ごめんごめん! さっきのは冗談だけど、本音を言うと……うん、そうだね。放っておけなかったってのが、やっぱり大きいかな?」
「放っておけない?」
「これもなんとなくだけどね。ルネくんを一人にさせちゃいけないって、ボクのガットが訴えてるんだ」
「ガット?」
「お腹のことさ。ガットは人を動かす全ての源だ。考えるのは頭だけど、それを後世に伝えているのはガットだからね。何世代も受け継がれた寡黙な叡智が、ボクの中にも詰め込まれている」
「…………」
ややこしい言い回しだが、要するに直感の言い換えなんだとルネは解釈する。
或いは蒸気という特殊な魔法の関係上、吸い込む空気を重視しているのか。いずれにせよ現代人らしい考えなのだろう。
「ガット、か」
反復しながらルネは思い出す。
それは皮肉にも、よく似た名前をした宿敵のことである。
「ガトー……」
「ガトー・シヴァイン!!」
と、そんな呟きを聞き逃さず、ステラは即座に反応する。
前のめりにぐわっと、目をキラキラと輝かせながらだ。
「え、ステラ? 知ってるの?」
「もちろんだよ!! むしろルネくんもよく覚えてたね!? 記憶喪失だってのに!!」
「そ、それはまぁ……何となく頭の中に残ってたっていうか、つい思いついたっていうか」
「うんうん! それは良い傾向だよ!! ちょっとづつ記憶が戻ってるのかもしれないねっ!!」
喜々としてステラは語るも、ルネからすれば皮肉としか言いようがない。
なにせこれまで細部が異なっていた歴史認識において、二度目の完全一致である。
一度目は大勇者と扱われている自分の本名。そして二度の一致がよりにもよって――
「大魔王ガトーのことを思い出せたなら!!」
ルネにとっては最大の宿敵であった、魔王のこととなれば。
『ふん。下賤なニンゲンが伝道者足る我に盾突くか』
ガトー・シュバインという魔族の長は一言でいうと、何処までも不遜極まりない男であった。
自らを伝道者と名乗り、若くして魔王の座を掠め取った彼の目は鋭く、一見すると美丈夫のようでありながらも禍々しい殺気を放ち、誰に対しても見下したような態度を取る、そんな男であった。
『脆い。かくも脆いとなれば、やはり貴様等には家畜が相応しい』
とにかくその力は強大であった。
生まれて間もなく力づくで他の魔族を押さえつけ、その暴を持ってして人間界へと進行した。
はちきれんばかりの威圧を前にすると、常人であればそれだけで気絶するくらいだ。半ば強制的に属国とし、奴隷紛いへと貶めた人間は数しれない。
『ほう? 摂理の伝道者である我に立ち向かうか? 面白い』
が、それと同時に妙なプライドも持ち合わせていた。
奪いはするが殺しは程々で、反逆者に対してはむしろ頬を緩ませる。
曰く、本来の自分は伝道者であって、魔族の王という身分は仮初のもの。自分という存在の先に真の世界があるのだと宣っていた。
それは自らを討伐しようとする勇者に対しても同じだった。
まるでこの世で一番力の強い者が、世界を収めるに相応しいと言わんばかりに。
『来い勇者よ!! 貴様か我か、この淘汰の果てにどちらが相応しいのかを証明しようではないか!!』
だから結局、話し合う余地はなかった。
力と力が真正面からぶつかって――今に至っている。
「でねっ! でねっ!? 大勇者様は――」
と、回想から戻る現代。
ステラは早口で、恍惚とした様子で当時の戦いを語っている。
「大魔王のスチームビームを避わして、大勇者様はマッハ2の速度で飛び回って――」
もっとも現代人による脚色というか、史実とは大きく異なっている。
なんだよスチームビームって。なんだよマッハ2て。そんな意味不明な戦闘は行われていないぞとルネは思った。
「最後には自らを犠牲に放った禁忌の大魔術!! アトミックエクスプロ―ジョンによって、魔王と周囲一帯を道連れにして、大きなキノコ雲の後には更地しか残ってなかったって話だ!!」
「あ、あはは……そうなんだ……」
「もう凄いよね!? 事前に仲間を転移魔法で逃がす機転とか、半径数キロを更地にするほどの威力もそうだけど、何よりもその覚悟だ!! 自分が死ぬと分かっていてなお、後に生きる人々のことを思って、彼は迷いなくその選択が出来たんだ!! 英雄という言葉は彼に対してあるんだって、つくづくボクは思うね!!」
「そ、そっか……そっか……」
自己犠牲という結末はともかくとして、色々と脚色された勇者様象であった。
それにルネは迷いなく出来たわけじゃない。散々迷って、夜な夜な苦しんで、歯を食いしばりながら選べた最期だった。
「ステラは本当に、大勇者様とやらが好きなんだね?」
しかし信じて貰えないであろう真実を告げるつもりはない。
彼女が思うよりもずっと小規模であった戦闘を心の片隅に置きつつ、ルネはこれまでから察していたことを問い掛ける。
「もちろんだよ! だってボクの憧れだからね!!」
と、ステラは淀みなく答える。
「大勇者ルネ・ロードブローク様! 彼のおかげで今のボクがあるって言っても過言じゃない!!」
それは聞いたルネ自身が却って恥ずかしくなってしまうくらい、忖度の感じられない賞賛であった。
心優しい冒険者で、勇猛果敢なトレジャーハンターで、現代の勇者と謳われるステラは――大勇者ルネ・ロードブローグを――ルネを心から慕っているのだ。
「…………会ったことも、ないのに?」
ルネは熱い顔を隠しながらが言う。
とんだ買い被りだ。歴史認識の間違いだ。僕はそんな賞賛をされるべき人間じゃないと。
「会ったことはなくても、本は沢山読んだから」
「本?」
「うん。ルネくんは知らないかもだけど、大勇者様の功績を称えた本は幾らでもあるからね」
いわゆる叙事詩。いわゆる冒険譚。
いずれにせよ脚色と膨張に満ちた英雄譚である。
「こう見えても昔はね、色々と辛かった時期があったんだよ。なんで母さんはボクを聖護院に預けたのかって。どうして父さんは生まれた頃からいなかったのかって」
先日言っていた『聖護院』というのは、所謂孤児院のことなんだろうとルネは悟る。
彼女は『自分が育った場所』とも言っており、つまりはそういうことである。
「それで……グレるっていうほどじゃなかったけど、院のみんなを困らせちゃってね。ちょっとしたことで同年代の子と喧嘩したり、シスターの言うことを聞かなったり、挙句には物を盗んだりなんかもして……構ってほしかったんだろうけど……それにしてもサイテーだった」
ステラは当時のことを恥ずかしそうに言っているが、無理もないと思った。自分の両親に捨てられる経験なんて、ルネでさえ味わったことがない。
「でもね? そんな時に大勇者様の本を見て知ったんだ。勇者様は神託っていう、ボクよりもずっと過酷な運命を背負って戦っていたんだって」
しかしステラはすぐに立ち直り、見上げた瞳をキラキラと瞬かせる。
事実、それは比喩ではなかったのかもしれない。気づけば夜の帳が降りようとしている。雲一つない晴天の空が爛々と星を輝かせ、彼女の瞳と共鳴しているかのようだった。
「ボクはそれで勇気づけられたんだ。どんなに辛くても前を向いて、あの御方が守ってくださった世界を謳歌しようって」
「――――」
「だからこそトレジャーハンターにもなった。失われた大勇者様の足跡をハッキリさせて、どんなに勇気ある人だったのかって知らしめることが出来れば……ボクがそうであったように、きっとまた誰かの心が救われるから」
「――――」
「ま、まぁそれと? 連邦所属っていう身分なら気兼ねなく世界中を旅できるし? おまけに勇者様達が使っていた装備とか、道具とか、そういうのをいち早く見れる立場ってことでもあるし…………あ、これはリジーには内緒にしててよね? 色々と怒られそうだからさっ!? 」
「――――」
「そういうわけで……ってルネくん?」
ぽかんと口を開いたままのルネに、ステラが首を傾げる。
しかしルネは何も答えられなかった。決して自分はそんな立派な人間じゃないけど、それ以上に夢を壊してはいけないと。
彼女の原点である『大勇者』とやらの末路が今の自分と来たら、どれだけ失望させてしまうだろう? 本当は惨めに生き永らえていて、その癖まったく現代に適応できず、雑魚モンスター一匹にさえ手を焼いてしまう有り様にどんなショックを与えてしまうことか?
そんなこと――あってはならないとルネは思った。
今を生きる子供達の夢を、彼女の夢を壊してはいけない。美しい夢は美しい夢のまま昇華されるべきなのだ。万が一自分の不甲斐なさを知られてしまい、この心優しい女の子の土台を根底から崩してしまうとなったら――
『ヒャッハアアアアアアアアア!! 聖遺物だぁぁぁ!! 新鮮な聖遺物をボクに寄こしやがれええええええ!! 大人しく武器を捨てて投降しなきゃ、痛いシッペをくらわしてやるからねえええええええ!』
ふとルネは想像してしまった。
純粋な夢が潰れて、かつての擦れていた頃が蘇り、あのスカベンジャー達のようにヒャッハー化してしまったステラを。
「ノオオオオオオオオオオオオオ!!」
「わわ!? ル、ルネくん!? 突然どうしちゃったの!?」
「駄目だよステラ!! そんなのは駄目だ!! 君がそんなことになってしまったら、僕はリジーに殺されてしまう!!」
「いや何の話をしてるのルネくん!?」
と――鬼の形相のリジーに首をきゅっと絞められるまでを容易に想像した後――ルネは改めて思った。
決して自分が『勇者ルネ』であることを知られてはならないと。
これまでの正気が疑われるとか、詐欺扱いで逮捕されるなんてレベルではない。現代の勇者であるステラを壊すとなれば、それこそ魔王レベルの大悪党になってしまう。
「僕は記憶喪失のルネ……ルネ・フラワーズだ……名前は似てても昔のことなんてなにも知らない……誰に聞かれたって、何も覚えてないんだ……」
「あ、あの、ルネくん? さっきから何をぶつぶつ言ってるのか分かんないけど、めっちゃ怖いんだけど?」
「ルネ・フラワーズだよ!! ルネ・ロードブローグじゃないからね!? 絶対に!!」
「い、いや、そんな青筋立てて言わなくたって、それは知ってるけど……」
ブツブツと言い聞かせるかのように呟いていたかと思いきや、くわっと目を広げて念入りに否定する。
気づかれてはいけないという思いが先行するばかりで、必要以上に過敏になりつつあるルネであった。もしもかつての仲間がここにいれば冷静に突っ込むことだろう。『気づかれたくなかったらもっと普通にしなさい』と。
「ルネくん」
なんて、幼馴染の声が脳裏を過ぎる最中だった。
眼前のステラが声を潜め、横目を忙しなく這わせ始めたのは。
「ようやく来たみたいだ」
「っ!」
ワンテンポ遅れてルネも思い出す。
そう言えばそうだった。雑談に夢中になっていたが、今は敵地で、相手からの襲撃を待っていたのだと。
「ス、ステラ……どれだけいるの?」
ルネも同じように声を潜め、ステラに問う。
目一杯に五感を動員しても、円状に感覚粋を広げる
「十五体ってとこかな」
「――――」
「そこで待ってて。すぐに片付けるから」
と、彼女は二つ折りの剣をガチンと開き、染まりたての闇を行き交う。
それからはバスンドカンと、忙しないシルエットの動きばかりだった。
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