自分だけの人生って?


「はぁ……はぁ……だ、大丈夫? ルネくん?」


「う、うん」


 念入りに周囲を見回した後で、ステラはルネに語り掛ける。

 流れる汗に荒い呼吸。これまで戦闘は何度かあったけど、そういえば初めて見る姿だと思う。


「ステラさん、出力全開オーバードライブを使いましたね?」


 と、そこに低い声が割り込む。

 遅れて歩いて来たリジーが、ジト目でステラを睨みつけている。


「あ、ええと……それは」


出力全開オーバードライブは魔力の消費量が激しい。まだ洞窟に入ったばかりだと言うのに、ガス欠になってしまったらどうするおつもりですか? また私が貴方を抱えて出口まで持って行けと?」


「ご、ごめんよ。でも、ルネくんが危なかったから……つい」


「…………はぁ。もういいです。ステラさんならそうするって、警戒していなかった私の所為でもあります」


 彼女はそう言って、次にキッとルネを見下ろす。『お前の所為だぞ?』と言わんばかりの目つきだった。


「う……ごめん」


 そこにルネは……返す言葉もない。出力全開オーバードライブとやらがどういう魔法なのかは分からないが、きっと自身に相当の負担を与えるものなんだろう。

 そしてそれを使わせたのはルネだ。無謀にも前に出てしまったことに対し、一発二発殴られても……は命に関わりそうだから勘弁してほしいとして、説教は甘んじて受ける他ないと思う。


「ほら、何をしてるんですか?」


「え?」


「足の傷を見せなさい。早くしないと出血で死にますよ?」


 が、リジーはそうではなかった。

 ルネの前に屈んで、太腿に突き刺さった傷に顔を近づける。


「うん……これくらいならすぐに処置出来ます。歯を食いしばってください」


 そしてリジーは破片を指で掴む。

 ルネは次にされることを理解し、言われた通りに歯を食いしばった。


「うぐっ」


 ぶちゅっと音を立てて破片が抜かれ、だくだくと鮮血が噴き出す。

 心構えがなければ悲鳴を上げていただろう。思った以上に深く貫いていて、反対側にまで貫通している。


「安心してルネくん。リジーは一流の調合師ブレンダーだから」

 

 痛みに耐えるルネに寄り添い、ステラが言う。

 それは以前も口にしていたことだ。自分の怪我を見てくれたのは治癒師ヒーラーではないと。


「ちょっと染みますよ」


 が、すぐにルネはその言葉の意味を理解する。

 リジーが取り出したのは杖でも薬草でもなく、さっきと同じ試験管だ。

 たらりと中身を垂らされた瞬間、ジュっと傷口が焼けるような感覚を味わう。


「あだっ……! あだだだだだだだだだだ!!」


 というか熱い!! めっちゃ痛い!!

 治療というより拷問だと思った。


「痛かったら手を上げてくださいね」


「はいはいはいはい!! 痛い痛い!! もう既に痛いがらっ!!」


「そうですか。なら治療を続けますね?」


「いやまさかの聞いただけ!? 加減をしてくれるわけじゃないの――ってあだぁっ!? あだだだだだだだ!!」


 肉を直接焼かれるような感触は、刺し傷に耐えていたルネでも堪え切れない激痛だった。

 ひょっとしてこの機に乗じて僕を亡き者にするつもりでは? 二人っきりの旅を邪魔したから? 間に挟まった罰として!?

 そんなアホな陰謀論まで頭を過ぎってしまうルネであったが――


「いだだだだだだ……だ…………あれ?」


「はい、終わりましたよ」


 と、リジーがすっと離れる。

 患部を見下ろすと、痛々しい傷は跡形も残っていなかった。

 それも単に塞がっているだけではなく、瘡蓋や痣の類でさえもだ。まるで何事もなかったかのように、何ら違和感のない肌色をしている。


「ね? 言ったでしょ? リジーは一流の調合師ブレンダーだって」


 まるで自分のことのように誇るステラに、ルネは機械的に頷き返さざるを得ない。

 これが現代人の技術というものなんだろう。ちょっと痛いことがタマに傷だけど、それを差し引きしてもお釣りが来るだけの技前だと思う。


「こんなの誰にでも出来ます。特別なことじゃありません」


 そんな賞賛にリジーは一層顔を逸らしてしまう。それでも隠しきれていない耳が赤みをさしている。


「そんなことより先はまだまだ長いですし、早く進みましょう」 


「だね。ルネくん、もう立てそうかな?」


「う、うん」


 ステラの手を取って、ルネは立ち上がる。

 足にさっきまでの痛みはおろか、違和感一つ感じなかった。


「リジー」


「なんですか? 敢えて痛くした苦情なら受け付けませんよ?」


 それからルネは真っ先にリジーに駆け寄った。

 ほんとに敢えて痛くしたのか、というツッコミは堪えながら。


「ありがとう」


「……え?」


「ステラも、リジーも、君達のおかげで助かった。それとごめんね? 捨て置いても構わないって誓ったのに、結局僕のフォローをさせちゃって」


 ルネからすると、それは自らの覚悟を反故にしてしまったことによる、心からの謝罪だった。

 しかしリジーはどう受け取ったのだろうか? キッと恨みがましく歯を噛み締めるのは当然だが、パチパチと繰り返す瞬きと、不安定に上下する眉の動きは説明出来ない。


「そ、そう思ってるなら、もう二度と前には出ないことですね!? 貴方は弱っちいんですから!!」


 が、それも含めて、要するに憤怒だったのだろうとルネは思う。

 何せこれで三度目だ。この現代に行き着いて、この身を救われたのは三度目となる。そこまでくると、もうどんな言い訳も聞かない。自分はインフレについていけていないのだ。


「もう二度と無茶をしないから」


 だからこその誓いだったのだが……それを自分でも空虚なものに感じられたのはどうしてか?

 少なくとも今の時点で、ルネはその意味を理解していなかった。




 それからの探索は、ほとんど障害らしきものに遭遇しなかったと言える。


「はあああああああ!!」


 しかし、もっともそれは遭遇エンカウントがなかったことを意味しない。


「燃えなさい!!」


 危機と呼べるほどの状況に出会わなかったのだ。

 機械兵との遭遇はあれど、ステラもリジーもそもそもが強い。

 ルネが足を引っ張ることがなければ容易に弾き飛ばせる、戦闘とも呼べぬほどの蹂躙で終わってしまった。


「ここが最奥部のようですね」


 そんな小競り合いを繰り返しつつ、三人はやがて最奥部へと辿り着く。

 そこは石の細道から一転として開けた空間だった。凸凹とした天井の隙間から、丁度正午に至るであろう日の光も刺しており、闇と光のコントスラストを生み出している。


「うーん……ないなぁ」


「ありませんね」


 が、彼女達からすれば肩透かしもいいところだ。

 ざぶざぶと水たまりを漁ったところで、古代の何かは欠片も出てこない。


 一方でそんな姿を見ながらルネは思う。そりゃそうだろうと。 

 シアブラッド鍾乳洞の時とは違って、今回は正真正銘初めて訪れる洞窟なのだ。

 なればこそ自分達の――聖遺物の片鱗が残る道理はない。当時の仲間の一人に、自分以上の冒険好きがいたとすれば話は別だが。


「おかしいなぁ。何か一つくらいは残ってると思ってたんだけど」


 と、しつこくもステラは水たまりを漁る。


「思い違いとか、そういうのがあるんじゃないかな?」

 

 それに対して史実を知っているルネは、バッサリと吐き捨てる。

 

「きっと彼等が訪れた地じゃなかったんだよ。ここは魔王討伐とはまったく関係のないダンジョンで――」


「あ、それは分かってるよ?」


「え?」


 が、ステラは「何を今更」と言わんばかりに返した。


「ここはその後のことだよ。大魔導士ビディが魔王討伐の後、治世を行った後で、最後に訪れた地って話だったから」


「――――」


「だからその……あっ、ほら! 見てみなよ!!」


 言ってステラは天井の、光が零れる隙間を指差す。

 そこは洞窟の底でありながら、七色のアーチを描いていた。


「空間、光、時間帯……あとは空気中の魔力。あらゆる条件が奇跡的に噛み合って、あんなに綺麗な虹が生まれるんだ。だから霊験あらたかな場所として、昔は大魔法の実験なんかで使われたって話もある」


 さっきまで気づけなかったのは注意が欠けていたからではない。太陽の角度の問題だったのだ。差し込む光は朱が混じっていて、外はきっと夕暮れに至っている。

 そして一度生まれれば、次々に広がっていく。床も、壁も、天井も、あらゆるところが虹に染まり始めていた。

 

「魔導士ビディは、最後にあそこに消えたんだって」

 

 その幻想的な空間を前にして、ルネは言葉を失う。

 彼女が指さす、まるで天国へ繋がっているかのような、空へと向かう一層鮮やかなアーチを追いながら。


「通説では大勇者様を探す為だって言われてる。自分の身を犠牲にしてまで、この世から去ってしまった彼の魂を探す為に」


「……………………虹の、先」


「え? なにそれ?」


「…………」


 ルネは答えなかった。答えることが出来なかった。

 過去の記憶が濁流のように蘇る最中、「そういえば」と思う。ビディとはブリジットの愛称であり、サラとミラは親しみを込めて『ビディ先生』と呼んでいた。


 が――違う。先生はそんなことは考えない。 

 ルネは首を振って、すぐに考えを振り払う。きっとこれは以前と同様、よく似た名前の、赤の他人によるものだと。


『だから坊やも、アタシを引き留めたいなら精々――長生きをして、自分だけの人生を謳歌するこったね』


 それと同時に、奇しくもルネの脳裏に、昨晩夢見た言葉の先が蘇る。

 ピンと来なかったからだ。どうして先生は自分にそんな言葉を残したのか、理解出来なかったからこそ、今の今まで忘れていた。


(先生、自分だけの人生って何ですか?)


(僕は自分のやるべきことを、自分の意志でやってきました。後悔なんてしてません)


(それをどうして、あんなに寂しそうな顔をしながら?)


 心の疑問に答える声はない。

 ただただ爛々と、七色の世界だけが彼を暖かく見下ろしていた。

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