二度目の冒険2


『坊やはまだまだだね』


 サラとミラのことを思い出したからだろう。

 その日の夜――彼女達の師匠であり、ルネの師匠でもあったブリジットのことを思い出したのは。


『何処もかしこも粗削りだ。そして覚えも悪い』


『うぅ……』


『そんでもって凹むとすぐにベソをかく。やれやれ……どうして人間共はこんな子供に、魔王討伐なんて任務を任したんだか』


『な、泣いてなんかないです!!』


 それは旅の道中――ルーザラス大森林の野営地において、特別授業を受けていた時の記憶だ。

 ルネは実際に泣いてはいなかったが、思うように魔法を操れぬ不甲斐なさに、ちょっと涙ぐみそうになっていた。


『ふーん。まぁアタシからすればどっちでもいいけどさ』


 と、女魔道師は質感の良さそうな頬を撫でながら言う。尖った耳をピンと立てながらだ。

 ブリジット・クラヴィスは当時からも珍しい、数えるくらいしか残っていないと言われていたエルフの末裔だった。妙齢の色っぽい女性に見えても、その歳は優に300を超えていた。


 そんな彼女からすると当時のルネなんて、孫以下も同然だ。

 老熟した魔術の腕も相まって、とことん子ども扱いされた過去ばかりが蘇る。


『まぁでも、その未熟っぽさが羨ましくも思えるもんだよ。アタシはもう搾りカスみたいなもんだからね。成長しなくなって時代に置いてかれてるっていうか、あんまり長く生き過ぎるのもどうかなって』


『そ、そんなことは!!』


 が、そんな師匠を疎ましく思ったことは一度もなかった。

 むしろルネはずっと尊敬し、感謝していたのだ。厳しくも親身になって、扱える者の少ない雷魔法の手ほどきをしてくれた。そればかりかルネ達の身を案じ、求道者としての立場をかなぐり捨ててまで、魔王討伐の旅に同行してくれたのだから。


『先生のおかげで今の僕があるんです。だから搾りカスとか、長く生き過ぎるとか……そんな悲しいことは言わないで下さい。これからだって、先生を必要とする人はきっといる筈ですから』


『まったく……坊やはお世辞が上手なことだ』


 まるで子供にそうするかのように、ブリジットはルネの頭を撫でる。


『なぁ坊や。アタシの目指す先は分かってるだろう?』


『はい。虹の先、ですよね?』


『そうさ。魔道の究極地点ってやつさね。アタシはそこを目指したいのに、世界征服だとか馬鹿げたことを宣う魔族がいるから、アタシは坊や達に協力してる』


 それは彼女がルネのパーティーに加わってくれた時に、しかめっ面で言っていた建前だ。


『虹の向こうには不可逆と呼ばれる世界がある。遥か昔の魔法使いが残した言葉さ。今ではどいつもこいつも馬鹿馬鹿しいって一蹴するけど、不可逆ってことはそういうことなんだろう? 一度入り込んだら帰ってこれない境地ってことで、だからこそ心惹かれるもんがある』


『…………』


 未熟な魔法使いへの教師であると同時に、ブリジットは求道者であり続けた。

 弟子を助けたい気持ちと、自らの欲望を果たしたいという気持ちが同居している。

 たとえ彼女の謳う虹の向こう――そこが二度とは帰って来れない境地であったとしても。


『先生は、必要です』


 だからこそ、ルネはそう言われると感情に訴える他なかった。


『先生の知識が、平和になった後の世界でも必要なんです』


 理屈も道理もない。


『先生がいてくれれば、きっとより良い世界になる筈だから』


 それがエゴでしかないと、ルネは自分でも分かっていた。

 本音を言えば大好きな先生が――サラとミラ、そしてルネに対してもそうであるように――まんざらでもなさそうに教鞭を奮い、楽しくあってほしいと願っているだけだから。


『おや? なんだい? 随分とアタシのことを心配してくれるねぇ?』


 が、そんなルネに向かってブリジットはニヤーっと笑う。

 さっきまでの真面目ぶった態度が嘘のようで、ルネはまたしても揶揄われたのだと知る。


『なっ! まさか先生!?』


『おーおー、この歳になって嬉しいもんだねえ? まさか可愛い坊やに『いかないでお師匠! なんでもしますからっ!』なんて泣きつかれるんなんてねぇ?』


『いやそこまでは言ってませんけど!?』


 いつものブリジットの策に嵌まってしまった。

 彼女はよくよくルネをからかうことが好きだったのだ。


『う、うううううう! やっぱ前言撤回だ! とっとと虹の向こうでも何処へでも行っちまえ!!』


『ふふふふふ、まぁまぁ』


 そうやって不貞腐れるルネに、またしてもブリジットの掌が慰める。

 最初に出会った時から揶揄われてばかりだ。しおらしそうに見えたからって気を遣うじゃなかったと、そんな風に思うルネに対して――


『心配しなくとも、何処にもいかないよ』


 なんてことを、ブリジットは言った。


『アンタ達が生きている間はね。サラが、ミラが、それと最近加わった可愛い坊やが……棺桶に入るまでそうするつもりはないさ。アタシは長生きなんだ。少々ゆっくりしてたって、それくらいの時間はある』


『…………』


『だから坊やも、アタシを引き留めたいなら精々――』


 それから先に何と言っていたか? 

 ルネは覚えておらず、古き夢もそこで終わりを告げる。


 フェイドアウトしていく世界の後に待っているのは、同じ野営地でも400年後の朝である。

 彼は短い再開に別れを告げ、再び激動と困惑に満ちた旅に出る。




 衝撃的な空の旅からしばらく陸路を進んで、キャンプを一日挟んだ翌朝のことである。

 ルネの目の前にぽかんと、大きな穴が口を開いて待っていた。


「ここがラ・ゴルドの洞窟さ! 昔は浜の方から入れたみたいなんだけど、今は海水の急上昇で塞がっちゃってね? でもその影響もあったのか、地下水によってこの入口が出来たのが100年ほど前だって聞いてる」


 と、まるでガイドのようにステラが捲し立てる。

 しかしルネからすればそれは洞窟というより、陥没穴シンクホールの類である。

 ぽっかりと開いた空洞は何処まで繋がっているのか、その最奥は太陽の光でさえ通さない。まるで大きな怪物の口の中を覗いているかのようで、本能的な忌避感を感じてしまう。


「でねっ? 状態が状態だから全容は未だ分かってないんだよ! 一度入ったら二度とは上がってこれないとか、古代の魔道生物が跋扈してるとか、誰が仕掛けたかも分からない危険なトラップ塗れだとか、もうとにかくロマンを感じるよね!?」


 一方でステラはそんな態度はおくびにも出さず、むしろふんすふんすと高揚していた。

 聞く限りでは危険しかないのに、この辺りが『トレジャーハンター』という仕事のサガなんだろうか?


「でもそれだけじゃないよ! ここの最奥は自然魔力がもっとも満ちる時間帯があるみたいで、あの『ビディ・タリブジー』が最後に訪れた地だって説もあるんだ!! それが本当のことなら、きっと貴重な聖遺物が眠っている筈だ! なにせあの七月結社の終身名誉会長にまで選ばれたビディだからねっ!!」


「あ、あはは……そう」


 しかしルネからすれば右から左というか、すぐに忘れてしまいそうな固有名詞の連続である。

 誰だよビディって。なんだよ七月結社って。聖遺物と呼ぶからには400年前の勇者パーティが関わっているのだろうが、やっぱりルネにはちっとも結びつかない。きっとまた歴史の悪戯というか、自分とは関わりのない、何処ぞの誰かなんだろうと結論付ける。


「ステラさん、いつもの大勇者オタクはその辺にしておいて」


 と、そこで助け船というか、リジーが呆れがちに割って入る。


「ルネさんがアホな顔でぽかんとしてますから、とっとと中に入りましょう。あまり探索が長引いてしまっては、帰りの便の船長も困らせてしまいます。それにルネさんもアホな顔をしてますから、迅速に動いた方が得策かと」


なんでアホな顔って二度も言ったの? それもわざとらしく僕の顔を見ながら? とルネは思う。


「あ、うん! そうだね!!」


 一方でステラはリュックの中からロープを取り出し――リジーがそうしているように――近くの太い木に結び付けては、自らが身に着けた金具の穴に通し、残った部分を穴の底へと落とす。

 昔とやり方は違えど、どうやら今度は未知ダイビングの類ではなく普通に降りるらしい。


「だ、大丈夫ルネくん? またボクが一緒に降りてあげても」


「大丈夫。後ろ歩きの要領で降りる感じでしょ?」


 ルネは補助を断り、自分の手でロープを握る。

 高所の昇り降り自体は、魔王討伐の冒険にもあったから慣れていた。


 それに今はハーネスと呼ばれる装着具もあってか、かつてよりずっと安定してるように思える。

 蹴って、降りて、蹴って、降りてを繰り返し、少しづつ太陽の光が遠ざかって行くが、気持ちにゆとりはあった。

 眼下にぽっかりと開いた水面や、転々と苔の生える岸壁や、そこにかろうじてうごめいている小さな昆虫を眺める余裕さえも。


「着いたよルネくん?」


「あ、うん」


 そんな自然の強かさに目を惹かれていたからだろう。

 気づいた時には両足は重力を取り戻し、視界は闇に染まり、彼女の声だけが残響していた。


「灯りを付けます」


 そう言ってリジーはマッチを擦り、携帯式のオイルランプを灯す。それから横のツマミを回し、綿の芯を出し入れし、程よい明るさへと調整する。

 松脂を塗った松明に比べるとずっと楽で、便利なものだとルネは思う。

 

「ここ、思ったより広くはなさそうだね」


 確保出来た光源の範囲内で、ステラはバシャバシャと水たまりを踏む。

 地上から想像するほど大きくはなく、そのほとんどが壁に囲まれていた。


「何処もかしこも行き止まりだらけだ。また外れなのかな?」


「いえ」


 が、すぐにリジーは否定する。


「水の落ちる音が聞こえます。たぶんここが最奥ではないのでしょう」


「え?」


「ん……ほら、ステラさん。進むべき道はありましたよ」


 彼女が差した先――そこはザーザーと水が下へと流れている。

 ほとんど滝のようだ。つまりはまだまだ下に繋がっていることを意味する。


「行きますか?」


「もちろん!!」


 答えの分かり切った、短い相槌の応酬だった。

 そうやって何度も降下を重ねて、遂には完全に日の光が届かなくなってしまう。


「む……これ以上の底はなさそうですね」


 と、ランプで照らしたリジーが言う。

 そこは十二分に伸ばしていたロープの限界地点であると同時に、地下水の終点でもあった。

 

 上から下への移動はそこまでで、今度は前方にぽっかりと穴が開いている。

 そこは明らかに地盤沈下によって出来た空間ではなく、ようやく『ラ・ゴルドの洞窟』と呼ばれる場所に繋がったのだと知る。


「これ、帰る方が大変だよね?」


 よくよく考えると昇り返すのも大変だ。

 帰りは別の出口があればいいなと、解いたロープを垂らしながらルネが思っていたところ、


「そんなことはどうにでもなります。それより先客がいるようです」


「え?」


 潜めるようなリジーの一言に、ルネは間抜けな声を漏らす。


「だね。それも友好的じゃなさそうだ」


「え?」


 頷いて剣を抜くステラに、ルネはキョロキョロと周りを見る。

 が、ランプの外は一面真っ暗だ。耳を澄ませてみても地下水が流れる音ばかりで、『先客』なんてものはちっとも感じられなかった。

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