二度目の冒険


 リジー・チェンバースは冒険者というより、牧師を感じさせる風貌をしていた。

 短い頭髪を更に邪魔だと言わんばかりにバレッタでまとめ、だぼっとした黒衣のポケットには器具と思しきアイテムが詰め込まれている。


 ブレンダーという職種が何を意味するのかは分からないが、少なくとも前衛職ではないとルネは思った。黒衣から覗かせた素肌は白く、細く、見てる限りで荒事に長けているようには思えない。

 されど目つきの鋭さは荒くれものにも負けていない。負けん気が強い子……というのもそうだろうが、そこには確固たる自負が感じ取れる。


「ここまででいいです」


 そんな子が甲板に立って、バサバサと黒衣をはためかせながら言う。船長に手渡しているのは紙幣だ。

 はて? ここまでで良いとはどういうことか? まだ飛空艇は着陸姿勢にも入っていないのだが?


「あ、ルネくん! 準備は出来たかな!?」


 ルネが眉を潜める最中のことだった。

 現れたステラが着ているのは何時ものコートではなく、上下一体で、首元から股下までファスナーが伸びた妙な衣装だった。全身がフィットする造りの関係上、女性らしいボディラインが露わになっている。


「あの、それなに?」


 が、ルネはそれよりも背負っている物に目を引かれた。

 まるでこれから山登りでもしようと言わんばかりの大きなリュックサック……ではなく鉄の四角い塊だ。下方にはブイのような丸い球体が、左右に一つずつ取り付けられている。


「なにって……四十六式降下器だけど?」


 と、ステラは当たり前のように返す。

 ルネからすると――うむ、分からん。これも現代っ子によるギミックの一つなんだろうと思わざるを得ない。


「次の聖遺物の目標地点は、アスカラーフ群島の離れに位置する陸の孤島です」


 と、清算を終えたリジーが話に入って来る。


「帰りは船を寄こしますが、行きは出来るだけ早い手段を取りたいので」


 一応は記憶喪失ということを慮ってくれているのか、ルネを方を見ながらだった。


「や……それはいいとして、君達は何を?」


「すぐに分かりますよ」


 しかし説明は中途半端なまま、リジーは黒衣を脱いでは、身体へキチキチに縛ったバッグへと詰め込む。

 その下はステラと同様、あのピッチリとした妙な衣装だ。しかしステラ以上に発育が良いのか、その豊満な胸が際立っていて……ではなく。


「いやだから何を? これから何が始まるっていうのさ?」


「ルネさんと言いましたね?」


「だから」


「覚悟、見せてくれるんですよね? 本当に泣き叫ばないでいられるか見物です」


「――――」


 そこで見せるリジーの微笑は、意味深にニタリとしたものだった。

 ルネは気づく。彼女はこれから起こり得ることを、敢えて説明していないのだと。


「じゃあルネくん、固定するからね?」


「ちょっ!?」


 そうこうしている内に、何時の間にか背後に立っていたステラは平たい紐でルネを縛る。それも彼女ごと巻き込んでだ。手足は自由であったが、ステラの前面とルネの背面が密着する形になる。


「これで準備良し、と」


 最後にカチンとベルトの金具が固定される。

 何が何やらルネにはまったく理解できない。


「ではステラさん、私は先に行きますので」


「うん。もし逸れた場合の地点は覚えてるよね?」


「さ、先に行くって何!? ここ空だよ!? 行くとこなんてないよね!?」


「はぁ……むしろ心配なのはステラさんの方です。また大きく降下地点がズレて、一日中探し回るなんてことはやめてくださいよ?」


「だ、大丈夫だって! ボクだってもう何回もやってるんだし、予定地点から大きく外れるなんてことは……五回に一回くらいしか」


「だから何なの!? 君達どうするつもりなの!?」


「五分の一で失敗するのは大概でしょうが。まぁ念の為に発煙弾は持ってますから、二度とあんなことにはなりませんが」


「うぅ、リジーの意地悪」


「いや意地悪されてんの僕!! 勝手に二人で話を進めないで、僕の訴えを聞いてくれないかなぁ!?」


 と、ルネが割って入ろうとしたところでこのザマだ。

 ステラは天然でそうしているのだろうが、リジーは違う。時折こちらに横目を向けては、口元には抑えきれない笑みが零れている。


「さて。お喋りはこの辺りにして」


 やがてそんなルネの狼狽えっぷりにも満足したのか、リジーはスタスタと甲板の端まで歩いて行く。

 そして手すりに足を乗せたかと思いきや――


「では後ほど」


「なっ!?」


 飛んだ。

 千か、二千か。いずれにせよ雲を突き抜け、群島が一望できる高度だ。

 そんな場所からリジーは落ちたのだ。躊躇うことなく、両手両足を大きく広げながら。


「ええええええええええええええ!?」


「ほらほらルネくん。驚いてないでボク達も」


「いやいやいやいや! だってリジーが!!」


「ボク達だってすぐに追いつくから」


「いやいやステラ!! いま君の仲間が落ちたんだよ!? もうちょっと焦ろよっていうか、何か悩み事とかあったんじゃないかって考えたりとか――」


「よっと!」


「へ?」


 なんて抗議の声も空しく、すぐに途切れる。

 ステラも同じように飛んだのだ。身体をピッタリ固定されているルネが、一緒になって落下するのも必然で――


「――――」


 瞬間、すさまじい風が突き抜けた。

 否。厳密にいうと吹いているのは風ではない。落ちるルネが自ら空気にぶつかりに行っている。

 何せ高度数千メートルの世界からの自由落下だ。ぶつかる大気の壁はそれ自体が暴力であり、それに伴う一番の弊害は――


(息が! 息が出来ない!?)


 口を開いた途端に空気が捻じ込まれる感覚だ。

 ルネはすっかりパニックになっていた。それによる焦りが手足を無駄にジタバタとさせ、より一層苦しむという悪循環だ。


「ルネくん! 叫んで!!」


 が、そこで背後のステラが声をかける。


「そうしたらマシになるから!! 思いっきりだよ!!」


「わ、わああああああああ」


「もっと大きく!! 目一杯に!!」


「わああああああああああああ!!」


 叫んですぐに分かったことは、押し込まれる気圧の中での呼吸の仕方であった。

 叫んだ分だけ息を吸い込むと、彼女の言う通りマシになった。


「――――わぁ!」


 その先に待っていたのは――かつての冒険では見られなかった絶景である。


 確かに今も恐ろしい。が、生まれて初めて見る落下中の光景は、霊鳥に乗って旅をしていた時とも、さっきまで乗っていた飛空艇ともまた違う。

 自らの身体で雲を突き抜け、遮る物のない視界で遥か地上を見下ろし、全身の皮膚を持ってして風を感じている。視線を這わすと一面に広がる森林に、ミニチュアのような集落に、何処までも伸びる平原や、谷間に流れる川の流れが、青空をバックグランドにして贅沢な一枚絵と化す。


 今この瞬間、世界を一望出来ているのだとルネは思った。

 その感覚は他の何にも変えられない。やはり世界は美しい。この命を賭しても守るべき価値はあったのだと――あらためて、そんな感情に浸ってしまうくらいに。


「パラシュート出すから、舌を噛まないでね」


 だからステラがそう言う頃には、ルネはすっかり落ちついていた。

 ブイのような球体を引いて、背中からぶわっと扇状の布が飛び出し、それが一気に風を受けてぐわんと浮遊感を与えようともだ。


「――とっ! 無事にちゃくりーく!!」


 やがて地上に辿り付き、ステラはベルトを外しながら言った。


「今回はランデブーポイント通りだから、百点満点だねっ♪ ルネくんもそう思うでしょ?」


 一方でルネは夢見心地で、すっかり呆けていた。

 緊張と恐怖の解放感からの、興奮と快感が押し寄せたのだから無理はない。


「ぐ……あんまり怖がってないじゃないですか……!」


「あ、リジー!? 見た見た!? ちゃんとボク、予定通りの地点に降りられたよ!?」


 と、先に降りていたリジーは面白くなさそうに、ステラはドヤ顔で胸を張りつつ、彼女達はファスナーを降ろして妙な衣装を脱ぐ。

 その下には来ていたのはシャツとズボンだ。抱えていた鉄のバックパックも地面に降ろし、側面の突起を何度か落とすと、ぶしゅっと音を立てながら独りでに分解する。


 パラシュートの収容部と、携帯品の収納部の二段構えになっていたのだ。

 ステラは中からコートと二つ折りの剣を。リジーは試験管の山で、中に入りきらなかった黒衣は身につけていたバックパックから取り出す。


「あっ……それ、そういう機能もあったんだね」


 と、遅れてはっとしたルネが言う。

 さっき衝撃的な自由落下からの生存を果たしたばかりだ。ちょっとやそっとのギミックで驚く心境ではない。


「……気に食いませんね」


 そんなルネに、しかめっ面のリジーが言う。


「まぁすぐに化けの皮が剥がれるでしょうけど……にしたってステラさんは甘すぎます。何処とも知れぬ馬の骨を、それに本当かどうかも分からぬ自称記憶喪失の男を拾って……私達の仕事の同行させるだなんて……! 何よりせっかく久しぶりの二人きりだというのに……ほんとに……もう……!!」


 ぶつくさと呟きつつ、ぷりぷりと足を踏み鳴らして先導する姿に、なんだか私怨が垣間見えるような気がした。


 不意にルネが思い出したのは、かつての仲間のサラとミラのことだ。ルネとソフィがそうであったように、彼女達も辺境の幼馴染同士であった。

 加えて彼女達は女同士でありながら、ただならぬ距離間にあった。その仲睦まじっぷりというか、ツーカーっぷりは熟年夫婦のよう。あの女好きのヴィルでさえ、ちょっかいを掛けようとしなかったくらいだ。むしろ神妙な顔でルネを肩を叩き、こうまで言ったのだ。


『ルネ。いくら女に飢えてるからって、あいつらに手を出すのはやめとけよ? 間に挟まることが死罪に等しいってことは、俺にだって分かってるんだからな?』


 当時は――何言ってんだコイツ。馬鹿じゃねえのか? 女遊びし過ぎて脳までイカれちまったんじゃないか? なんてことを思ったルネであったが、今はちょっぴり分かってしまう。 

 ステラとリジーもそういう感じなんだとルネは思う。ステラからリジーはともかく、その逆のクソデカ感情は確かにあると思った。


 もっともルネにそういうつもりは毛頭もないし、現代人であるが故の価値観の違いだと流せる。

 多様性というやつだ。あまりその辺りに干渉すべきではないと思いながら――

 

「ルネくん、立てる?」


「あ、ああ、うん」


 ルネはステラの手を取って立ち上がる。

 や、別に間に挟まろうって気はないからね? 僕はそれより自分の目的を見つけるのが第一なんだからね? などと一人心の中で言い訳しつつ、ルネはその後を追って、次のダンジョンへと足を進めるのだった。

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