400年後の世界
『ルネはさ』
幼馴染の少女――ソフィが呆れたように言う。
それは子供同士の小さな戦争の後であった。地面の土が浅く抉れて、周囲の雑草が薄汚れている。
沸き立つ熱の残滓はくんずほずれずの掴み合いによるものだ。対悪ガキに対して都合三十勝目を勝ち取った彼女は額から汗を滴らせ、特に嬉しくもなさそうにそれを拭っていた。
『もう少しやり返すってことを覚えないと。そんなんじゃこれから苦労するよ?』
『うぅ……』
『神託、選ばれたんでしょ? でもそんなザマじゃ、すぐに魔物に食べられちゃう』
『ぐすっ……』
幼きルネは言い返せず、ただただ鼻を啜る。
ルネに神託が下り、『神の尖兵』として選ばれたのは三日前のことだった。
九歳を迎える子供が受けるテストだ。五元素の中からの適正試験を受け、彼は世にも珍しい『雷』の適正を示した。
それすなわち女神の神託だと、この世界の、この時代の民はそう認識している。
だからこそ、その福音を『女神イリスからの神託』と見なし、十八の誕生日を折に魔王討伐の旅を義務付けられる。
『ルネが神の尖兵だなんて、あり得ないよ』
しかしソフィが不満げに言うのも無理はない。
当時のルネはひ弱で臆病で、同年代のいじめっ子から成す術もなかった。
この時もそうだ。神託という栄誉に嫉妬した、心ない子供達からやっかみを受け、結果として女の子の手で救われている。
『だからさ? 今からでも、ね? ほら、逃げることだって出来るし、そういう人も珍しくないって聞いてるし』
言いながらソフィは、首から下げたペンダントを握りしめる。
それは五歳の頃に亡くなった彼女の母親の形見であり、彼女は不安そうな時にそのような仕草を見せる。
そして不安そのものはルネも感じていた。
どうして自分が選ばれたのか? どうして自分なのか? 九年後に旅立つ自分の姿が、まったく想像出来ないのだ。
『――守るよ』
『え?』
『逃げたくない……守りたいんだ』
それでもルネは義務を投げ出そうとは思わなかった。幼心にも成すべきことが分かっていたからだ。
今も魔王軍に苦しめられている人々がいることを。そしてそんな魔の手はやがて、彼女にも至るであろうことを考えると、
『僕は君を守りたい』
『――――』
『今はこんなだけど……僕に守れる力があるっていうなら、そうしたいんだ』
この心優しい幼馴染を、ずっと自分の盾になってくれたソフィを守りたいと、心からルネは思っていた。
『だから僕はやるよ』
『神の尖兵として全力を尽くして、いつかは勇者になってみせる』
『それで君が……笑顔になれるなら』
それがソフィへの何よりの恩返しだ。
彼女が憂い一つない空の下で暮らせるなら、何を差し出しても構わない。
『……ル、ルネの、くせに』
『ソフィ?』
『ルネの、くせに! このこのっ! ルネのくせに、もうっ!!』
『いたっ、いたたたた!! ちょ、ちょっとソフィ!? いたいってば!?』
当時のルネには分からなかった。
どうしてソフィが顔を真っ赤にして、自分をポカポカと叩いているのかを。
その意味を理解出来たのは遅く、それから十数年の月日を経た後のことだ。
あれは照れ隠しだったのだ。腕白だったソフィにも可愛いところがあったんだなって――そう思う頃にはもう遅い。
その頃にもうルネは、義務の真なる意味を理解していた。
雷を扱えるのは神託ではない。封印魔法への適性試験だったのだ。だからこそ自分が選ばれたのだと、俯瞰的に見られるようになった後で――
「ソ、フィ……?」
呟きつつ、薄っすらと瞼を開く。
見知らぬ天井。歪む風景。瞼に湿っぽいものを感じた。
「っ……」
瞼の涙を拭いつつ上半身を起こす。
窓の外から見える光景はかつてのものではない。未知なるエネルギーに支配された400年後の世界であり、ずっと寄り添ってくれていた幼馴染はもういない。
「っ……っっ……」
続けざまに零れそうになる涙をルネは堪える。
全部自分が選んだことだ。今更後悔する権利もないと言い聞かせて、彼は衣服を着替え始める。
なにせ朝は早い。時計は午前五時。一泊2000NG(※ネオガルド。かつて
イリス歴1755年の、未だ慣れぬ仕事現場が。
「おいコラ新人! ぼさっとしてんじゃねーよ!!」
「は、はいぃ!!」
親方からの怒声を浴び、ルネを自分に鞭を打って鉱石を運ぶ。
イリス歴1755年。ルネの生きた時代から400年後の世界は、何もかもが様変わりしていた。
「むせてんじゃねーよ!! この程度の粉塵で!!」
「げほっ、ごほっ、は、はひぃ……!」
あちこちで黒い煙がもくもくと舞い上がる街だ。
されど住民は慣れたものなのか、いちいち咳き込んでいるルネがマイノリティであった。
「ぬわああああああああ」
「っと、また引火しやがったか。おーい、消防班!」
硬い岩盤に爆発物を使うのは日常茶飯事。
それでも作業員は顔色一つ変えず、分厚い硬質の眼鏡(ゴーグルと呼ぶらしい)を身に着けては、淡々と作業を続ける。
「よーし! 今日の作業はこれまでだ!! 野郎共、飲みにいくぞ!!」
「「「おおおおおおおおおおおおお!!」」」
「おええ……うっぷ……」
そしてバイタリティもとんでもない。
粉塵の中でとことんツルハシを振るった後でも、疲弊と健康被害で吐いているルネを尻目に、なんてこともないように酒場へと出かける。
根本的に身体の造りが違うのだと悟った。物心も付かぬ内から環境に晒されてきた結果と言ってもいい。
以上のことから、ルネは悪戦苦闘していた。
現代の通貨を手にする為だからと、軽い気持ちで手を出すべきではなかったと思う。
「はぁ……」
しかしそうでもしなければ、必要最低限の衣食住を確保できない。
現代社会は400年前より、遥かに戸籍による個人認証が行き届いている。『ID』と呼ばれる、穴ぼこだらけのカードで識別してるのだ。
そういう意味で言えば、ルネは完全な根無し草であった。
それもそうだろう。なにせ彼等からすると400年前の人間であって、何処のデータバンクにも登録されていない。
「げほっ、ごほっ」
だからこそあり付ける仕事は個人認証が適当で、劣悪な日雇い環境に限られる。
しかし同僚の話を聞けば、これでも比較的マシな労働環境だと言う。酷い所になると賃金不払いは当たり前で、パワハラセクハラも上等なのだとか。
…………パワハラセクハラ、という言葉の意味は分からぬとして。
「えぇと……なになに?」
それでも仕事は仕事であり、二週間もしない内に最低限(文化的とは呼べぬ生存レベルでの)は確保出来た。
そうなると次に大事なのは情報だ。ルネは街の小さな図書館に足繁く通い、ひたすらに歴史書に目を通した。このギャップには何らかの技術革新があったのだろうと思った。
そうして手探りに現代の変貌っぷりを探ると――どうにも『蒸気』という概念が関係しているらしい。
曰く、ルネが魔王を討伐してから間もなく、この世界は一度分断したそうだ。
同族とは言えども別の生き物。共通の敵がいなくなって、平和になれば人間同士の争いを思い出すものだ。
立場的には中立であったはずの勇者の手柄を各国が主張し始め、勇者を都合のいい崇拝のシンボルとし、残された遺産の数々を神器として持ち上げた。それは戦争にまでは発展しなかったものの、長らく緊張状態が続いていたらしい。
それが討伐から約100年間のこと。
今では数多の歴史書において、いずれもが『恥ずべき負の歴史』と一蹴されている。
というのも、程なくして共通の敵が蘇ったからだ。魔法軍は完全に消滅することなく、更なる力を身に着けて再び世界に牙を剥いたのだ。
それが『スチームエンパイア』だ。
魔王軍の残党はひそかに、当時の魔導技術を凌駕する『蒸気エネルギー』を開発していた。
そうして改造された魔物達が100年の時を経て野に放たれ、世界は大打撃を受けることになる。
『我々はこれまでの歴史において、数多もの過ちを繰り返してきた。だからこそこれが最後になるであろうことを祈る』
だが人類とて何時までも愚かではない。
自らの過ちに気付いた各国は、スチームエンパイアに対抗する為に『エルカディア国際連邦』という共同体を結成する。
そうして各国の叡智を集結し、かつての炎魔法と水魔法を応用した『蒸気魔法』を完成させた。
更にそこから次の100年は、数多の英雄が躍動する激動の時代だったという。
蒸気魔法とやらを手足のように操り、戦火を潜り抜け、やがてスチームエンパイアの討伐を果たした。
「そうして……その技術は民草に還元されて……今に至る、と」
パタンとルネは本を閉じる。あらゆるオチがそこに集約されていた。
自分がいなくなった後の世界だ。感傷的に思うところはあれど、それを抜きにして考えると、今の世界は『蒸気』という概念によるものなんだろうと結論づける。
「うーん……」
が、そこまでが小さな図書館から得られる知識の限界だった。
ほとんどが箇条書きかつ限定的で、技術そのものが理解出来るわけではない。
たとえばだ。キーンという空を行き交う巨体が窓の外から見える。
それは霊験あらたかな伝説の霊長ではなく、客船であると言うのだ。
どうして翼もないのに空を飛べるのか? 風の大魔術師を同行させずに可能なのか? などと、どうしても時代錯誤なことを考えてしまう。
「…………勇者」
そう来ると、どうしても勇者と呼ばれていた彼女のことを思い出す。
ステラは人のいい、話しやすそうな女の子だった。
しかし初日に気を失ってしまい、病院に運び込まれた以降っきりだ。目覚めたときには姿はなく、それから今に至るまで一度も会えていない。
だからこそ、また彼女に会えれば生きた情報が得られるような気がした。
なにせポーラ港の日雇い市場はその日暮らしに精一杯で――こう言っては失礼だが――学びというものに意識を感じられない。この街でこれ以上の情報を得ることは難しいだろう。
それにルネは今の生活にも限界を感じている。
これまで何度か400年前の人間であると口にしてみたことはあったが、いずれも正気を疑われた挙句に仕事のクビを切られた。
『ルネ・ロードブローグ』を名乗った時なんてもっと酷い。危うく衛兵を呼ばれて捕まりそうになった。なんでも『オレオレ勇者詐欺』という手口が跋扈しているらしいと、ステラが怪しんでいた理由を身にもって理解出来た。
かといって……現代に無知な自分が『記憶喪失』という言い訳をどれだけ続けられるか?
嘘を吐くことは苦手じゃないが、バレたら即刻無職か、刑務所行きが確定する状況である。
破綻して、街中に広まってしまえば、生存そのものが詰んでしまう。
加えて目的という面も大事だ。
どうして封印が解かれたのか、どうして400年の時を経て自分が目覚めたのかは、未だ見当が付かない。
されど生きている以上は明確にすべきだとルネは思う。たとえ誰一人かつての自分のことを知らぬ孤独な世界であろうと、生きている限りは無為にせず、成すべき何かを見つけなければと思った。
共に帰ろうと約束しながら――自分のエゴによって果たせなかった仲間達の為にも。
「…………すんっ」
そうまで思って、ルネは鼻をすする。心細さと寂しさが溢れそうになった。
情けないと自分に言い聞かせる。もう子供じゃない。ベソをかいていい歳じゃない。しゃんとして前向きに考えろと。
『聞いたかあの話!?』
『おうよ! 久しぶりに聖遺物が見つかりそうなんだろ!?』
と、そんな時であった。
酒場のテラス席に座る体格のいい二人組が、身に着けた武器防具(とは言っても、そのほとんどがルネからすれば妙ちくりんである)に違えず、勇ましい様子で儲け話をしていた。
『最近見つかったシアブラッド鍾乳洞だ。かなり古い洞窟らしいが、中は随分と広いみたいで、冒険者ギルドにも募集がかかってる』
『マジかよ!? ってことは俺達にもチャンスが?』
『そりゃそうだろ! 遺物の一つでも見つけて、トレジャーギルドに売りつけられたら』
『へへっ……これはこれは』
『ふははっ……そういうこった』
『乗るか?』
『あったりまえよ!!』
殴りつけるようにガチンと、乾杯のジョッキが鳴った。
『聖遺物』という言葉の意味がルネには分からない。お堅い歴史書には乗っていなかった単語だ。
だがしかし――シアブラッド鍾乳洞のことは知っていた。
400年前。かつてこの地を訪れた時に、仲間達と探索したことがある。魔王城の障壁を解除する為のアイテムがそこにあったから。
「…………」
つまりは一日の先があるということだ。
中の記憶は新しい。確かにあそこは広く複雑だった。
しかしそこを踏破した経験があるのなら? 先んじて最深部まで潜り込んで、『聖遺物』とやらを先に回収出来るのではないか?
「うん……うん……」
その場で二度頷いて、ルネは決心した。
少々ズルいような気がするけれど、今も昔も冒険者ギルドとはそういうものだ。
放置された宝物は、先に見つけたものに権利が優先される。
かくしてルネは――400年後の世界で一攫千金を狙うのだった。
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