勇者の目覚め2
「ちょ、ちょっとちょっと!!」
やがてコボルトの群れと向かいあったところで、ルネは声の出し方を思い出す。
「き、きみ!! 危ないから下がって!! こいつらは危険だから!!」
それは勇者としての責務。ましてや彼女はたぶん――自分より年下だ。
だからこそルネでさえも敵わぬ相手を任せるわけにはいかない。
「そいつらのステータス、とんでもないから!!」
「ステータス?」
「解析魔法で知ったんだ!! 見た目に騙されちゃいけない!!」
「かいせきまほう…………ああ、スペクタクルレンズのことか! 随分と古い言い方をするんだね、キミは?」
「え?」
「そうかそうか……じゃあ忠告に従って、ちょっと見てみようかな?」
なんて、彼女は帽子にかけていた黒い眼鏡を装着する。
「ん……んん?」
そうして二、三秒ほど見つめては首を傾げる。
「んんんんん? んんんんんん……」
四秒、五秒と経って眼鏡を外す。
「普通じゃない?」
「え?」
「あははっ! STR3000台って、普通のネオコボルトじゃん♪ あんまり大袈裟に言っちゃ駄目だよお兄さん~」
と、彼女はおかしそうに笑う。
未だルネにはSTRという単位は分からない。が、それが自分より頭一つ抜けていることは察している。
しかしながらそれを普通とは? 大袈裟とは?
その答えは、すぐにもたらされた。
「じゃあ――秒で終わらすからねっ!!」
そう言ってガチンと音を立てて『開いた』武器は――剣と呼ぶにはあまりに歪だった。
まず開いたという点。構えるまで二つ折りになっていたのだ。
ぶんと振った勢いで収納されていた刃先が現れ、伸びきると同時に鍔に当たる部分の金具が固定された。それがガチンと立てた音の正体である。
そうして現れた全容は分離させたハサミを感じさせる。
最後に服装と同様――何の用途なのか分からぬ歯車と鉄棒の数々だ。
ルネからすればアバンギャルドな感性が生み出した、美術館向けの刀剣を手にしているようにしか思えなかった。
「ふっ! はっ!!」
「GI!?」
が、それは見た目より遥かに丈夫だった。
乱暴に振るってもまるで折れる気配がない。
「ふんっ! せい!!」
「GOA!?」
そして彼女もそう。
あれだけ強靭だったコボルトを、片手で容易に切り伏せている。
「はっ! ほっ!! ふりゃ!!」
「IGAAAAAAAAAA!!」
――というかだ。
ルネは端から見てて、その太刀筋がまったく追えなかった。
早過ぎるのだ。技術だとかトリックだとかそういう次元ではない。
軽々しく振るわれる剣戟の数々に、脳の処理がついていけてない。かつてこの世で最高峰――魔王討伐の実力を持ったルネであってもだ。
「これで終わりかな?」
「GG……」
やがて彼女は息一つ切らすことなく、魔物達を制圧する。
コボルトの群れは悔しそうに、傷つき気を失った仲間達を運びながら、それでいて憎々しげに次の一手をこまねている。
――BUOOOOOOOOOOO!!
だからこその奥の手だったのかもしれない。
一匹のコボルトが尖った笛を鳴らすと、遠くからズシズシと地響きが近づいて来た。
「GOAAAAAAAAAA!!」
「――――」
それはホブゴブリンだった。
通常のゴブリンよりも大きく、背丈は見上げる程に高い。
だが今ではそれ以上の異質さが先立っていた。
腹に、額に、両肩に歯車が埋め込まれている。ふぅーと吐く息は寒くもないのに、湯気が上がっている。
見るからに隊長格だとルネは思う。だからこっそりと呪文を呟き、ステータスを覗き見てみると――
NAME:NEO HOBGOBLIN
WORK:WILD
SEX:MAN
STR:10500
DEF:12100
VIT:18500
AGI:9800
INT:308
LUK:7000
ヤバイ。
とうとう10000代にまで至った。
「いやいやいやいや!」
ルネは思う。
これはもうあり得ない。絶対に無理なやつだと。
ルネがそうであるように、あれだけ苦戦した魔王ですら三桁の世界だったのだ。五桁なんてあっていい筈がない。
「なぁーんだ。親玉お出ましかと思ったら、たったの一万くらいかぁ」
「――――」
が、それでもだった。
ヘンテコな眼鏡をつけた女はそんな相手を眺めて、なんてこともないように言った。
何なら余裕さえも感じられる。武器を構えることなく無防備に相手に近寄って、
「DOAAAAAAAA!!」
次々に攻撃を躱した。
ホフゴブリンの巨体に似合わぬ――それともステータス通りと言うべきか――横殴りの雨のような攻撃でありながらだ。
回避行動は必要最低限。身を屈め、首を逸らし、時には片手で弾きながら、彼女は優雅ささえも感じれる足取りで、ゆっくりと距離を詰めていった。
「はぁ!!」
「GUU!?」
そして彼女は刃を叩きこむ……が、分厚い腹の脂肪が往く手を阻んでいた。
あれでは致命傷に至らない。ホフゴブリンの姿がその証拠だ。怪物は顔を苦痛に顔を歪めつつも、むしろ好機だと言わんばかりに、手にした棍棒を振り上げていた。
「――――
ところが、それすらも計算通りだったのだろう。
彼女は叫びながら親指を伸ばし――押した。持ち手の一部がスイッチになっているのだ。
すると剣の歯車がカチカチと音を立てて動き出し、突き刺した剣身が赤く染まり始める。
そして最後にブシュっと盛大に煙を上げては――
「GYAAAAAAAAAAAAA!?」
爆ぜた。
ホフゴブリンが爆破炎上して、一瞬で黒焦げになった。
すぐ傍で見ていたルネは、何がどういう原理でそうなったのか、さっぱりと分からなかった。仮に魔法の類だとしても、こんなものは一度もお目にかかったことがない。
ただ分かっていることは頬に残る高温の残滓と、黒焦げになった親分を抱えて、蜘蛛の子を散らすように逃げていくコボルトの後ろ姿だけだ。
「ふぅ……これで一件落着だね!」
やがて魔物の気配が完全になくなったことを悟ると、彼女は満足気に頷きつつ、情けなくも腰を抜かしているルネへと向き直る。
「怪我はないかい?」
「ああ――勇者ステラさま!」
と、そんな時だった。
最初に襲われていた男が声を上げ、恭しくも彼女の下へと跪いた。
それはまるで高貴なものを崇めんばかりにひれ伏していて……いや待て。この男はなんと言った? 『勇者』と口にしていなかったか?
「も、もうっ! 大袈裟だよおじさんったら。そんなに畏まらなくたって」
「いいえ! 貴方はこのエルカディア連邦の誇りです!! 偉大なる勇者さまに救われたとあれば、私も娘に自慢出来ます!!」
「や、やめてってば。ただの肩書きなんだからさ」
仰々しく訴える男に、ステラと呼ばれた女は照れ臭そうに頬を赤らめる。
その隅っこでルネは自らの頬を抓る。ちゃんと痛い。少なくともこれは現実の光景であり、自分以外の勇者が存在することを知る。
「そ、それより君だよ君!」
煽てから逃れるかのように、ステラはルネに向き直る。
「無茶しちゃ駄目だよ? 誰かを助けようっていう心構えは立派だけど、一般人があんまりを無茶をしたら」
「うぐっ」
挨拶代わりの、悪意なき言葉のナイフであった。
事実さっきの戦闘おいては『一般人レベル』だったのだから、致し方ないと言えばそうなのだが。
「にしても……変わった服装をしてるねキミ? 何処から来たの? 名前は?」
おま言うとルネは思った。
そう思いつつも、つっこみたい気持ちを堪えては、
「ル、ルネ……ルネ・ロードブローク」
と、正直に口にした。
するとどうだ?
「へ……ルネ・ロードブロークだって?」
今度は彼女の番だった。口をぽかんと開き、目をパチクリとさせるのは。
何故名前を言っただけでこうなるのか、不思議に思っていると、
「ははっ……あははははははははははっ!!」
次は盛大に笑われた。
もう何がなにやら。ルネの疑問符は右肩上がり待ったなしだ。
「面白い冗談を言うねキミ! まさか――」
そして目に浮かんだ涙を拭いながらステラは、
「あの400年前の大勇者様を名乗るだなんて」
「――――」
とんでもないことを口にした。
「……………………はえ?」
当然ルネは呆けた。
脳が一時停止して、時が十秒くらい止まっていた。
その時の様子をたとえるなら、『先物取引で有り金全部溶かした人の顔』である。
「おーい」
「…………」
「おーい、自称ルネくーん」
「……………………」
「ルネくんってばぁ、もう……ルネくん!!」
「はっ!?」
それから再三の呼びかけと、しつこく肩を揺すられたことによってルネは覚醒する。
彼の視界に映っているのは、不満そうにぷくりと頬を膨らませるステラだ。決してさっきまで見ていた、無限に広がる大宇宙ではない。
「で? 実際のところはどうなの? 冗談はもういいから本当の名前は?」
「え、えぇと……」
「お節介かもだけどさ、冗談にしたって引用する相手は選んだ方がいいと思うよ? ルネって名前も、ロードブロークって苗字も時々聞くけど、その二つを繋げちゃうのは全然違うし」
「…………」
本当も何もない。本名を口にして冗談とは如何なものか?
が、そう言ったところで信じてはくれなさそうな空気だった。何故かは分からないが声のトーンが低く、彼女がムキになっているような気がしたのだ。
それは嫌悪というよりも、むしろその名に譲れない何かがあるからこそ、敢えて責め立てているかのような。
「ぼ、僕は」
だから混乱しつつも、ルネはどう答えるべきかを迷った末に――
「その、ごめん。ちょっと気が動転しててさ……ほんとはルネ・フラワーズっていうんだ」
「ルネ・フラワ-ズ?」
「うん……そう、ルネ・フラワーズ」
咄嗟に出たのは本名と幼馴染の苗字によるブレンドだった。
ほとんど思い付きに等しい偽名であったが、それを言った途端に剣呑な雰囲気は四散し、
「なぁんだ、そうだったのか!」
彼女もまた笑顔を取り戻し、気安くルネの肩を叩く。
「ごめんねルネくん! 最近は人の名前を語って悪事を働くスカベンジャーが多いもんだから、ついつい脅かすような口調になっちゃったね? ほんとにごめんね!? 怖かったよね!?」
「い、いや……」
「お詫びと言っちゃあなんだけど、ボクに街まで案内させてくれ! この辺りは魔物が多く生息していて、一人で帰るにも危険だからね!」
「え、ちょ、ちょっと?」
「ほらほら遠慮しないで!! おじさんも付いてきて!!」
と、頼んでもないのに先導を買って出て、彼女は二人を導き始める。
お節介で心優しく、あとちょっぴり人の話を聞かない子だと思った。
その勢いに何となく、ルネは小さい頃のソフィを思い出す。
旅に出る頃には幾分か落ち着いていたけど、幼少期は男の子顔負けでルネを引っ張っていたから。
「あ、あのさ!」
しかしそれは同時に、犬のリードのように引っ張られることを意味する。
半ば引き摺られるように、忙しなく足を動かしながらも、ルネはやっとの思いで問い掛けた。
「ずっと道に迷ってたから良く分からないんだけど、ここって何処なの!?」
それは嘘に嘘を重ねた言葉。
「ガイウス地方だよ!」
彼女は疑うことなく即答し、ルネの背は凍り付く。
「ガ、ガイウス地方……」
「あれ? 知らない感じ?」
知らないもへったくれもない。何せ彼が最後に訪れた地である。
魔王軍が人々を追い出し、自らの居城を構えていた地方であり――
「で、ここから少し歩くと『ポーラ港』があるんだけど……まぁ立ち話もなんだし、お茶でもしながら話そうじゃないか」
と、ステラは踵を返して歩き始める。
その後に続いて五分と経たぬ内に――信じられない光景がルネを襲う。
「ここがポーラ港だよ」
「…………」
「ここは本土から離れてるから、この辺りで唯一の漁港になるんだけど……ってあれ? ルネくん道に迷ったって言ってたけど、ここに住んでるか泊まるかしてたんだよね? なのにどうして、そんな初めて見るような目をしてて――」
肘で突いてくるステラに、ルネは答えられなかった。
ポーラ港という単語そのものは知っていた。近くで魔王軍に拠点を構えられ、すっかり寂れていた漁港の記憶がある。
しかし今目の当たりにしているのはそうじゃない。
一転した賑わいはもちろんのこと、あちこちに見たことのない建造物が立っていた。
住居は石やレンガではなく、灰色で硬質な鋼に覆われている。それもいずれもが伝統的な三角の屋根をしておらず、監視塔のように平たく垂直に伸びている。
一方で海辺に視線を寄せると、見るも大きな一本腕の怪物が動き回り、もくもくと黒い煙を上げる船から、角ばった三本指で長方形の塊を持ち上げている。
行き交う人々も同様だ。ステラのように歯車だらけの装飾品を身に纏い、時には眼鏡のようでいてそうではない、片っぽのだけのレンズを身に着けていた。
「こ……これ、は?」
「や、だからポーラ港だけど……知らないの?」
知る筈もなかった。
ルネは少し考えて、そして言った。
「あ、あのさステラ……」
それはさっき突き付けられていながら、信じたくはなかった現実。
「今の、年代を教えてくれるかい?」
「年代? なんでそんなことを」
「いいから」
ゴクリとツバを飲んで、覚悟を決めて聞くと――
「イリス歴1755年だけど?」
「――――」
ルネはふらりと気を失いそうになって――いや失った。
脳がキャパの限界を迎えたのだ。どしんとその場で倒れて、ぐるぐると目を回す。
「え、えええええええ!? ちょ、ちょっとルネくん!? しっかりして!!」
ステラにゆさゆさと揺さぶられるが、遠ざかるルネを意識を繋ぎ止めるには至らなかった。
それもそう。なにせ400年である。
ルネが旅を終えた時がイリス歴1348年だったから、ほぼほぼ400年。
ルネは最後の決戦から――400年の時を経て目覚めたのであった。
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