魔王討伐から400年後に目覚めた勇者が、とんでもないインフレに苛まれるお話
弱男三世
勇者の目覚め
かつて――ルネは魔王を討伐した。
神託を受け、仲間を集め、世界中を旅して、何度も死線を潜りぬけ、出会いと別れを繰り返しながら、旅の終点へと辿り着いた。
『世界が平和になったらどうする?』
最後のキャンプで仲間の一人が言った。
『フラグみたいなこと言うなよ』
と、もう一人の仲間が呆れた。
『まぁまぁ折角の機会だし』
さらにもう一人が乗って、結局は順番に話を始める。
『ルネはさ、どう思う?』
そうしてルネの番が回って来る。
トリに回されたのは彼こそがこの旅の主役――勇者であったから。
『……そうだなぁ』
ルネは迷う。成すべきことは昔から分かっていたが、したいことの話は中々難しい。
それでも少しの間を置いて語り始めたのは――故郷の母の下へ帰ってしばらくゆっくりしたいこと。読む機会がないまま積んでいた冒険小説を読みふけりたいこと。世話になった人々と酒を交わしたいこと。日がな一日釣りやピクニックに出かけたいこと。何をするでもなくグータラとしてみたいこと。
そんな長閑な生活を一通り堪能出来たら、
『今度は剣を持たずに世界を巡って、義務とかじゃなくて、純粋に冒険を楽しみたいな』
『うぇっ、マジかよルネ。こんだけ世界中をお使いさせられて、まだ冒険がしたいとか頭大丈夫か?』
『まったく呆れるよ。剣を持たずになんて言ってるけど、どうせ坊やのことだから厄介事に首を突っ込んで、普通の旅にはならないだろうねぇ』
『ま、まぁまぁ。せめて悪い人に騙されないようにだけしてくれたら、おいらは……』
口ではそう語りつつも、ルネは知っていた。
このささやかな願いは一つも叶わぬことを。
『うん、ちゃんと考えられたね。ルネらしいから百点をあげる』
しかし仲間達はルネの秘めたる決意は知らず、適宜茶々を挟みながらも、曇りなき笑顔で聞いていた。
そんな反応を見ていると、ルネはつんと鼻の奥が痛くなる。この親愛なる仲間達と笑い合える機会も最後なのだと思うと、全てを吐き出したくなってしまう。
それでも『命よりも大切な仲間達だからだ』と、彼は唇を噛んで堪えた。
話せばきっと、仲間はこれからの結末を良しとしない。自分のことのように怒って、泣いて、ルネを引き留めようとするだろう。
『みんな、これまでありがとう』
『明日で終わらせて、絶対にみんなで帰ろう』
だからルネは嘘をついた。
かつて臆病であった自分を、勇者と呼ばれるまで支えてくれた仲間達に。
そんな彼等の未来がどうか、明るく光に満ちたものでありますようにと、強く心で願いながらだ。
そして明くる日――死闘の末に魔王討伐は果たされる。
ルネの犠牲によって成立する、永遠の封印を持ってして。
「――――はっ」
気が付くと朽ちた天井に、そこから零れる日の光がルネの目を焼いた。
大きな廃墟だった。周囲に人は誰一人としていないが、小動物の気配は至るところに感じる。
罅割れた地面から姿を見せたトカゲが、昆虫と追いかけっこを始める。
苔やツルの走る壁面の上部で、雛が親鳥にエサを強請っている。
かつて窓があったと思しき切り抜きの向こうでは、伸びっぱなしの雑草をシカがもくもくと食んでいた。
(ここはあの世なんだろうか?)
ルネは最初にそう思ったが、にしては風景が寂しすぎる。
それに自分は一度限りの封印魔法を使ったのだ。決して出入りすることの出来ない『虚無の空間』へと、自らが触れた相手ごと飛ばす魔法だ。そこではあらゆる生命活動が停止すると聞いていて、生きてもいなければ死んでもいない状態が永遠に続く筈だった。
(だったら夢?)
それもまた五感がクリア過ぎる。
目を開けた時の太陽は長いダンジョンから出た後のように眩しかったし、匂いも触感もハッキリと感じられる。
(そうでもなければ……なに? なんだなんだろう)
ルネはお手上げだった。分からんことが分かったとも言える。
しかたなく壁の穴から出て、しばらく外を歩くことにした。雑草塗れの道なき道を進み、廃墟を振り返って見ると、かなり大きな城だということが分かった。
にも関わらず周辺には街の残骸が見当たらない。
立地そのものも丘の高所だ。少なくとも人が暮らすには難があって、周りを寄せ付けぬかのように、ポツンと建っているそれは――
「…………ん?」
と、そこでルネの脳裏に過ぎる。
廃墟に何処となく見覚えを感じたのだ。はっきりとは分からぬが何時か……というか最近、似たような建物を目にしたような気が。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
が、そんな違和感は悲鳴に吹き飛ばされる。
これまでなかった人の気配だ。瞬く間に駆け抜け、腰に携えた柄に手をかけながら――
「キキ……キキキ……」
「ひぃ……!」
ルネは魔物の群れと相対する。
それを前に腰を抜かしているのは登山客だろうか? それにしては何というか……見たこともない恰好をしているものだが。
「もう大丈夫です」
しかし困っている人がいるなら、そこに手を差し伸べるのが勇者というものだ。
ルネは愛用の剣を抜いて、魔物へと構える。
「お、おいアンタ!!」
そこに襲われていた男性が声を上げる。
「よせ!! 無茶をするな!!」
ルネを慮っているのだろう。自分の窮地だというのに、人が良いと思う。
しかしだ。同時にそれはこちらを見くびっていることも意味する。
「ご心配なく。僕は結構――強いので」
だからこそ「ふふん」とルネはドヤ顔で返した。
見るに相手はコボルトだ。一匹の力は大したことなく、だからこそ群れようとする。
言うなれば雑魚モンスターであり、かつて魔王城まで踏破したルネからすると鎧袖一触である。
「ゴアッ!!」
そうして振るわれる棍棒だってなんのその。
軽くいなして、握った拳で殴り返して、地平線の彼方まで飛ばしてやろうとして――
「アバアアアアアアアアア!?」
結果、どうであったか?
真逆であった。軽くいなすもクソもない。
コボルトの一撃によってルネは盛大に吹っ飛ばされた。
――チュドーン!!
そうして木々を貫き、岩石を砕き、クレーターを作りつつ。
それでもルネは立ち上がった。両足を生まれたての小鹿のようにプルプルとさせながら。
(……え? え? なに!? なにが起こったの?)
疑問の声も当然。
だって相手は本来ではあれば何てことない、雑魚モンスターである筈なのだ。
ましてや自分は勇者だ。かつて人類最強と謳われた男である。
そんな自分がかような雑魚敵に、膝を付くなんてことは信じられない。
「お、おいアンタ!」
「だ、大丈夫です! ちょっと油断しただけですから!!」
だからルネはすぐに剣を構え直す。
さっきのはその……あれだ。ちょっと腕が鈍ってただけだから。
だって久しぶりだしね!? うんうんそういうこともあるよね、と自分に言い聞かせる。
「ふんっ!!」
そして二度目の攻防。
今後は自分から、慢心することなく全力で剣を振るった。
これでジエンドだ。か弱くもあくどいコボルトは、勇者の剣を前にあっけなく斬り伏せられ――
「キィッ!」
「…………は?」
なかった。
それどころか片手で易々と受け止められ、残した片手を突き出しては――
「アバアアアアアアアアアア!?」
またしても殴り飛ばされた。
ゴロゴロと地面に転がりながら「おかしい」とルネは思う。
幾ら何でもパワーの差があり過ぎる。これはあれだ。コボルトというのは仮初の姿で、実は魔王軍幹部が化けた姿なんじゃないかって。
「いや――」
歴戦の経験は即座に『或いは』と思い直す。
相手じゃない。封印によって自分が弱くなっているのでは、と。
「え、叡智よ! 我が全てをここに記せ――」
故に天を仰ぎながら、ルネを呪文を唱えた。
自らの
それによって記されたものは――
なまえ:ルネ
しょくぎょう:元ゆうしゃ
せいべつ:だんせい
ちから:540
まもり:470
たいりょく:490
すばやさ:360
かしこさ:421
うんのよさ:210
――と、この通り。
実力の基準として扱っていたステータスは、最終決戦の時からまったく動いていない。
つまりは何一つ衰えていないのだ。
まったく同じ能力で、全力で向かい合ってなお、雑魚敵にこうもあしらわれている。
それに「元ゆうしゃ」とは何だ? こんな表記はこれまで一度もなかった。
元もへったくれもない。少なくとも彼の認識では今でもそうなのに。
「め、女神イリスの名の下に……!」
故にルネは立ち上がり、即座に次の呪文を唱え始める。
「神罰よ――落ちろ!!」
「GOAAAAAAAA!?」
それは神託の勇者に許された雷魔法。
全力を込めた雷鳴が、ピシャンと敵に降り注ぐ。
ルネは今度こそ確かな手ごたえを感じていた。
かの魔王をも恐れさせた一撃だ。きっとコボルトは成す術もなく、地に伏せてるだろうと思って――
「GIGI……Gi?」
「――――」
が、現実はこの通りだった。
ピンピンとしていた。まるで程良い電気マッサージであったかのように。
「……はい?」
首を傾げ、ルネはもう一度魔法で
今度は自分ではなく、相手に向けてである。
その結果――
NAME:NEO COBOLD
WORK:WILD
SEX:MAN
STR:3500
DEF:2100
VIT:2500
AGI:4200
INT:150
LUK:1500
「…………ハァン?」
突っ込みどころ満載だった。
そもそも表記の訳が分からないとか、大半の数字が一桁違うとか。
「GOA!!」
目の当たりにした数値を信じられぬまま、ぽかんとするルネに向かって、コボルトは跳躍する。
やられる――と、そう思う次の瞬間であった。
「でぇえええええええええ!!」
遥か上空から降り注ぐ影。それは猛々しい一声を伴って現れた。
太陽を背にして、太陽のような髪をなびかせながら。
「おりゃあああああああああああああ!!」
「GYAAAAAAAA!?」
そうしてルネに迫ろうとしていたコボルトを吹き飛ばした。
自由落下を伴っての一撃だ。爆撃と言っても過言ではない衝撃であり、地面にクレーターを作り上げている。
「もう大丈夫――ボクが来た!!」
と、それから女は高々しく宣言した。
衝撃的な登場はもちろんのこと、ルネはその出で立ちに目を疑う。
長いブロンドの髪に、爛々とした瞳。四肢は細く締まっているが、胸部は女性らしい膨らみを持っている。黙って立っていればスマートなレディでありながら、その一人称と声の出し方で少女のようにも感じられる……と、そこまではいい。
一方で服装は奇怪そのものだ。狩人を思わせるロングジャケットに、ラインをくっきりと浮かべるタイトなパンツ。垂直に長い帽子をかぶり、その丸いツバにはレンズの黒い眼鏡を巻き付けている。何より珍奇なのが装飾品であり、髪留めに、ベルトの金具部分に、皮の手袋にと、あちこちが歯車で埋め尽くされている。
「――――」
「さぁキミ達は下がってて!」
と、ルネが絶句している間に、彼女は悠々と前に進む。
腰に差した武器……と思しきナニカを抜きながら。
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