つきじわ
陸橋にさしかかってがたんとひとつおおきくゆれたときにそのゆれが乗客それぞれの口にしようとしていた言葉をふりおとしてしまったみたいにほんの一瞬だけ電車のなかがしんとしずまりかえって、でもごとんとつぎの音がきこえてきたころにはだれかがそれに気づくよりもさきにざわめきがもどってきて私だけがおきざりにされたような気分になった。となりにすわっているサナは雑誌をぱらぱらとめくっていてちらと見ると薄桃色がかったベージュのゆるっとしたニットカーディガンが目にはいってすこしかわいいと思った。
サナはさほどお気にめさなかったのかすぐにページをめくったので私は足元に視線をおとした。ローファーのつまさきにちいさな傷があってそろそろあたらしくしたかったことを思いだしたけれど家についたらまた忘れてしまいそうだった。
つぎの停車駅のアナウンスがきこえてきてロングシートのすみっこにすわっている私たちのまわりの空気がゆるりとゆらいだのがわかった。むかいのシートにすわっていたおないどしくらいの女の子が読んでいた本から顔をあげてあたりをきょろきょろと見まわしてからあわてて足元においてあったかばんを手にとった。彼女はかばんをかかえながら駅につくまではもうわずかな時間しかないのにまた本をひらいてじっと読みすすめていた。本は英語の参考書だった。
顔をあげると中づり広告が目にはいってそのうちのひとつはつぎにとまる駅のすぐちかくにあるデパートのもので、冬物のクリアランスセールとあった。そのむこうの車窓から空が見えていてうすく青いそれの高いところにうかんでいる雲にほんのりと朱色がにじんでいた。沿線にいならぶ家々の屋根はそのかすかな朱色をあびてまだその色あいをはっきりとしていた。
だんだんと速度をおとしていく電車を沿道の自動車がおいぬいていってあかりのともっていないテールランプに陽のひかりがちかちかと反射した。私はスマートフォンをとりだして時刻を見ることをしなかった。
「いまどこ?」
サナが雑誌から目をはなして背中ごしに窓のそとを見ながら言った。サナのひざの上でひらかれたままの雑誌には春コーデの文字があっていかにもそれらしいペールトーンカラーをまとった女の人がポーズをきめながらこちらを見ていた。
「まだだよ」
「そっか」
サナはそう答えながらしかししばらく窓のそとを見ていた。電車はそのまますっと駅にすべりこんで何人かの乗客が席を立った。むかいのシートにすわっていた女の子もいよいよ本をとじてそれをかばんにしまうと立ちあがってドアの前にできた列にくわわった。
ドアがひらくとおりる人よりも乗ってくる人のほうがおおかった。むかいのシートにはスーツ姿の男の人がすわってすぐに目をとじた。私のとなりにおないどしくらいの男の子が立ってかばんから本をとりだして読みはじめた。本は英語の参考書だった。
「セールだって」
サナがひらいたドアのむこうにある看板を見つけて言った。そこには中づり広告とおなじデパートのおなじセールのおしらせが中づり広告よりもずっとおおきくあった。
「いいのあるかな」
そのときのサナのくちぶりはあまり期待しているようなものではなかった。実際サナは私がなにか言うよりもさきに興味をなくしたみたいですぐに看板から目をはなすとまた雑誌をめくりはじめた。
「春物ほしいね」
めくったさきのページには今年のトレンドカラーとあってそのページを見ながらサナが言った。
「私はローファーがほしい」
「いつでも買えるじゃん」
サナはそのページをじっくりと読んでいてそこにある色をいかに服装にとりいれるかを頭のなかで考えているらしかった。
ドアのしまる音がして駅の喧騒がとおくなると電車のなかはほんの一瞬だけしんとしずまりかえって私はなにかをおきざりにしてしまった気分になるけれど、走りだすより前にざわめきが耳にとどいて気のせいだとわかった。
私はローファーのつまさきについたちいさな傷を見ながら、薄桃色がかったベージュのゆるっとしたニットカーディガンを頭にうかべていた。
ぬいしろ 風遊(ふゆ) @kazeasobu
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