うわまえ
橙色がかった暖色系の照明は整然とならんだ赤い布地の座席におちて、それはその色味をあざやかにふかくすることはしてもあたりをこうこうと照らすほどあかるくはなかったから、ほのぐらさのなかでかかえているキャラメル味のポップコーンがひとつつまみあげられてさらわれていくまで私はとなりからのびてきた手に気がつかなかった。その手ののびてきたほうを見ればサナがちょうどそのポップコーンを口にほうりこんだところだったので、おかえしに私もサナのかかえているポップコーンへと手をのばしてこんもりともられている塩味のそれをひとつをつまみあげた。口にほうりこむとすこししょっぱかった。
「自分の食べなよ」
「サナがそれ言う?」
十一番と番号のふられたシアターはあまり席がうまっていなくて私とサナのほかには私たちよりも年上らしい女の人がふたりと男の人がひとり、それぞれべつべつに座っていてスマートフォンのあかりがうすぐらい空間のなかでうっすら顔をてらしていたりまだなにもうつっていないスクリーンをぼんやりとながめたりしていた。
十一番とついているとおりいくつかあるシアターのなかでも六列ほどしかないひときわちいさなスクリーンではあったけれど、それにしたって席に座っている人のすくなさはすこしだけいろいろと心配になるくらいだった。開演まではもう五分もなくてあたらしくお客さんがはいってくる気配はなさそうだった。
「おもしろいの? これ」
サナが自分のポップコーンと私のポップコーンとをさもあたりまえみたいにぱくぱくと交互に口にほうりこみながらたずねてきた。私はその手をとめることをなかばあきらめてサナがとりやすいようにカップをかたむけながら自分もキャラメル味のそれをひとつ食べた。思っていたよりも甘かった。
「さあ。はじめて観るし」
「それもそっか」
映画を観ようと誘ったのは私のほうからだった。とくべつにどうしても劇場で観たい映画だったわけでもなく監督も出ている役者も評判もほとんどしらなかった。
サナともよくおとずれる商業施設に併設されたシネコンの前を通りがかったときにふと見かけた看板の、そこにあったタイトルがなんとなく記憶に残っていたから、次の休みにどこかに遊びにいこう、とサナから誘われたときに本当になんとなくという理由で提案してみただけだった。
普段から映画を観る習慣なんて私にはなかったしサナも今日が本当にひさしぶりだと言っていたのでふたりでこうして映画館にきたのははじめてのことだった。
「どんな映画?」
「画家とそのモデルのお話だって」
「寝そう」
「いいよ、寝ても」
「起こしてよ」
人のすくないこぢんまりとしたシアターのなかはかすかな声でもずんと空間のめいっぱいにひびくような感覚があった。ひそめた声で会話する私とサナにほかの人の視線があつまっているみたいな気がしてあまり居心地が良いとは思えなかった。サナは気にしたそぶりもなくあいかわらず私のポップコーンに無遠慮に手をのばしては塩味とキャラメル味を交互にたのしんでいた。
「食べすぎ」
「こっちはちょっとしょっぱすぎるし、そっちはちょっと甘すぎるね」
どちらもカップの七分目ほどまでポップコーンはへっているのに、私は自分のそれをひとつぶしか食べた記憶がない。サナがいったん烏龍茶にささったストローに口をつけてからそれをホルダーにもどしながら言った。
「ミックスでちょうどいいよ」
前方のスクリーンに地元企業のコマーシャルが映しだされてサナのひそめた声はスピーカーからのおおきな音にかきけされる寸前で私の耳にとどいた。サナがスクリーンのほうを見る。
まだ映画がはじまるまでは告知をはさんだり予告をはさんだりすこし時間がありそうだったけれど私も口をつぐんでスクリーンに視線を向けた。自分のポップコーンをまたひとつ口にはこぶとしっかりとキャラメルでコーティングされたそれはかなり甘ったるくて塩みがほしくなった。
ポップコーンのカップはサナのほうにすこしだけかたむけたままにしておいた。
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