ふきしろ
机にむかってデスクライトをつけるとこうこうとてらされる机上だけがぽっと部屋のなかにうかびあがってそれ以外のものがとおざかっていく心地がした。それが気のせいでしかないことは本棚のうえにおいたリードディフューザーのシトラスのかおりがかわらずにほのかにとどくことからわかる。すっとたちあがった円筒形の透明なガラスの瓶とそのなかの透明な液体にデスクライトのあかりが反射して、あるいは透過してきらきらとしていた。
小瓶にはラタンスティックが五本ささっていてほかにもドライフルーツやドライフラワーがハーバリウムみたいにしずんでいた。そのくすんだ色彩が液体をとおるひかりにてらてらとつやめいてもともとのあざやかさをわずかにとりもどしたように見えた。
本棚のほかにはCDとそれをきくために買ったミニコンポくらいしか目立つものがない部屋のなかでその瓶の存在感はすこしだけういていた。部屋をかざりたてることにあまり興味がなかったのでそれにリードディフューザーという名前がついていることもそれをおくまでしらなかったしドライフラワーなんかをオイルにしずめた観賞用の瓶をハーバリウムということもしらなかったしなんならハーバリウムについては存在すらしらなかった。誕生日にそれをおくってくれたサナは「普通のハーバリウムとなやんでこっちにした」という言葉にまるでピンときていない私にそれらについて説明をしてくれたのだった。
私の部屋にそのかおりがみちるようになってなにかかわったことがあるかといえばとくにあるわけではなかった。日々の生活にいろどりがうまれたとか気分がさわやかになったとか寝つきや寝ざめがよくなったとかそういうことはなくて、かおりというのはずっとそれにふれているとすぐになれてしまうものだとしった。
ただ学校からかえったとき、夕ごはんを食べおえたとき、お風呂からもどったとき、そういったときに部屋のドアをあけた瞬間ふわっといままでにはなかったかおりが鼻先をくすぐるようになったことだけがたしかなことで、しいて言うならそれによってこんなふうにサナのことを思いだす回数がすこしだけふえた。
小瓶から目をはなしてかばんから教科書や参考書なんかをとりだして机にむかう。かおりによっては集中力をたかめる効果もあるらしいけれどこのかおりにそういう効果があるかはしらなかったしとくにそれも実感することはなかった。
数学の参考書をひらいてシャープペンを二回ほどノックしたときにかたわらにおいていたスマートフォンがふるえたので手にとってみるとサナからだった。
『今なにしてる?』
ひとことだけそんなメッセージがきていたのでとくに返信についてふかく考えることもしなかった。
『勉強』
それだけうって送信した。正確にはまだ勉強をはじめてはいなかったけれどはじめるところではあったのでそれほど問題ではなかった。すぐに既読の通知がついて間をおかずにねこなのかくまなのかよくわからない動物のあまり肯定的ではない顔をしたスタンプがおくられてきたので、私もおなじ種類のスタンプからつかいどころのわからない顔をしたスタンプをおくりかえした。
それに既読の通知がつくよりもさきに私はシャープペンを机の上においてひらいた参考書をとじた。それとほぼおなじタイミングでスマートフォンがふるえだして画面にはサナの名前がでて着信をつげていた。
「勉強中なんだけど」
スマートフォンを耳にあててささいな嘘をつきながらデスクライトのあかりをけした。本棚のうえできらきらとひかりを反射していた小瓶がそっと沈黙して部屋にとけこんでいった。そのかおりももうなれてしまってほとんどわからなかった。
瓶のなかみはあと半分ほどのこっていてそれがなくなったら私はあたらしいものを自分で買うのだろうかと耳にとどくサナの声をききながら考えた。
きっとまったくべつのかおりのものをあたらしく自分で買ったとしても、はじめてこの部屋にかおりをみたしたサナのことはなんどもおなじように思いだすのだろうと思った。
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