ぬいしろ
踏切はいつも沈黙しているのにこのときばかりこどもがだだをこねるみたいに泣きわめいて私のゆく手をはばむものだからおりた遮断器をひとつけとばしてやろうかしらと思ったけれど、となりにはおとなしく足をとめたサナがいたのでそれはやめておくことにした。
明滅する赤色の警報灯はすこしくすんだ色をしていてあざやかではない。それでも山の端にかかった夕日のぼんやりとしたあいまいな朱色よりはずっとたしかに赤々としていて、足元や木々の葉の影やそこいらの家の勝手口ににじむ夜のくらがりにそれはよりくっきりとうかびあがってやかましかった。サナはその警報灯の左右についたりきえたりする様に視線をうばわれていたからやはり遮断器をひとつくらいけとばしてやってもよかったかもしれなかった。
そう思ったときにはサナはもう警報灯にあきたらしく私をみていた。
「どうかした?」
「なんにも」
サナの耳に銀色のまるっこいピアスがゆれていてつめたそうだと思った。踏切の音にあわせてゆれているようにみえたのは踏切の音にあわせて警報灯が明滅していてその光をちかちかと反射しているからだった。
からからとさっきまできこえていた音がきこえなくなったのは踏切の音にかきけされたのではなくてその音をひびかせていたサナがおしている自転車の車輪もサナが足をとめたのにあわせてまわるのをやめたからだった。
自転車はそれなりに手入れされていたけれどよくよくみればサドルのバーやハンドルのつぎめや車輪の軸に赤茶けたサビがういていた。サナはその自転車を姉からゆずりうけたといつか言っていた。かごのなかには私のかばんとサナのかばんが無造作になげいれられていた。そっけなく無愛想な私のかばんとちがって缶バッジやよくわからないストラップやキーホルダーやアクセサリーをたくさんつけられたサナのかばんは見た目もかなでる音もがちゃがちゃとにぎやかだった。
「私も買おうかな」
「なにを?」
「自転車」
サナの両手は自転車のハンドルをにぎっていたけれどかばんをてばなした私の両手は手持ちぶさただった。コートのポケットにつっこんでみたりそのなかでスマートフォンをいじってみたり関節を鳴らしてみたりしていた。
指先がかさついていたので保湿クリームがほしいと思った。サナのかばんのなかには入っていそうだった。
「いいじゃん」
サナが言った。なんでかどこかそっけなくなにかふくんだところがあるみたいに感じられたけれど、そもそもその「いい」というのが私の思いつきを肯定しての「いい」なのかそれとも否定して「買わなくてもいい」の「いい」なのかをつかみあぐねた。
そのことについてあらためて問おうとしたとき、意識のそとがわからがたごとと音をたててちかづいてきていた電車がふいに目の前を走りぬけたから、ごぉーっと踏切の音をかきけすくらいのけたたましさで私は言葉にしようとしていたものたちをすっかりのみこんでしまった。窓からこちらを見ていたちいさな女の子と目があった気がしたけれどそれがたしかさにかわるよりもさきに電車は警笛のひとつも鳴らさずにとおざかっていった。
そのすがたを見送ることをせずに踏切はききわけのいいこどもみたいにあっというまに泣きやんで、ゆく手をはばんでいた遮断器をなにごともなかったかのようにのそりともちあげた。そのしれっとした態度がなんだかまたしゃくにさわったからやっぱりひとつけとばしておけばよかったと後悔した。すっかりだまりこんでしまった踏切を前にしてあとには私とサナだけがあった。
「うしろ」
「ん?」
「乗る?」
からん、とひとつ車輪のまわる音がきこえた。一歩だけすすんでたちどまったサナがふりかえって私を見ていた。
「乗る」
そう答えるとサナはなにかしらに満足したみたいにわらった。サナの耳に銀色のまるっこいピアスがゆれていてそこにはしずんでいく夕日のあいまいな朱色と夜のかおりが映りこんでいた。
細っこいサナの腰にうでをまわしたときにきっと私は自転車を買わないと思った。
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