あきみせ

 そのとき風がつよくふいて街路樹の下のくちかけた葉のいく枚かを反対側の車道までまきあげていくのをガラスごしに見ていた。

 口をつけようとしたコーヒーがまだあつかったのでその表面にふぅっと息をふきかけるとミルクのとけたベージュ色がゆらりと波うってゆれた。そうして温度のさがった表面だけを注意ぶかくそっとなめてからカップをソーサーにもどしたときにとなりからじぃっとつよく視線を感じたので見るとサナが私のほうを見ていた。

 わらっているように見えたからその理由がわからなくて首をかしげるとサナはなぜだかすこしあわてたように自分のカップを手にとってガラスのむこうに視線をうつしながら口をつけた。サナのソーサーにはちいさなミルクポットとスティックシュガーが手つかずのままおかれていた。

 カフェのなかには何人かの客の姿はあったけれどみんなそれぞれひとりで本を読んだりスマートフォンの画面をながめたり、ふたりやさんにんであっても声をひそめてはなしたりしていて、店内に流れるジャズっぽくアレンジされた曲の原型が思いだせなくてもどかしくなるくらいにとてもしずかだった。通りに面したカウンター席には私とサナのほかにすわっている人はいなくて目の前に見えるその通りにも人の姿はまばらだった。

 おりかさなった雲はまばたきのたびにその陰影の表情をかえていってそこにふいている風のつよさがわかった。すっぽりとまるごと雲におおわれた街に太陽の光はとどかずにみちゆく人たちの足元にうっすらとのびている影が目をこらしてやっとわかるくらいにうすぐらかった。みちゆく人たちのふたりにひとりくらいの人が傘を手にしていた。

「さっさと帰ったほうがいいかな」

 サナがカップを手にもったままガラスのむこうの雲を見て言った。いつ雨がおちてきてもおかしくない空模様は朝からずっと続いていて、それなのに私もサナも傘をもってきてはいなかった。私はサナがもってくるものだと思っていたしサナは私がもってくるものだと思っていたらしかった。

「そうだね」

 私も自分のカップをふたたび手にとってから答えた。とはいえまだ中身はなみなみとそそがれていたしさっきとほとんどかわらないくらいあつかったので飲みきるまでにはまだかなり時間がかかりそうだった。

 私はコーヒーを手にもったままそれがさめるまでは口をつけることができないでいたしサナもコーヒーを口にはこぶペースはゆるやかだった。コーヒーの表面に息をふきかけたときにうまれたさざ波がカップのふちにたどりつくまでをなんどか数えてからそっとカップに口をつけた。

 さっきよりもあつくはなくてはっきりと味がわかった。

「砂糖」

 カップをおきながら、ちょうだい、と私がそう言いきるよりもはやくサナは自らのソーサーのうえで所在なさそうにしていたスティックシュガーを手にとっていてとくいげな顔をうかべながら私にさしだしてきた。

「眉間が『にがい』って言ってた」

 その周到さにすこしだけおどろいたのがつたわったのか種あかしをするみたいにサナがそう言うので面はゆいようなくすぐったいような気持ちになってサナから目をそらしながらうけとった。

「ありがと」

 そらした視線のさきにはあいかわらず雲がいっぱいにひろがっていてちょうどぽつりとガラスのかたすみに水滴がおちたのを見た。それは気のせいだと思うよりもはやくつぎからつぎへとぽつぽつとガラスをぬらしはじめて店内に流れるジャズっぽくアレンジされた音楽とはすこしだけずれたリズムになった。

「ふってきちゃった」

 そう言ったサナはでもまだわらったままで、なにもまぜていないコーヒーをゆっくりと口にはこんでからカップをおいた。サナからもらったスティックシュガーをとかしてから私もおなじようにコーヒーをのんだ。さっきよりもほんのすこしだけぬるくてあまい味がした。

 コーヒーがすっかりさめきるまではまだ時間がかかりそうだった。

 ミルクも、と私が言うよりもさきにサナの手にはちいさなミルクポットがすでにあった。

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