かつらぎ
四つ打ちのごきげんな音楽を昼休みの教室できくべきではない。ごきげんなビートにあわせておどりだすまではしないにせよ、ゆらゆらとゆれたくなってしまうから。
スマートフォンにつないだイヤホンからながれてくる音楽のキックにあわせて、しかしたちあがっておどったりゆれたりはさすがにできないからつま先でトントンとリズムをとるだけでがまんしながら換気のためにあけはなたれた窓のそとを見ていた。
つま先を四回うごかすあいだに雲が遠目につらなる山のてっぺんからてっぺんへとかたちをかえながらながれていった。それがけっこうなはやさなので空のうえのほうにふいている風がそこに見える。鳥が一羽その風をうけとめてつばさをおおきくはばたかせていた。そのくちばしがうごいて高らかに鳴いたらしい声はイヤホンをしていたのできこえなかった。
鳥は目的らしい目的もなくゆるゆると旋回しながらただ空をとんでいた。そのゆくえをなんとなく目でおいながらつま先はとめずにいると、そのはばたきとつま先のリズムがぴたりとかさなる瞬間があってそのときには自分の脈拍もおなじリズムをきざんでいる気がして鳥といっしょに風をめいっぱいうけながら空をとんでいる錯覚をした。風むきがちがうのか窓から風はふきこんでこないけれどその錯覚は心地よかった。
もうしばらく鳥が見えなくなるまでその錯覚をたのしんでいようと思ったら机のそばに人の立つ気配があったので内心で残念におもいながらもそれを表にはださずにそちらのほうを見た。
そこにはサナが立っていた。サナは私と目が合うとそうすることが当然といった様子でいま席をはずしている私の前の川辺くんの椅子にすわった。私はもうすぐおわる曲を最後まできいてしまおうかすこしだけかんがえて結局中途半端なところで再生をとめてイヤホンをはずした。とたんきこえてきた教室のざわめきの無秩序さはきいていた音楽よりもずっとさわがしかった。
「なにきいてたの?」
「ごきげんなやつ」
「ふぅん」
あまりつたえる気のない私の返答にサナはしかしつたわらなくてもかまわないといったふうな気のない様子でこたえながら私のはずしたイヤホンを手にとった。耳にかかった髪をそっとのけるときにその指に銀色のピアスがふれてゆれた。そうしてサナがイヤホンをはめるのを見てから私は曲をあたまにもどして音量をさげて再生ボタンをおした。
そのままの音量でながすといつも音がおおきいと言われた。私の耳がわるいのかサナの耳がいいのかはわからなかったけれど私にとっての小音量がサナにとっての最適な音量のようだった。そのうち私は耳がきこえなくなるかもしれないと考えた。それはいやだなと思った。
音量をさげたイヤホンから音がもれきこえてくることはないけれどスマートフォンの画面の再生時間を見るともう音楽はながれだしているみたいだった。サナは目をとじてしずかにそれをきいていた。おどりだしたり体をゆらしたりつま先でリズムをとったりもしていなかった。
そのときあけはなれていた窓からふいに風がふきこんでサナの髪をふわりとゆらした。私はそこに見えた風に鳥のことを思いだして窓のそとを見たけれどすでにそこにさっきの鳥はいなかった。
サナはかわらずにじっと目をとじていて髪だけが風にふかれるままときおりゆれた。それは私のきいていた、いまサナのきいている音楽よりもずっとおだやかでたおやかでゆるやかなリズムで、私の脈拍とも教室のざわめきとも雲のながれともさっきの鳥のはばたきとも、いまここにある、かつてここにあったどれとも同期せずにただそのやわらかさだけがそれとしてただひとつゆるりとあった。
スマートフォンの再生時間はのこり半分ほどだった。サナは目をとじたままやっぱりおどりだすことも体をゆらすこともつま先でリズムをとることもしないけれどイヤホンをはずすそぶりは見せなかった。
私はその再生時間からサナの耳にながれこんでいる音楽をほぼ正確に想像することができたけれどそれをしなかった。
サナの髪が風にふかれてゆれるのを見ながら私の拍動に耳をすませていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます