第15話 【ケンカの訳②】……ケンカ、してるの?


 リビングを覗き込むよると、目が合う。


 悲しそうな目。

 不安そうな、目。


 しまった。

 しまった。


 心配をかけないように、ケンカしてるところを見られないように気をつけてたつもりだったのに。


「よ、よよ、よる。どうしたんだい? 明日は林間学校で早起はやおきなんだから、もう寝ないといけないよ」


 和樹があわててる。よるの表情に、私も思わず手を固く握りしめる。


 よるがリビングに入ってきた。アヒルのような唇をして、目を潤ませて、しょんぼりと私達を見あげてくる。


 身体が震える。これは、今日はじめて聞いた、の顔じゃない。


 それに。


 こんなに何かを言いたそうにして、何も言わないよるを。こんなに悲しそうな顔をしてるのに甘えてこないよるを、私たちは知らない。


「……ケンカ、してるの?」

「ち、違うよ! お父さんがお母さんといつも仲良しなの、よるも知ってるでしょ? でも今は大事なおはなしをしててさ。よるを起こしちゃったね、ごめんね?」

「……ううん」

「そ、そうそう! ちょっと熱くなって『こんのぉ、わからんちん!』ってなっちゃったの! ごめんね、心配しちゃったよね。ほらほら! 今日もこんなに仲良し!」


 和樹にしがみついて横ピース。上目遣いで私達を見つめていたよるの表情が少しだけ、ホッとした感じに変わる。


 でも。


 私たちはいったい、何をしていたんだろう。


 よるの為、よるの未来の為とか言って……この子をこんな顔にさせてまですることだった? 


 和樹と目があった。きっと同じことを考えてる気がする。


「大事な、お話……?」

「うん。それでお父さんとお母さん一生懸命に話をしてたから、もしかしてケンカしているように見えちゃったかな、ごめんね。俺がムキになったのがいけないんだ」

「そう、なの?」

「そうそう! でも私もいっぱいいけなかった! ごめんね、よるに心配かけて。もう大丈夫だから」


 こくり。


 私たちをかわりばんこで見たよるが頷いてくれた。でも和樹は私のエプロンを、私は和樹のシャツを握りしめたまま、動けない。


 目を伏せて、可愛らしい舌をチロリと出しては唇を湿らせ、何かを言いかけては躊躇うよるに、動くことができない。


「……よる、も」

「ん? どうしたんだい?」

「なぁに? よるもどうしたの?」

「大事なお話なら、よるも……」


 !!!


 和樹の顔を見た。

 真っ青な顔で和樹も私を見ている。


「……ううん、何でもない。もう寝るね、おやすみなさい!」

「よる、待って。違うの」


 振り返らずに小走りでリビングを出ていったよるに、私たちは立っていられなくて座りこむ。


「和樹……ごめん。私のせいだ」

「違うよ。俺もムキになってたからいけなかった」

「謝ってくる!」

「待って。朝早いから、謝ったあとに『林間学校から帰ってきたら全部話す。よるの意見を聞きたい』っていうのはどうかな」


 そっか……そうだ。グランディアや私たちのことを説明していたら、寝るどころの話じゃなくなっちゃう。それはダメ。よるがあんなに楽しみにしてた林間学校なのに。


「うん、わかった」

「よかった、ありがとう。あとはよるが林間学校に行っている間に僕らの意見をまとめておこう。あー、もう! 僕が最初からファルルの話をちゃんと聞いていれば、よるがあんな顔をする前に三人で話ができたかもしれないのに!」

「違うよ、和樹だけのせいじゃない」


 私たちにとってよるは、命よりも大切な一人娘だ。あの子が幸せになる為なら私たちのの全力でどんな出来事にも困難にも向き合うだろう。


 でも、その想いの中によるの気持ちを考えに入れていた? 守ってあげないとダメだって決めつけてなかった?


 大切な話なら、私も聞きたい、話したい。


 よるの言ったことは当たり前じゃないか。よるが自分の考えをしっかりと持ってきた証拠だし、それに大事だっていう話に自分だけまぜて貰えなかったら?


 よる、ごめんね。

 ごめんなさい……。



 「よる、寝たかい?」


 二階にあがって、そっとよるの部屋のドアをノックした。和樹が小さく声をかける。


「……寝たのかな」

「そうかも……」


 ドアを開けてみると、ベッドの上で掛け布団が大きく盛り上がっている。

 

「よる……」


 歩きかけた私の肩を、和樹が優しく押さえた。


(戻ろうか。起こしちゃかわいそうだ)

(うん……)


 ドアを閉め、静かに階段を降りてリビングに戻った。

 

「コーヒーれるけど、紅茶こうちゃでいいかい? いったん落ち着こう。ファルル、泣かないで」

「私もコーヒーがいい……ありがとう、ぐすっ」

「明日、よるを僕が車で学校まで送っていくよ。その時に、林間学校から帰ってきたら三人で話そう、って言っておくのはどうかな?」

「いいと思う」


 和樹が私の涙をふいてくれる。それに、さすが和樹だ。ちゃんといろいろ考えてくれている。これでよるもモヤモヤを林間学校にたくさん持っていくことはないだろう。


 でも。


 本当に泣きたいのはよるのほうだと思うと、ここのところどんなにツラい気持ちでいたのかと思うと、涙が止まらない。お母さん失格だよ。


 ごめんね。林間学校から帰ってきたら、必ず全部話すから……。

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