第2話「やっぱりああいう子がいいの?」
「ぁっぃ……」
川越は最小限のエネルギーしか使いたくないのか、口の中でもそもそと掠れ声で呟く。その顔には苦痛の2文字。
「そこまでか?」
「ぁっぃゎょ……」
まあ、ここ数年たしかに、最高気温は上がってる感じはするな。
ゴールデンウィークが明けたばかりにしては、暑い。川越は真夏みたいに暑がってるけど。
とにかく、下校道を、俺は
別に一緒に帰る約束をしたわけでもないのだが、俺も彼女も帰宅部だったし、今朝予鈴がなる直前に言われた依頼——『あたしに、ラブコメを教えてくれない?』——の続きを話す必要があると思ったのもあった。
「暑がってるところ悪いんだけど、そろそろ聞いても良いか?」
「何を……?」
やっと、ちょっとはまともに声を出した。というか、さっきまでのが独り言だっただけで、会話を成立させる気自体はあるのかもしれない。
「昨日、なんで本を破こうとしたんだ?」
「今朝、『説明はしない』って言わなかった?」
「まあ、無理強いはしないけど」
俺が肩をすくめると、
「……昨日ね、担当さんから電話がかかってきたのよ」
彼女は思ったよりも素直に白状しはじめた。
「担当さんって……もしかして、編集さんってことか!?」
「そうよ」
「おお、まじか……!」
この人、担当編集がいるんだ……! そりゃそうか。そりゃそうなんだろうけど、なんかすごいな……。
「何、その顔? ていうか『まじか』って何よ。あたしには担当なんか付くはずないとでも言いたいわけ?」
いや、卑屈だな!
「じゃなくて、なんか、すげえなって思っただけだよ……! で、担当さん?は、なんて?」
少々浮かれた様子の俺を
「……続刊、出せないって」
「おお……」
さっきの「おお……」とは違う響きで俺の口からまろび出た。
作家にとってそれがどれくらいの苦しみなのかは想像するしかないが、それが彼女があの行動に出たきっかけになりうることはなんとなく理解できた。
「あたし、
東部堂書店は、俺のバイト先の本屋の名前だ。
「まあ、たまに見かけてはいたな。学校に近いから来てるんだなあと思ってたけど」
「きっかけはそうね。でも、何回も通ってたのは、あたしの本を入荷してくれたからよ」
「ああ……」
「……でも、あたしの本、ずうううっと、あの棚にあるままでしょ?」
「あーえっと……」
正直、昨日まであの本のことを意識していなかったから、あの棚にあるままかはよく分からない。冷や汗をかく俺に構わず彼女は続ける。
「昨日、担当編集からの電話のあと、それでも本屋に入ってずっと売れ残ってるあたしの本を見たら、なんていうか、本当に無価値なんだなって思えてきちゃって……」
「それで、『こんなもの、破ってやる!』って?」
「……幼稚な行動だって、分かってるわよ。だから謝ったじゃない」
「別にもう責めてないよ」
「……ふん」
彼女は拗ねた様子で鼻を鳴らす。
『
大きい出版社の老舗レーベル・ソックス文庫の第30回ソックス文庫大賞という新人作家コンテストで審査員特別賞を取ってデビューした。らしい。
帯には審査員の作家先生の『ラノベの賞をあげていいのかは分からないが、この作品に賞をあげないのは嘘だと思った』というコメントが書いてあった。
昨日の夜、一気に読んでしまうくらいには面白かったし、のめりこんだ。
しかし、たかが素人の意見だが、売れ線ではなかった。
ラノベらしく、ヒロイン役と
この女の子は奥深くて理知的なセリフを言うものの、あまりにも深遠かつ優等生然としており、なんというか女神じみていて、人間っぽい可愛らしさがない。
女神といっても、ラノベで「女神」とか「天使」とか評されるそういうのでもないし、もちろん「駄女神」的な隙もない、本当に石像みたいな女神。ギリシャ神話の女神の方がもうちょっと人間味があるんじゃないかっていうくらい。神なのに。
「……で、今度はあなたの番よ。あたしに、ラブコメを教えてくれるって話、どう? あなたの貴重な時間をもらうわけにもいかないから、もし難しければいいけれど」
「それなんだけど……」
彼女のオーダーを受けて今日考えていたのは、名作ラブコメをオススメすることだ。
ということで、俺はいわゆる名作と名高いラブコメを10シリーズほど列挙したメモをスマホに打ち込んで、彼女にスマホごと渡す。
……だがしかし。
「これ、読んだことあるわよ? 全部。担当に言われたもの」
彼女はスマホを俺に返しながら、『当然でしょ?』とばかりに目を丸くする。
「あ、そう……。どうだった?」
「面白いところもあったけど、どれも『その話にそんなに
「紙幅を割く、ね……」
頭の中で変換するのにちょっと時間がかかった。まだ変換できただけ褒めて欲しいくらいだ。
そして、多分その『冗長っていうか、何の教訓もないやりとり』というものこそ……。
「なるほど、あれがラブコメのパートってことね」
「……だろうな」
つまり、彼女に取ってラブコメパートはハッキリ言って『どうでもいい部分』なのだろう。
「困ったわ、あたし、ラブコメの良さが分からないかも……。冴えなくてやる気なさそうで本当は能あるツッコミ気質のオタクがちやほやされるのを見て何か楽しいの?」
「芯を食うなよ! 楽しいだろ、めちゃくちゃ!」
「盛大なツッコミね?」
「…………」
閉口。のち、溜息。
「はあ……まあ、じゃあラブコメじゃない作品を書けばいいんじゃないか?」
「簡単に言うのね。次回作を書けるのが当たり前みたいに」
「ああ、すまん……。そうだよな、そんなスラスラ書けるものじゃないよな……」
「ま、書くけどね」
「書くのかよ」
俺のしおらしい反省を返せ。
「ラブコメじゃない作品……でも、ラブコメ要素がないと売れないんでしょ?」
「男性向けラノベなら多少は要るだろうけど……それだけでもないだろ。ファンタジーだっていいし」
それでもラブコメ要素が皆無っていうのは難しいかもしれないが、別にないわけじゃないと思う。と相変わらず素人意見を口にすると、
「ファンタジーじゃ実写化出来ないじゃない」
と彼女は口をへの字にした。
「実写化したいんだ? じゃあ、ラノベじゃなくてもいいんじゃないか? 文芸っていうか、普通の小説でもいいだろ」
「はあ? それじゃアニメ化出来ないじゃない」
への字の口のまま、今度は目を怒らせる。意外と表情豊かだな。
「実写化したいのかアニメ化したいのかどっちだよ?」
「どっちかを選ぶ必要があるの? 実写化もアニメ化もしたいわ。というか、実写化もアニメ化もするくらいじゃないと意味がないのよ」
不思議そうに首をかしげる川越。
「……そんなまっすぐな目で見るな。一般論に照らし合わせても欲張りだろ。二兎を追う者一兎も得ずだぞ?」
「どうして、そんな誰が言ったかも分からないような、クソほどださい妄言で未来を諦めなくちゃいけないわけ?」
「はあ……」
強気だなあ、作家先生。ことわざのことを『そんな誰が言ったかも分からないような、クソほどださい妄言』っていうやつ初めてみたよ。
「まあいいや……。だから、現実世界のラノベを書くってことか?」
「そうよ」
「どうして映像化にこだわる?」
「どうしてって……」
彼女は少し思案するような顔をして、やっぱり当然みたいな顔をして言いのける。
「そうじゃないと、世界を変えられないもの」
「世界を変える……?」
なんだこいつ、セカイ系のヒロインか? なんか今からそういうスペクタクルな話が始まる? こいつが書いた物語の通りに世界が動き始めたりする? わくわくしてもいい?
「それって……」
と、追求しようとしたその時。
「
ふわりと甘い香りと共に、俺の方が少し強めに叩かれる。
「
振り返ると、黒髪清純美少女・
「あ、誰かと思ったら川越さんも! 組み合わせレア過ぎて分からなかった! 二人って仲良いの?」
「ああ、いや、たまたまっていうか」
「ふうん?」
常盤は後ろで手を組んで体全体で首をかしげる。
「と、常盤は? 部活は?」
「今日はおやすみ! おうちの手伝いしなきゃ! 岩太くんは? 今日もバイト?」
「ああ、うん」
「そっか。残念、一緒に帰れるかと思ったのに! あ、私次に出る電車に乗らなきゃだから、いくね! じゃあ、バイトがんばってね! それじゃ! 川越さんもばいばい!」
常盤はものすごい速度で甘くて爽やかな風を吹かせて立ち去っていった。
「おお、じゃあな……」
もう数メートル先に小さくなった背中に名残りみたいな声をかけていると。
「やっぱりああいう子がいいの?」
背後から聞こえた川越の声にぎくりと肩が跳ねる。
慌てて振り返ると、川越は実に興味深そうに俺の表情を覗き込んでいた。
その顔に——当然だが、嫉妬みたいな色は浮かんでいない。そりゃそうだよ。そりゃそうだけど、それこそラブコメだとほら、超序盤から既になんかヤキモチとか
「ね、どうなの?」
「まあ……一般論でラブコメのヒロインが現実世界に出てきたような女子だとは思うよ。一般論で」
「は? 何で一般論って2回言うわけ?」
大切なことだからだよ。
「まあ、そうね、女のあたしから見ても抜群に可愛いし、スタイルもいいし、性格も良さそうだし、育ちも良さそうだし、発育も良さそうだし。……あ」
「あ?」
何かに気づいたらしい川越は次の瞬間、俺をニヤリと見上げる。
「ねえ、柳瀬くん」
「ん?」
「あなたって、よく考えるとラノベの主人公みたいよね?」
「はあ……?」
「そのかっこいいと思ってるのか知らないけどやる気がなさそうで低体温を装った反応と、平均だと思ってるのかもしれないけど世の中の平均からすると大分豊かなオタク知識と、『
「待て待て待て待て」
「そういうツッコミ気質もそうだわ」
「…………」
そんなこと言われたら文字通り閉口するほかない。とっくにライフは0だ。
「そんなあなたを見込んでお願いがあるんだけど」
「何……?」
いや、まさかとは思うが……。
彼女は目を輝かせて、ニコッと笑う。
「常盤さんと、ラブコメしてみせてよ」
「はあ……」
「出たわ、その『やれやれ』みたいな反応!」
いや、そっちこそ00年代ラブコメのヒロインみたいなこと言うなよ。
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