あたしにラブコメを教えて。

石田灯葉

第1話「あたしに、ラブコメを教えてくれない?」

「『世界を変える』っていうのは、別に地球の核にあるサーバーに接続してプログラムを書き換えるみたいなことじゃなくて、」


 川越かわごえあさ——もしくは富士見ふじみよるは、カフェの窓の外を歩く人を指差しながら続ける。


「あのくたびれた黒いスーツ着たサラリーマンと、あの買い物袋を提げてしかめっ面してるおばさんと、あの不貞腐ふてくされた顔をしてランドセル背負ってる少年と……あと、ここからは見えない不特定多数の一人一人の景色を0.1ミリずつ変えるってことだと思うの」


「……そっか」


 俺は胸中で『小説の登場人物みたいな喋り方だな……』と思ってはいたものの、それを口にはしない。


 彼女は煽り耐性がなさそうだし、そもそも小説の登場人物みたいな喋り方をすること自体は悪いことじゃない。


「ああ——」


 俺なんかの気のない返事に落胆したわけじゃないだろうが、彼女はがくりとうなだれる。


 そして、大真面目な顔で呟いた。



「——あたしは、世界を変えたいのに」



==============


 彼女は、俺が働いている本屋のラノベコーナーに立っていた。


 長めの前髪に隠れてしまったその表情をうかがい知ることは出来なかったが、そこは男性向けのライトノベルが置いてある棚なので、女子が立ってるのは珍しいなあと少し目を留めていたその時のこと。


 彼女は、平積みされていない棚の中から文庫本を取り出し、


「ん……?」


 ビニール包装を剥がしたかと思うと、


「は……!?」


 なんと、その本を破こうとし始めたのだ。


「ちょっと、お客様!?」


 慌てて止める俺。小柄な彼女の華奢な腕を後ろから掴む。


 今になって思うと後ろから抱きついているような姿勢だったし、よく考えたら商品を破こうとしている時点でその人物は絶対に『お客様』ではないのだが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


 書店員としての最低限の情熱と矜持きょうじが俺にもあったのだろう。


 しかし、当然といえば当然だが、彼女は素直に止まってはくれない。


めないでよ! あたしの本をあたしがどうしようと勝手でしょ!?」


「いや、あなたの本じゃなくて本屋うちの本ですけど!?」


「うるさい! どうせ、あなただって、こんなもの価値がないって思ってるくせに!」


「いやいや、価値はありますよ! 商品ですから! 税込748円の価値があります!」


「そんなこと言ったって騙されないから! あんなに絶賛してたのに、口ばっかりで、続刊が出たってどうせ買ってくれないくせに!」


「さっきから何の話をしてるんですか!?」


 決して騒がしい場所ではない本屋という場所でこれだけ大声の応酬があれば当然のこと。


「ちょっと、どうしたの!?」


 店長が駆けつけて、彼女は裏の事務所へと連行された。




  

「……川越かわごえあささん。武蔵野むさしの国際こくさい高校、2年生」


 店長の成増なりますさんが学生証に書かれた情報を読み上げる。


「はい」


 彼女——川越さんは、机の前、むすっとした顔で応じた。


「武蔵野国際高校って……」


「……まあ、はい」


 こちらをちらっと見た成増さんに苦笑と頷きを返す。


「……俺と同じ学校っていうか、同じクラスですね」


「え? じゃあ、どうして止めなかったの?」


 成増さんが眉間にしわを寄せる。


「自分が働いている本屋でクラスメイトを見かけたとして、彼女が次の瞬間に本を破こうとすると思いますか? 未然に防ぐのは無理です」


「でも、同級生が自分の職場に来てたら、声くらいかけない? そしたら彼女だってあんなこと……」


「成増さんは大して仲良くもないクラスメイトがいたら声をかけるんですか?」


「かけないわね、むしろ隠れるわ」


「そういうことです」


 さすが成増さん。いんの者の習性に共感してくれる。


 彼女が店長じゃなければ、きっと俺はここで働くことは出来ていないだろう。


「えーっと、それで……」


 成増さんは悩みの元凶に向き直る。


「万引きならマニュアルがあるんだけどなあ。こういうの、なんていうんだろう……器物損壊?」


 それはまあそうだろう。小さい子が本を落としたり投げたり破いたりした場合の対応はマニュアルがあるものの、今回は小さい子ではなく——いや、まあ小柄ではあるが、そこらへんの分別はあるはずの立派な高校生だ。


「えっと、動機とか聞いておく?」


「俺に聞かれても……」


 頬をかいて応じる俺に、


「人生に絶望して、やりました。反省は……しています。その本の代金も払います」


 彼女はむすっとしたまま、それでも一応は敬語でカットインした。


「そ、そう……じゃあ、いいのかしら」


 先ほどの子供が本を壊した時のマニュアルは、度合いにもよるが、基本は親が買い取ることで手打ちになる。


 であれば、この場合も弁償をされる以上、他の本にはなんの被害もないため、ここでおさめるほかないように思う。


 学校にくらいは連絡を入れてもいいような気もするけど、朝のホームルームで「本屋で本を破かないように」と注意されても他の生徒だってポカンとするばかりで再発防止には繋がらないだろう。うちの高校はそれなりの進学校で、血の気や破壊衝動とはあまり縁がないのだ。


「もう帰ってもいいですか」


 彼女は1000円を取り出して机の上にばん、と置く。


「ああ、じゃあお釣りを」


 レジに向かおうとする俺に、


「要らない」


 彼女が言い放つ。


「えっと、いや……」


 そういうわけにもいかないでしょ、と言いそうになって、いや、でもお詫び料という意味では妥当っちゃ妥当か……?と逡巡していると、


「……これは、1000円くらいの価値は余裕であるはずだもの」


 彼女はそう言って立ち上がってドアへと向かう。


「あの、お客様、商品を……」


「要らない。うちにたくさんあるんで。ブックオフにでも売ればいいんじゃないですか?」


 とまた不可解なことを言って彼女は一礼する。扉をあけて部屋から出ていった。


「伏線を張るだけ張って回収も無しか……!」


 思わず口に出た言葉に、


「伏線?」


 成増さんが首をかしげた。


 彼女は伏線というか、推理のタネを先ほどから小出しにしている。


『あたしの本をあたしがどうしようと勝手でしょ!?』

『こんなもの価値がないって思ってるんでしょ!?』

『うちにたくさんあるんで』


 いささかレアケースというか、ご都合主義的なきらいはあるが、その確率の低ささえ取っ払えばそんなに難しいミステリーではない。答えはほぼ確定している。


 とはいえ、どんなに簡単な答えでも、一応種明かしというか、犯人の正体くらいは突き止めてくれないと、物語としては不完全燃焼どころの騒ぎじゃない。


 俺は気づくと、机に放置された表紙の曲がった本を引っ掴んで、彼女の後を追いかけて扉をくぐる。


「川越さん」


「……なに」


 彼女は涙目で振り返り、俺を見上げる。


 その拗ねたような顔が存外に美少女然としていて俺は一瞬たじろぐものの、


「この本……川越さんが書いた本なのか?」


 そう、問いかける。


「……そうだけど」


「へえ、やっぱり……!」


 自分でも呆れるほどに素直でミーハーな反応だった。


 だけど、サイン会などではなく、野良の作家を見たのなんか初めてだったから、書店員の俺からしたら芸能人にあうようなものだ。野良の作家ってなんだよ。


「……それ、読んだの?」


「あ、いや……」


「……読んでもないくせに、そんな顔しないで」


 彼女はもう一度僕を睨むと、ふん、と踵を返して立ち去った。



 俺は自分の手元を見る。 


 本のタイトルは、『ぜろ、青春』


 レーベルは男性向けラノベレーベル、ソックス文庫。


 著者名は、富士見ふじみ よる


 彼女は、デビューしたてばかりのラノベ作家だったのだ。




 翌朝。


 登校した俺は、彼女が廊下に出て一人になったところを見計らって、声をかけてみた。


「川越さん」


「……なに」


 昨日追いかけた時と全く同じ反応だ。


「昨日、あなたの店でしてしまったことなら謝るわ。自分でもどうかしてたと思うけど、どうしてもこらえられなかったの。悔しくて、惨めで、苦しくて……。説明しても分からないだろうから、説明はしない。けど、それは弁償もしたし、他の本にも迷惑かけていないでしょ? それでも学校とか警察に言わないといけないっていうならそれは言えばいいし、あのことであたしをゆすろうったって、そんなのは」


「ちょっと待てちょっと待て」


 ぶつぶつと滔々とうとうと話し始めた彼女を制止する。


「別にそんなことを言いたかったわけじゃなくて」


「じゃあ、何?」


 相変わらずの怪訝けげんな表情。


「昨日、あの本を持って帰ったんだ。それで、」


 俺がそこまで言った途端、


「もしかして、読んでくれたの?」


 彼女は突然前のめりに俺に顔を近づけて来た。……近い。


 ふわりと、シャンプーなのか衣料用洗剤なのか、とにかく清涼感のある香りが鼻先をくすぐると同時、つい今まで前髪に隠れてよく見えなかった綺麗な肌と猫みたいな目に、ついついどきっとしてしまう。ちょろすぎるな、俺。


 しかし、容姿の問題だけではないのだ。


『読んでくれた・・・


 昨日の態度からは考えられないほどの素直な反応に、俺はなんだか心を持ってかれてしまったらしい。


「ああ、うん」


「……どう、だった?」


 彼女は期待と不安の入り混じった目で僕を見上げる。重ね重ね、昨日の、ていうかついさっきまでの態度からは考えられないほどの素直で可愛らしい反応だ。


「話は面白かった」


「話は……?」


『他に何が必要っていうわけ? これ小説ですけど?』とでも言わんばかりの眉間のシワ。いや、雄弁なシワだな。


「哲学的な含蓄がんちくもあるし、熱いシーンもふんだんにあった。文章にも魅力があるし、専門的なことは分からないけど、起承転結もしっかりしてるように思った」


「じゃあ、何が足りなかったっていうの?」


 俺は『足りない』だなんて言ってはいないし、求められなければ言うつもりもなかったが、俺の言い方がそう思われてしまったらしい。


 実際、一つだけ、男性向けライトノベルに大切であろう要素が足りなかったのだ。


 それは……。


「……萌えなかったんだ」


「『萌え』だぁ……?」


 眉間のシワを深ーくした彼女は、おっさんみたいな話し方で俺を睨む。


「いや、だって、ソックス文庫って、基本的には男性向けのレーベルだろ? それでファンタジーでもないんだったら基本的にはみんな青春ラブコメだと思って手に取ると思うんだよ。なのに、女の子に萌えないっていうのは……」


「……詳しいのね?」


 烈火のごとく怒り出すかも、と思ったが、彼女は目を丸くして小首をかしげる。


「詳しくはないけど、一応書店員だから……」 


「ふーん、なるほど……?」


 あごに手を当てて思案顔になった川越朝。


 そして。


「ねえ、あなた、名前は?」


「え、今まで知らなかったのか?」


「あなただって昨日まであたしをろくに認識してなかったくせに」


 それを言われると痛い。


「……柳瀬やなせ岩太がんた


「ふうん……ねえ、柳瀬くん」


 そして、彼女は大真面目な顔で、俺にこう言った。




「あたしに、ラブコメを教えてくれない?」

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