第3話「違うわ、あたしは神よ」

「落ち着いてて素敵な店ね」


 川越かわごえあさは猫みたいな目で店内を見回してから、真顔で頷く。


「だよな」


 別に俺が経営してるわけでもないし内装デザインをしたわけでもないのだが、自分のお気に入りの店を褒められると自分自身が褒められたみたいでなんとなく嬉しい。


「よく来るの?」


「まあ、そうだな。バイト前に読書したり」


 東小金井ひがしこがねい駅の、うちの高校とは反対側の出口にぽつりとたたずむ俺のバイト先。


 そこからもう5分くらい離れたところにあるこの純喫茶カフェ・『ふくろう』でバイトまで時間を潰すのが、日々のささやかな楽しみだ。


 ここで本を読む時間のために東部堂とうぶどう書店でバイトをしているまである。社割で買えるし。


「ふうん。随分とのんびりした人生を送ってるのね」


「なんかバカにされてる感じだな……せめて贅沢な時間と言ってくれ」


「それはどうかしら。消費することにしか喜びを感じてない人って幸せになれないのよ? 生産することに喜びを感じないと。休日だけが生きがいの人は、平日、不幸でしょう?」


「おい作家。消費して読んでくれる人がいるから生産する書くことが仕事になるんだろうが……」


 暴論に正論で返すと、川越は肩をすくめる。


「あたし、読んだ時間が無駄な消費になるような作品書いてないもの」


「俺が読んでる本だってそうだっての……」


 と呆れているところ。


「あ、あの……こ、こちら、ブレンド2つです……!」


 おかっぱ頭の女子が俺たちの飲み物を運んできてくれた。


「ありがとうございます」


 口に出して御礼を言う川越。意外と常識人。


「あ、あの……、や、柳瀬やなせさん……そちらの方は……?」

 

 おずおずと尋ねてくるセーラー服にえんじ色のエプロンを付けた彼女は、鶴ヶ島つるがしま瑞歩みずほさん。このカフェの店主の娘さんだ。


 地元の中学に通っているので、学校が終わると、この自宅兼カフェに帰ってきて、たまに手伝いをしているということらしい。俺には、『たまに』というよりは『しょっちゅう』に見えるが。


「あーえっと……この人は、川越さん。俺の同級生」


「どうも、はじめまして……?」


『このお店は店員さんに自己紹介するシステムなの……?』と眉間にしわを寄せつつも、一応は会釈をする常識人、川越。相変わらず雄弁な皺だ。


「は、はじめまして……! や、柳瀬さんがご友人を連れてくるのは初めてですね……?」


 意味ありげに、不安げに俺の目を覗く瑞歩さん。と、同時、常識人が目を丸くして俺を見る。


「え、そうなの?」


「まあ……」


 川越が言ってきた依頼(?)の弁解というか訂正というか、とにかくそういうことを早めにしておかないといけない、と思ったからなのだが。


「か、川越さんと柳瀬さんは、そんなに仲良し、なんですか……?」


「いや、昨日初めて話した」


「えええー……そんなのアリですか……?」


 不満げというか不服げに顔をしかめる瑞歩さん。


 たしかにアリかナシかでいうと、ナシ寄りな気がしてきた。


 というのも、俺は、この店で一人過ごす時間を大事にしている。だから、これまで友人を連れてこようと思ったことは一度もなかったんだが、今日は驚くほどあっさりと、というか、気づいたらほぼ初対面の川越を連れてきてしまっていた。


 川越は失礼なやつっぽいが、パーソナルスペースが広めな感じがするからだろうか?


 正面に視線を戻すと、コーヒーカップを持ち上げながらキョトン顔で首をかしげる川越。そうだよな、川越にわかるはずないよな。


「……言っておきますが、うちの店はデート禁止ですからね」


 何故かジト目で釘をさした後、瑞歩さんはくるりときびすを返してカウンターの方へ戻っていく。いや、俺は別に構わないし、これはデートじゃないけど、デート禁止のカフェってどうなんだ?


「……え、ていうかこのコーヒー美味しいんだけど」


「なんで文句みたいに言うんだよ」


 俺のツッコミは無視して、目を閉じて彼女はコーヒーをもう一口すする。


 目を閉じると、その小柄さも相まって、なんだか小動物みたいだな、と思う。


 しかし、口と目を開くと、彼女の苛烈さが突然牙を剥いてくる。手乗りタイガー……よりは文化的な牙だけど。


「それで、どうしてあたしをここまで連れてきたの?」


「川越がわけわからんこと言うから、撤回してからじゃないとバイトいけないなと思って」


「わけわからんこと……?」


『そんなこと、言ったかしら……?』のがあって、


「ああ、常盤ときわさんとラブコメしてみせてって話?」


 彼女の頭上の豆電球がぴこん、と灯った。


「そうだよ。あのまま帰ってたら、何をするか分かんないから」


「だって、あなたが、あたしに言ってくれたんじゃない。『ラブコメを書いた方がいい』って」


「厳密に言うと話の流れ上そうなっただけで、俺が発案したわけじゃないけどな」


「それで、常盤さんっていういかにもラノベから出てきたみたいなヒロインと、柳瀬くんっていう、いかにもラノベから出てきたみたいな主人公(笑)がいるんだから、実演してもらいたいってお願いしただけよ」


「おい、主人公の後に嘲笑挟んだだろ」


「そういうところよ、ラノベ主人公くん」


「はあ……」


 やれやれ、とため息をつきながら、「ああ、こういうところもか……」とひとりごちる。なかなかに八方塞がりだ。


「で、やってくれるの?」


「やらないに決まってるだろ」


「なんでよ? ラノベ主人公らしく、巻き込まれてくれたらいいのに」


「いや、その場合は川越がメインヒロインになるわけだけど?」


 言った直後、キモいなと気づいたが、幸運にも川越はそれは気に留めず、


「違うわ、あたしは神よ」


 とのたまった。いや、俺よりやばいのでは?


「神って……自己肯定感高いな……」


「そういうことじゃないわよ。あたしはそのラブコメにおいて、神の視点を持っているの。作者だもの。神作家よ」


「だから、神作家って言っちゃうと話がこんがらがるだろうが」


「でも、あなたは常盤さんのこと、好きなんでしょ?」


「なんでだよ」


 あまりにもスムーズに差し込まれたおかげで、ほぼ脊髄せきずい反射で返すことが出来た。


「だって、あんな子にあんな馴れ馴れしくされて、惚れないなんてことある? ていうか、そもそもなんであんなに懐かれてるわけ?」


「別に懐かれてないだろ。中学が一緒なだけだよ」


「わあ! メインヒロインと幼馴染! あなた、つくづくラノベ主人公ね!」


 感心したように目を丸くする川越。


「あのな……メインヒロインと幼馴染っていうのはあまりベタな展開じゃないだろ。ラノベだと、幼馴染は負けヒロインと相場が決まってるんだよ。だから、常盤がメインヒロインなら俺はラノベ主人公じゃない」


証明終了Q.E.D.


「おい、ラノベ主人公っぽい言い方を文末に勝手につけるな」


 抜け目ないっていうかなんていうか……。


「ていうかそもそも、中学からだから幼馴染じゃないだろ」


「お、あなた、なかなか話せるじゃない」


 嬉しそうな表情になる川越。


「そこ、なかなか解釈が分かれるところなのよね。『中学が一緒』は、幼馴染なのかどうか。地元のツレではあるじゃない?」


「なんでいきなりヤンキーみたいな言い方?」


「幼馴染を情感たっぷりに言い換えたらそうなっただけよ」


「ふうん……」


 さすが作家先生……なのか? まあ、なんでもいいんだけど。


「とにかく。常盤は中学時代から、誰に対してもあんな感じだ。だから懐かれてるわけじゃない」


「そう。ま、あの子、良い子っぽいもんね」


「だな……」


 ……さて、今、普通に出来ているだろうか。


 たしかに、中学時代、ご多分に漏れず、彼女に恋をしていた。


 さっき川越の言った通りだ。あの美少女にあの距離感で微笑まれてしまっては、抵抗するのは不可能だった。


 別に、ハッキリと失恋をしたわけではない。


 彼女が先輩と付き合っていると言う噂が流れただけだ。


 そのこと自体もズキっと来たし、何よりも俺は彼女に「そうなの?」と聞けるような距離にすらいなかったことを自覚し、その時の俺は、曖昧に、鈍く、窒息させるみたいにその気持ちを水の中に沈めた。


「———偶然なの?」


「え?」


「『え?』じゃないわよ。だから、常盤さんと柳瀬くんが同じ高校に来たのが偶然なのかって聞いてるの」


「ああ、そりゃもちろん。常盤が武蔵野国際ムサコクを受けるって知らなかったし」


「常盤さんが柳瀬くんに合わせたってことは?」


「あると思うか……? 逆ならまだしも、そんなの仮定するだけでもおこがましい……」


「物理的にはない話じゃないでしょ? 別にあなたたちの関係とか心情なんか知らないし。釣り合ってるとか、そんなの、誰が決めるわけ?」


「……やめてくれ」


 思わず少し冷たい声になってしまって、自分が恥ずかしくて口をつぐむ。


「怒ったの?」


 特に焦った感じもなく、普通の質問という感じで首を傾げる川越。


「ああ、いや、別に怒ってないけど……」


「そう? まあ、とりあえずまだ始まってないっていうならちょうど良いわ! さすがに一回付き合って別れたりしてる人にそういうお願いするのも変だものね」


「だからやらないってば……」


「分かったわよ、別に無理やりラブコメを発動する必要なんてないわ。そんなの、逆にリアルじゃないし。でも、そうね……」


 川越は「んー……」とへの字にした唇に指を当てて、「あっ」と吐息を漏らし、真顔で提案してくる。


「明日から、柳瀬くんと一緒に行動してもいい?」

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