読んでいて、こう思いました。
宗教は、死後の世界に幸福を願って、今の現実を刹那的に生きるものではなく、どちらかといえば、最期のときを穏やかに逝けるように、今の人生を大切にするものだ、と。思想も何もない、若者だったら、わたしも同じことをしていたかもしれません。いえ、今だって怪しいかもしれませんが、少なくとも、残された時間が僅かだと知って、何をやってもいい、という考えには陥らないでしょう。それは、生き方によって決まる、個々の選択なのかもしれませんね。
作者からの返信
せいひつ さん
コメントありがとうございます!
せいひつさんのような宗教観を持っている方は、生き方として強いと思います。
本作を書いていて、二年だろうが、数十年だろうが、等しく死はこわいよなということを考えていました。
誰もが死に向かって生きていくなかで、心穏やかに生きられる宗教観・人生観を持っていない人は何らかの手段で生きていくことを編み出さなくてはいけなくなる。
発狂したり、自殺したりする人もいる。
その中で、最大多数の人が取りうる手段は、同じ明日が来ることを願って、仕事をし続けるということなのではないか。僕はそんな風に想像します。
二年もある、と捉えるのか、二年しかない、と捉えるのかは人によるのでしょうね。
タイムリミットが迫るにつれて、人々の情緒がどんどん狂っていったりするのでしょうか。
もしくは、たくさんの大人が集まって、地球を脱出する手段を大真面目に考え始めたり?
世界の終わりを見据えて、自分なら何をするのだろう。
作者からの返信
@kumehara さん
コメントありがとうございます!
二年後というリミットが近づくに連れて、どんどん狂気に飲まれていくひとも出そうです。ほぼ不可避的に……。
一方で、日ごろ争いばかりしていた人類が結託してノアの方舟的な宇宙船を開発する、なんていう熱い展開もあるかもしれません。
僕なら仕事辞めて死ぬまで本を読んでると思います。
でも特にやりたいこともなく、特に死にたくもない人たちは、本作の大人たちのようにこれまでの日常を続けるんだと思います。
そういう生き方は、恐怖に立ち向かっていけるから、ある意味で強いのではないか……そういう見方も本作に込めてみました。
2000文字以内のお題企画にご参加ありがとうございます🙇
私も何度想像したことか
地球が滅びるとわかった時に自分が、世界がどう変わってしまうのか、どう残された時間を生きていくのか(>_<)
二年後という時間がわかっているのなら、もしかするとこの大人たちのように普通に変わらない毎日を過ごすのかもしれませんね
でも子どもたちは?
と考えるともうどうしようもない切なさが込み上げてきました(*T^T)
作者からの返信
クロノヒョウ さん
コメントありがとうございます!
素敵な企画にこの度は参加させていただきました。
世界の終末……いいですよね。
っていうとヤバい人みたいですが(笑)、SF的想像力を巡らせられるところに面白みがあります。
大人たちは十分生きた感じはありますけど、大人になるために我慢を重ねてきた子どもたちは……。
彼らの取るべき行動に正解はないけど、なんとか最後まで生き抜いてほしいところではあります。
二年後の隕石の衝突。
私は未来に設定することで対応可能にしましたが、今現在、隕石が降ってくるとなれば確かに打つ手はないですね。
ラストの切なさに胸が締め付けられました。
作者からの返信
藍条森也 さん
コメントありがとうございます!
数年あるならともかく、隕石落下まで二年しかない場合、やはり状況は絶望的になってしまいますね。
二人の学生たちも、今は苦しみにあえいでいますが、二年後までに何らかの心穏やかにする方法を編み出して行くんだと思います。そこに希望を託しつつ締めくくりました。