第6話 一時的記憶喪失

 そんなことを考えていると、

「いつから、そんな感じなんですか?」

 と聞くと、

「昨日の夕方くらいまでは覚えていたような気がするんですが、目が覚めた瞬間に、あったはずの記憶がなくなっていたという感覚なんですよ」 

 というではないか。

 医者でもないので、記憶喪失のメカニズムなど分かるはずもない。

「記憶を失うというのがどういうものなのか、分かるはずもない」

 というのが、本音であった。

 ただ、記憶喪失になるということは、テレビドラマなどでよく聞いたことがあった。

「何かショックなことがあった時」

 この場合は、いや、この場合に限らず、

「一時的な記憶喪失」

 と、

「半永久的なものがある」

 ということは分かっているが、そのショックなことの内容が問題なのだ。

「トラウマになって残るようなものを見てしまった場合」

 刑事ドラマなどでよくあるのは、

「殺人現場を目撃したり」

 あるいは、

「自殺をする人を目の前で見てしまったり」

 という外的な要因のものである場合が多いだろう。

 あとは、何かのけがをした場合など、頭の打ちどころが悪かったなどという場合などもそうかも知れない。

 さらには、何かの薬物中毒の場合などがそうであろうが、彼の場合には、それはなさそうだった。

 今のところ、考えられるのは、

「何かの犯罪に、巻き込まれている」

 ということであるが、もし、そうであれば、一刻も早く警察に連絡をするべきなのだろうが、彼の様子を見ていると、

「さすがに、すぐには」

 と考えてしまうのだった。

 というのも、

「彼の顔を見ていると、まるで、赤ん坊の顔を見ているようだ」

 と思うのだ。

 もちろん、独身の治子に、子供がいるわけでもないので、今までに感じたことのない、

「初体験」

 なのだろうが、そのわりには、

「こういうのを、母性本能というんだろうな」

 ということを感じたのだった。

 それを思うと、

「子供を警察に売るようなことはできない。まずは、本人の様子を見てから判断しよう」

 と思ったのだ。

 しかし、記憶のない本人の様子を見て、何が分かるというのか、それもあてずっぽうのようで、何をどうしていいのか分からないというのが、本音であった。

 そんな様子を見ながら、

「私は何から聞けばいいのか?」

 というのは最初だった。

 これは、まるで、

「将棋をしていて、最初にどの駒から動かせばいいのか?」

 ということに似ている。

 そういえば、

「将棋というもので、隙のない布陣というのは、どういう布陣か知っているか?」

 と聞かれた人が、聴いた人に、

「いいえ」

 と答えると、

「隙の無い布陣というのは、最初に並べたあの形のことをいうんだ。一手打つごとに、そこには隙が生まれる」

 という。

 それを聴いた時のことを、思いだしていた。

 つまり、将棋というのは、

「減算法であり、100から、一つ一つ隙が出てきて、最後に隙だらけになった方が勝つのだ」

 という意味で、

「それこそ、単純なゲームなのかも知れない」

 と感じたのだった。

 ただ、人間の心理というのは、そういうわけにはいかない。進むごとに隙が出てくるわけではなく、結界にぶち当たるかも知れない。それが、人生であり、人の不可思議なとことではないかと思うのだった。

 そんなことを考えていると、その青年をよく見ていると、

「どこかで会ったような気がするんだけどな」

 という思いが頭をよぎった。

 どこで、いつ頃出会ったのかということは、正直定かではない。それが定かになると、治子の方から、彼の正体を探ることもできるのだろうが、そういうわけにもいかないようだった。

 青年は相変わらず、キョトンとしている。しかし、不思議なことに、最初から恐怖というものを抱いているという節はない。

「記憶喪失だという意識を持ってずっといると、恐怖という感覚に慣れてくるというのか、感覚がマヒしてしまっているのかしら?」

 と感じるようになったのだ。

 記憶喪失になった人を、知っているわけではないので、よくわからないと思った。

「いや、そうでもないか」

 と治子は思った。

 昔、感じたことがあったのだが、あれは、小学生くらいの頃のことだっただろうか?

 そう、あれは、まだ、10歳になるかならないかくらいの頃のことで、その頃というと、まだ、もう少し田舎に住んでいた。

 おばあちゃんの家に住んでいたのだが、その理由ははっきりとは分からなかった。それまでは、都会のマンション住まいだったはずだったのだが、急に、田舎に引きこもることになった。

 家が広くなったことで、治子は嬉しかったが、両親としては、居づらいという気持ちが強かったのか、必要以上に気を遣っていて、その分、イライラしているように感じられたのだ。

 そんな田舎でのことで、そこでは、まだまだ子供は表で遊ぶということが多かった。

 ただ、子供としては、

「危険な場所」

 というものが結構あったような気がする。

 特に、当時の田舎というと、県や国の、いろいろな廃棄所であったり、少し大きな施設などがあったので、迷い込んだり、遊び場にしたりすると危険と隣り合わせということが往々にしてあったりする。

 ちょうど、

「燃えないごみ」

 であったり、

「粗大ごみ」

 などの、一時集計場というのが、設けられたりしていたのだ。

 いずれ、スクラップにするものなのだろうが、そこには、電化製品の古くなったものなどが捨てられていたのだ。

 子供たちは、そんなところで、よく鬼ごっこをしたりしていた。

 鬼ごっこをしている子供たちを見ていると、子供心に、

「危ないな」

 と感じる。

 しかし、だからといって、止めれる力が自分にはないのだが、大人も止めることはないようだ。

 というのも、成人男性も女性も、基本的には、昼間は都会に働きに出ていて、夜は日が暮れないと帰ってこない。

 田舎と言っても、都会までの通勤圏内であった。

 もちろん、遠く、通勤時間が2時間以上の人はざらであった。

 そういう意味で、この田舎町では、昔からの農家のような家と、ベッドタウンとしての、住宅街と二つが存在したのだ。

 平地のほとんどは、田舎の農家で占められていて、山の麓から中腹くらいまでの間で、住宅地が構えられていた。

 中にはマンションのようなところもあり、このあたりには珍しく、人口は増えていたのだ。

 しかも、都心部まで通わなければいけなかったのだが、途中から、その半分の距離のあたりの土地が結構賑やかになってきた。

 というのも、大企業メーカーあたりが、

「郊外に大きな工場」

 を持つようになり、都心部の営業所から、そんなに遠くないところで、物流関係にとっての交通の便のいいところに作られることになった。

 それが、そのあたりであり、営業所に勤めていた人が、率先して、工場勤務を申し出てくれたおかげで、工場の人員を集めるのに、そんなに時間が掛からなかった。

 そもそも、営業所からの移転なので、主任の役職も最初から用意されているので、転勤する人からすれば、ありがたかった。

 それを思うと、さらに、田舎町の住宅街に入ってくる人も少なくはなかったのだ。

 しかも、最寄りの駅は、山の近くにあるのだった。

「まるで住宅街を意識して、駅を作ったかのようではないか?」

 と思えるほどで、それだけ、至れり尽くせりということだったのだ。

 そんな新興住宅と、農家の間くらいの空いたスペースに、

「産廃一時置き場」

 が設置されていたが、それも致し方ないところがあった。

「どうしても、工場ができると、産廃というものも増えてくる」

 さらに、

「都会の産廃関係も、今までのところでは手狭になってきた」

 という問題もあり、急遽の建設は、急務ということになったのだ。

 候補地はいくつかあったのだが、急遽ということを優先し、さらに、便利の良さも考えると、ここは、格好の土地だった。

 しかし、その分、地元住民の反対も結構あったようで、

「急遽建設」

 という話だったわりには、結構完成までに時間が掛かったというのは、そのあたりの根回しに奔走していたというのが、理由だったようだ。

 実際にできてしまうと、地元住民も諦めがついたのか。どうしようもないということも手伝って、誰も何も言わなくなった。

 しかし、それが崩れたのが、それから少し経ってからのことで、ある事件があったからだった。

 それが、ちょうど、彼女が10歳くらいの頃のことで、一時騒然となったのだった。

 その街では、子供が表で遊ぶのは、まだ当たり前だったというのは、前述のとおりだが、

「このあたりは危険だ」

 と言われたとしても、遊ぶ子供にとっては、それほど気になるものではないだろう。

 遊びに出ると、以前は、広っぱで、野球をしたりできたのだが、このような、産廃施設などができると、今度は、鬼ごっこなどに走るしかなかったのだ。

 鬼ごっこというと、どうしても、他では場所がなく、

「ちょうどいいところがあるじゃないか」

 ということで、産廃工場で鬼ごっこをするという習慣ができたのだった。

 その鬼ごっこで遊んでいた子供が、結構危ないことになったりするのは、大人であれば、すぐに分かるというもので、学校の先生や親がある程度、口を酸っぱくして、

「あのあたりで遊んではいけません」

 と言われると、子供というのは、反発したくなるものだった。

「どういうこと?」

 と聞くと、

「あそこは危ないものがいっぱいあるから」

 というだけで、具体的なことは話してくれない。

 大人とすれば、

「何でもいいから、近づかなければいいの」

 と、少々、説明するのが億劫という感じなので、いくら言っても子供には逆効果というわけだ。

 子供としては、

「なぜと聴いても、ハッキリとした理由を言えないということは、理由はハッキリしないんだ」

 ということになり、

「だったら、こっちも気にすることなんかないんだ」

 とばかりに、どんどん、産廃工場への立ち入りで鬼ごっこをするようになったのだ。

 まさか、工場の方も、子供たちが遊びにきているとも思っておらず、そもそもが、他で出たものを、トラックで運びこみ、ここに捨てにくるだけのことなので、そんなに頻繁に大人が出入りしているわけではない。

 午前中くらいに、トラックがひっきりなしにやってくる時間帯があった。子供たちが遊ぶのは夕方くらいなので、ほとんど、ここには誰もいない状態で、子供たちは遊び放題だった。

 大人の方としても、

「作業中に子供が入ってきさえしなければ、危なくない」

 ということになっているので、さほど気にすることもなかった。

 そのため、

「危険だ」

 と口では大人は言っているが、実際には、危険でもなければ、立ち入って、大人に咎められるということもなかった。

 特に、大人が言っているのは、当たり前のことを当たり前に言っているだけであって、別にそれ以上のことはなかったのだ。

 だから、子供の方も、

「なんだ、大したことないじゃないか。大人って何でもかんでも反対するけど、その理由を言えないようなことは、子供としては、無視すればいいんだ」

 ということになるのだろう。

 それを思うと、

「大人の都合で、子供を束縛されてしまうというのは、溜まったものではない」

 と感じるようになっていた。

 これは、悪しきことであり、どこまで大人を信じればいいのか分からないというのは、子供としても、厄介なことではあったのだ。

 だが、

「今回は別に大丈夫だ」

 ということで、完全に油断していただろう。

 大人の方、親や学校の先生としても、その時間が、工場では、稼働時間外ということで、危険性は少ないと判断したのか、それまでのように執拗には言わなくなっていたのだ。

 それがまずかったのか、

「あんな事件が起こった」

 というわけだが、その事件というのが、子供にとって、まさに、

「命の危険にさらされる」

 ということだったのだ。

「大人が気づかないことを子供が気づくわけはない」

 と、子供は思う。

「実際に遊んでいるわけではないので、大人は気づくはずもないので、子供が気づくはずだ」

 ということを、大人も子供も考えていた。

 そうなると、危険が目の前に迫っていたとしても、それはそれで、分かりっこないといってもいいだろう。

 今回の事故がまさにそれだったのだが、今回の事故というのは、

「不可抗力だった」

 といっていいものかどうか、微妙なところではあった。

 ただ、実際に、裁判になり、最後は無罪になったので、結局、曖昧になったといってもいいだろう。

 この事故は、後から考えれば、

「起こるべくして起こった事故」

 といってもよかった。

 むしろ、

「どうして誰も気付かなかったのか?」

 というのが、問題なのかも知れない。

 そんなことを考えていると、その時のことが思い出されてきた。

 まず、あの日は、学校から帰ってきて、

「いつもの時間に、いつものように、まるで判で押したような鬼ごっこが始まった」

 ということであった。

 人数も、メンツもいつもと同じなので、

「何かが起こる」

 という感じではなかった。

 というのも、

「子供たちも、何かが起こるとは思っていなかった」

 ようで、いつもと変わらない、

「鬼ごっこ」

 が始まったのだ。

 鬼ごっこというよりも、これだけ、

「隠れるところが多い」

 ということで、

「鬼ごっこ」

 というよりも、

「かくれんぼ」

 と言った方がいいかも知れない。

 それは、本人にも分かってることであり、だから、

「本当はそれが怖い」

 と思っていたはずだった。

 しかし、大人もそのことを失念していて、失念したことがそのまま起こってしまったということで、大人とすれば、

「悔やんでも悔やみきれない」

 ということであった。

 ただ、しいていえば、死人が出なかったというのは不幸中の幸いで、この事件によって、被った大人側の損害は、実は尋常なものではなかったのだ。

 というのも、そもそもの間違いは、ある意味、

「偶然」

 というものから来ているのであった。

「いつもの時間のいつもの遊び」

 だったはずなのだが、実際には、

「まったく同じ」

 などということがありえるはずもなく、

「大丈夫なのだろうか?」

 という懸念をすべての人が忘れていたわけでもなかっただけに、大人の皆が感じている後悔というのは、その人それぞれだったのだ。

 今回は、

「事故と言っていいのか、事件と言っていいのか?」

 というところが曖昧だった。

 事件だとすれば、

「その責任の所在がどこにあるのか?」

 ということであるが、それが分からないと、

「誰の責任」

 ということで、責任を負う人間を特定できないことになり、そうなると、最終的には、

「事故」

 という形にしかならないだろう。

 それを考えながら、今回の事故を振り返ってみることにしよう。

 一番の間違いとすれば、

「普段はないはずで、あったとしても、本来であれば、カギをかけて捨てなければいけないものだった」

 というものなのだが、捨てた人間とすれば、

「カギなんてもの最初からない」

 ということであった。

 しかし、業者側は、

「捨てるのであれば、カギがないなら、開かないように工夫をして捨てなければいけないという法律、といっても県の条例があるのだから、それに従わなければいけない」

 ということになるのだが、それを分かっていなかったようだ」

 というのが、その理由だった。

 ということになると、なかなか、議論としては、うまくいかない。最終的には裁判ということになるのだった。

 この事件で、問題となったものというのは、冷蔵庫だった。

 その冷蔵庫は、本来なら、ちゃんと閉まった状態で、廃品置き場に置かれていたのだったが、業者にここまで運ばれた時、他のモノと一緒にして、荒々しく運ばれたのだ。

 それはm

「どうせ捨てるものなのだから」

 ということで当たり前のことだったはずで、

「ここに来るまでの間か、この工場で、振り分けられた時、壊れたのかも知れない」

 ということであった。

 実際に、ここに捨てられるものは、カギが壊れているというものなどは、当たり前のごとくであった。

 それらの壊れたものは、他のものと一緒に放置されていいはずではある、そういう意味では、

「決められたること自体、厳しすぎる」

 と思っている人も多かっただろう。

 だか、それも分かっていることであって、

「俺らにとって、そんなに気にすることではなく、気にしないといけないのは、ここの管理者か、自治体の担当なんじゃないか?」

 と、捨てる側の、工場などの人からすればそうなのであろう。

 とはいえ、実際に壊れて扉が開いた状態の冷蔵庫が、たまたまその日、放置されていたのだ。

 子供で、かくれんぼをしているのであれば、身体が入りさえすれば、そこに隠れるのは当たり前のことだ。

 実際に、その子はそこに隠れて、誰かが見つけてくれるのを待っていた。

 しかし、誰も助けにくる気配もなく、ぽかぽかしてしまったことで、子供は眠ってしまった。

 気が付けば扉も閉まっていて、出ることができない。

 時計など持っているわけのなく、しかも真っ暗な冷蔵庫の中、閉じ込められたことで、見えるわけもなかった。

「どうしよう、出れなくなった」

 と、当然のごとく泣きたくなってしまい、大声で泣いてしまった。

 すると、また疲れて眠ってしまったのだが、今度気が付いた時には、扉が開かれていて、自分が助け出されるところだったのだ。

 その時、その子は、

「まるで夢のようだ」

 と思ったのだという。

 しかも、それに気づいたのは、助けられてすぐのことではなかった。

 何日か経ってからのことだったという。

 それがなぜかというと、

「君は、軽い記憶喪失に罹っていたんだよ」

 と医者から言われたのだという。

 なるほど、少年はその時から、しばらく、夢の中にいたような気がするといっている。

 もっといえば、記憶が戻るまでの間の、助けられてからの記憶がなくなっているのだという。

 気が付いたことで、記憶を失っている間に新たに入ってきた記憶が失われたのだ。

 ということは、

「かくれんぼで冷蔵庫の中に隠れてから、記憶が戻るまでの間は、まったく時間を感じない」

 という。

 つまり、数日間が、ポッカリ穴が開いたわけではなく、

「切り取られて、もう一度繋ぎ合わされた」

 という感じになっているのだった。

 それは、当然、本人にとっては寝耳に水だろう。

 まわりも、それを簡単に認めることもできず、

「ああ、そうだったんだ」

 と感じるしかなかったということであった。

 つまりは、医者がいうには、

「君は、軽い記憶喪失になっていて、それまでの記憶を一時的に失ったかたちになったので、そこに新たにできた記憶を書いていたのだが、いずれ戻ってくるはずの記憶によって、記憶が戻った時に、消されてしまったということになったんだよ」

 ということであった。

「じゃあ、短くてよかったということなんですか?」

 と聞くと、

「一概には、そうもいえない。記憶が戻ったからといって、失った記憶が戻った時、それまでに上書きされたものを消さずに、両方覚えているということも普通にあるからね」

 ということであった。

 それらに規則性はないのだという。

「じゃあ、僕の場合は、損だったということでしょうか?」

 と聞くと、

「そんなことはない。一番大切な記憶を失わずに済んだんだからね」

 と医者は言った。

「じゃあ、これでよかったんですか?」

 と聞くと、医者は、

「うん」

 と頷いて、何も言わなかったのだ。


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