第3話 精神疾患

 そんな高校時代には、少し、精神疾患があった。

「躁鬱症の気がありますね」

 と、健康診断で、医師から言われ、

「一度、専門医に見てもらえばいい」

 ということで、紹介状を書いてもらって、診てもらったのだ。

「今のところ、積極的な治療は必要ないですが、もし何か気になることがあれば、私を訪ねてきなさい」

 と先生が言ってくれた。

「若干の、躁鬱症の印象がある」

 ということだったのだ、

 友達がいうには、

「怒りっぽい時がある」

 ということであった。

「意識はないんだけどな」

 というと、

「意識があって、怒りっぽいのだったら、確信犯なんじゃないの?」

 と言われた。

 その時の友達の印象が、どうも、

「他人事のようにしか思えなかった」

 というのだ。

 まるで、自分が、

「何事もお見通しよ」

 と言わんばかりであり、

「友達というものが、これほど薄っぺらいものだということに、初めて気づいたのだった」

 それが、親友というものが現れた時、

「もっと薄っぺらいのではないか?」

 ということを考えた。

 高校生の時から、

「同性の友達」

 あるいは、

「同性の親友」

 などというのは、あてにならないと思っていたことで、いちかのことも、心の底で、疑っていたのだった。

 かと思えば、高校時代に付き合っていた彼がいた。

 彼からの一方的な告白に、折れた形にはなったが、実際に、

「好きだ」

 と言われて、嫌な気がするわけもない。

 彼は完全に、M性格だった。

 治子がいうことに対して、一切逆らうことはない。治子が、いうことには、完全に服従している形だったが、そんな彼がいてくれることが嬉しいというわけではなかった。

「私、自由がいいの。だから自由にさせて」

 というと、彼は何も言わずに、従ってくれる。

 最初はいろいろと話をしたはずなのに、途中から、何も言わなくなって、治子のいう通りの、言いなりになっていた。

「どうして、何も言わないのかしら?」

 と思うのだが、彼に甘えているのか、何も言おうとしない彼を、まるで自分の奴隷であるかのようにしたがえているのだった。

 そんな中で、彼氏という存在を隠していたわけではないのだが、その彼氏をまわりが見ていて、

「まるで石ころのような存在なんだわ」

 という。

 というのは、

「石ころというのは、目の前に見えているのに、意識をさせない」

 というそんな存在だというのである。

 だから、彼がそこにいても、ただいるというだけで意識をさせない。

「もし、治子がそこにいなかったら、どうだろう?」

 と考えるが、

「いなかったらいなかったで、意識はしない存在なのかも知れない」

 というのだった。

 となると、彼という存在は、まったくないかのようだが、そうではない。

 ちゃんとそない存在している。

 つまりは、

「彼氏としては存在せず、彼ということでは存在してるのだ」

ということであった。

「治子と一緒にいると、重荷なんだよな」

 と言われたことを思い出した。

 それが、付き合っていたその時の、彼にであった。

 その一言を言われた時、治子は、その男性のことをまともに見ることができなくなった。声は聞こえているようなのだが、その存在を認めることができない。

「俺って、そんなに鬱陶しいのかよ?」

 と言われるのだ。

 何が鬱陶しいというわけではない。

「あなたが、あの時、私を重荷だと言ったことが、私にとって、苦しいだけなの」

 と言いたいのだが、その言葉が出てこないのだった。

「重荷って何なのよ? そもそも、付き合ってほしいって言ってきたのは、そっちからじゃないの」

 と言いたいのだが、治子の中で、

「それをいうと、この付き合いが、自分からの押し付けになってしまうということで、自分が苦しいのだった」

 と考えるのだ。

 重荷という言葉を聴くと、その時の気持ちがよみがえってきて、怒りがこみあげてくるのだが、それ以上に、

「精神疾患になったのは、あなたが原因なのよ」

 と言いたいが言えない苦しみを抱えているのだった。

 何がつらいといって、

「そのことを分かってくれる人がいない」

 ということだった。

 友達に話をしても、

「相手は男なんだから、男の立場もあるしね」

 と相手を、意味の分からずに擁護してみたり、

「確かにあなたは、相手の重荷になっているわ」

 と、その内情も分からないのに、言葉だけを切り取って、話をしようとする人間。

「いやいや、とにかくあんたが面倒臭いだけよ」

 とばかりに、すべてを投げやりにして、結果の責任を一切引き受けようとしない人。

 そんな連中ばかりが、自分のまわりにはいない気がして、

「これなら、孤立の方がいいわ」

 とばかりに感じる人もいる。

 きっと、高校時代の彼も、最後に近かったのだろう。

 一緒にいて、楽しい時期もあっただろうし、前を見ていけるとも感じたかも知れないが、それが難しいと感じた時、

「もう、これ以上先を、この人と見ていてはいけない」

 とでも感じたのだろう。

 一度、

「面倒くさい」

 と感じると、

「せっかく一緒に、いろいろ乗り越えたいと思っていたとしても、最後には、面倒臭いだけで、何もできなくなる」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「重荷という言葉が、どこからやってくるのだろう?」

 と感じるのだった。

「自分が相手を重荷だと考えられれば、相当楽だったはずなのに」

 と考える。

 それだけ、自分が、重荷と考えていることが、自分にとっての、ストレスであったり、逃れられない苦悩であったりするのではないだろうか?

「重荷という言葉で、何でも片付けられるということであるならば、これ以上楽なことというのはないだろう」

 ということであった。


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