第22話


 自分が自分でなくなるみたいな感覚に、アザリアはぎゅっと目を瞑り、彼の肩を強く押す。



「これいじょうは、………こわれ、ちゃう………………、」



 涙がたまる瞳で見上げた際の彼は、呆然としていた。

 けれど、だんだんと顔を赤く染め、そして宙を仰いだ。



「やばい。リアが可愛すぎてシニソウ………、」


「はぃ!?」



 言いながらキスを落としてくる彼に目を白黒させながら、アザリアはあまりの状況に首を傾げた。

 そもそも、何故彼はアザリアのお部屋にいるのだろうか。



「ここ、わたくしのお部屋ですわよね?」


「そもそもここ、俺の管轄内の空間だよ?

 俺が勝手に入ろうとも誰も怒らないよ」


「いや、それはそうですが………、」



 今までこのようなことなかった。



「………昨日王妃のところに行ったって聞いて、………僕から離れるんじゃないかって………………」



 僅かに幼さを感じさせる言葉に、表情に、アザリアは頬を緩めた。



「大丈夫ですわ。

 わたくし、まだ報酬をもらっていないから死ねませんもの」


 金の亡者と言われようとも関係ない。

 アザリアは、お金を稼ぎ自らを美しく磨き上げるために生きているのだから。


 暗殺者の一生は退屈で、孤独で、窮屈だ。

 吹けば飛ぶような軽さの命の中で、生きたい!と思い続けるためにはそれなりの人生目標のようなものを必要とする。


 アザリアにとっては、それが“お金”と“美”であっただけ。



「………この件に関して思うところが全くないと言えば嘘になるわ」



 彼のサファイアのような瞳を真っ向から見つめたアザリアは、困ったように微笑む。



「けれど、わたくしは承った依頼を途中で放棄したりしない。暗殺姫アザリアの名に傷をつけることなんて絶対にしない。

 それが、わたくしが自らに課したルールだから」


 アザリアは暗殺という業界に足を踏み入れる際、絶対不可侵のルールを作った。


 そのうちの1つが、信頼を失わないことだ。

 だから、アザリアは何が何でもどんなに汚い手を使ってでも、依頼を必ず達成する。

 たとえどんな不幸や絶望に苛まれることになろうとも、アザリアがこの絶対不可侵の領域に足を踏み入れることは絶対にない。


 もしこの領域に足を踏み入れることになるとすれば、それは暗殺姫アザリアの死を意味する。



「そっ、か………、」


「えぇ、そうですわ。だから心配には及びません」



 時計を確認し、第1王子とのお茶会の時間までまだ僅かに余裕があることを確認したアザリアは、途端に自らがまとう空気を変容させる。

 それは暗殺者としての姿であり、獲物を捉える圧倒的強者の姿だ。


 けれど、それはアザリアだけが持つ姿ではない。

 アザリアの空気が変わった瞬間、王子の空気もまた変容していた。お互いに1歩も譲らぬ姿勢となるのにかかった時間は僅か1秒にも満たない。


 一方は裏社会の女王として君臨し、もう一方は表社会に裏の王として君臨する人間だ。

 あっという間に感情と役割を切り替えるくらいの能力は持ち合わせている。



「あなた、今も昔もずっと側近がいないそうね」


「———………」


「あら、だんまり?わたくし時間がないからぱっぱと質問に答えて欲しいの」


「………今も昔も表に側近がいないのは事実だ。

 これでも俺は第2王子だぞ?母の実家の家格が低いとはいえ秘密裏に裏の側近を作るくらいのことは可能だ」



 そのサファイアの瞳には嘘のカケラが流れていない。


 けれど、アザリアは警戒を怠ることができない。

 何故なら、アザリアはもう何度も彼の嘘に惑わされている。彼の用意周到さに、圧倒的実力に、何度も何度も辛酸を舐めさせられてきている。



(もう、騙されてなんてあげない)

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