第5話
毒入りと知っていてなおやみつきになってしまうクッキーを口の中に頬張りながら、わずかに頬がピリッとする感覚にアザリアはほんのちょっとだけ不本意そうにする。
「俺、売られた喧嘩は買う主義だから」
にっこりと笑う彼に、アザリアはお菓子の横に置いてあったティースプーンを彼の目に目掛けて、思いっきり投擲する。
お茶に軽い毒を盛ったぐらいで寵妃に対してこの仕打ちとは、本当に薄情な男だ。
「うん、やっぱり無駄が多いね。
肩の力をもう少し抜いて………、そう、上手。勢いは上半身の僅かな捻りを利用するともっとやりやすくなる。
スピード重視の君の攻撃は確かに本来の君のやり方ならば十分に通用するし、その方が今教えている投げ方よりもメリットが大きい。
けれど、今みたいに白昼堂々とする暗殺であれば、今教えた投げ方の方が通用しやすい。
あと、ナイフは定期的に買い替えること。君が使ってる型のナイフは今あまり使われていないから、足がつきやすくなる」
王子の長い長い説教に、アザリアはむぅっとくちびるを尖らせる。
「投擲のアドバイスは喜んで頂戴いたしますが、ナイフの買い替えはしません。わたくし、このナイフを大変気に入っておりますの。手放す気にも、他の武器を使う気にもなれませんわ」
アザリアはしっかりと研ぎ、磨き上げたナイフの刃をなぞり、すっと伏し目になって脱力したように壁に寄りかかる。
「あれ?お菓子の時間の運動はもうおしまい?」
「えぇ。………興醒めですわ」
アザリアの言葉に、声に、王子は優雅な足取りでアザリアの元にやってきた。
「———じゃあ、ここからは俺の好きにするよ」
ペロっと自らのくちびるをゆっくりと舐め上げた王子は、武器をしまったアザリアを壊れもののようにぎゅっと抱きしめる。
首元の匂いを嗅がれるとくすぐったくて身を捩りそうになるが、ここでよじるとあとあと痛い目に遭うことを重々理解しているアザリアは、できるだけ動かないように我慢する。
ピクピクと指先が震え、「ふぁうっ、」という意味のない声をあげてしまうのは仕方がない。
今日も、今この瞬間も、溺愛王子はアザリアに甘い。
暗殺者には平穏な人生なんて望めないし、ありえない。
あるのはどこまでも孤独でつまらなくて、血を浴びる日々だけ。だからだろうか、アザリアは最近この生活が永遠に続けばいいのにと柄にもないことを思い、願ってしまう。
(………はやく、殺さなくちゃ)
昨日、アザリアの元にハンドラーから催促状が届いた。
アザリアの暗殺者としての信頼は、今この瞬間も第2王子アルフォード・クライシスを殺せないせいで失墜し続けている。
背中に回された手の大きさに、力強さに、アザリアはぎゅっとくちびるを噛み締める。
(冷酷であれ。
無慈悲であれ。
残酷であれ。
———すべては無機質な人形であると思え)
己に何度も言い聞かせているのに、アザリアの手は彼の背中に回ろうとしている。
———がんっ!!
いきなり大きな音を立てて、執務室の扉が開け放たれる。
咄嗟に王子のことを思いっきり押して彼とは別の場所に立ったアザリアは、扉を開けて入ってきた人物に僅かながらに驚いた。
第2王子アルフォードと同じ金髪に、アルフォードよりも淡い青色の瞳を持つ美丈夫。
仕草自体はいちいち幼くて、無邪気で、子供っぽいが、名乗ってもらわなくてもわかる。
(セオドール・クライシス。
クライシス王国第1王子にして、愚王子と名高い正妃の息子であり、王太子候補………)
「アルフォード!!貴様っ、今日も僕に仕事を押し付けたなぁ!!」
「いや、あれはお前の仕事だろ」
第1王子はビシッと指を指してカッコつけているつもりかもしれないが、正直に言って見苦しい。
というか、ここ3ヶ月見ていて思ったのだが、第1王子は本当にお仕事をしていない。
アザリアはこの第1王子が王になることに心の底から不安を抱えていた。
周囲が優秀ならば問題ないと言われればそうなのかもしれないが、この男は自らに都合がいい人間だけをそばに置いている。
それどころか、自分に苦言を呈する優秀な臣下を全て解雇しているようだ。
しかも、その解雇された臣下全てが第2王子の臣下となっているのだから、もう救いようがない気がする。
「じゃあ!仕事置いていくからな!!」
(この国の未来に憂いしかないわ………)
今日も今日とてわんわんと喚いた第1王子によって、第2王子の執務室の机の上はいっぱいいっぱいになる。
逃げるように去っていった第1王子のせいで、不憫な第2王子はいつもものすごい量の仕事を抱えてしまっている。
というか、よくよく見てみると国王の仕事も混ざっている気がするのだが………。
(父が父なら子も子とはよく言ったものね)
バリバリと働く第2王子を横目に、アザリアはさりげなく溜め息を吐く。
現国王は傀儡王と有名だ。
けれど、彼は我儘放題な人間ではなく、人の話を信じやすい純粋な人間ということで傀儡になってしまっている。
そもそも彼は、自らに政治的な能力がないと理解して向いている人間に自らの仕事を押し付けているのだから、まだマシかもしれない。
(………第2王子が王になれば………、いいえ、彼はわたくしが殺す。そして第1王子を王にする)
暗くなり始めた室内に灯りを灯しながら、アザリアの心は炎のようにふわりふわりと揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます