第4話


 気がつけば、彼を殺しにきてから3ヶ月が経っていた。

 アザリアは今日も彼の執務室で執務のお手伝いをしながら、彼を殺す機会を伺い続けている。

 朝耳元で囁かれた『掌の上で踊れ』という言葉は完全に無視し、彼の想定外を目指しているなんて、誰にいうものか。


(でも、———全く隙がないのよね………。

 3ヶ月間も張り付いているのに収穫ゼロとか、暗殺者として自信を無くしてしまうわ)


 国家機密しかないと言っても過言ではない書類に塗れながら、アザリアはそっとため息をこぼす。なんだか国の中枢に潜り込みすぎている気がしてならない。これ以上は危険だと理性が警鐘を鳴らすのにも関わらず、暗殺者としての己が、暗殺者としてのプライドが、それを許してはくれない。


(なんとしてでも籠絡して殺して見せるわ。史上最高の暗殺者アサシンアザリアの名にかけて)


 休憩用に淹れたお茶の中に通常の10倍に強めた惚れ薬を、規定量の3倍ほどドバドバっと入れたアザリアは、何事もなかったかのようにそのお茶を王子の前に置いておく。飲んでくれるかはさておき、飲めば十中八九アザリアに惚れて死んでくれることだろう。

 あわよくば強すぎる惚れ薬で死んでくれてもいいが、それはほとんどの確率で起こらない。

 彼はあまりも毒への耐性が強すぎるからだ。


 アザリアは壁に山積みになっている書籍を整理しながら、そっとため息を落とす。

 本当に、何故こんな不可能任務を受けてしまったのだろうか。

 3ヶ月前に戻れるのならば、今のアザリアは間違いなくそんな馬鹿げた任務は絶対に受けるなと己を殺してでも止める。



「リア、茶菓子を用意させておいたから、休憩においで」


 アザリアがお茶を淹れてからしばらく経った頃、王子から声がかかった。

 律儀にもアザリアが彼に淹れたお茶は飲み干されているのに、彼は全く持ってアザリアに惚れていない。


 若干の諦めを込めて溜め息をついたアザリアは、サクッと彼が用意してくれたらしいクッキーを頬張る。



(………ムカつくぐらい美味しい………………、)



 しっとりとバターの香るクッキーは、ふっくらと焼き上がっていて、あまりの美味しさにほっぺたが落ちそうになってしまう。


 アザリアは暗殺者だ。

 影に潜み、影に生きるもの。


 だからこそ、普段は食べるものや身につけるものに殊更気を使っている。

 香辛料が効いた料理など香りの強いものは絶対に口にしないし、身体を洗うシャンプーや服に使う洗剤も無臭のものを選択している。


 けれど、例外というものは存在している。


 それは任務中のことを指す。

 任務中は相手に合わせ、自由に食事を取れる。


 表の任務であれば香りがつくことを嫌がる必要もないし、香水を使うことだってできる。


 アザリアはそういう任務が好きだ。


 相手が絶対的に気を緩める瞬間まで気ままに生活して、相手が衣服を緩め、気を緩めるその瞬間にサクッと殺してしまう。



 あぁ、なんて楽なお仕事なのだろうか。



 今回の王子暗殺もそういう分類のお仕事だ。



 ………殺せてはいないけれど。



「ははっ、クッキーがそんなに気に入ったの?」


「えぇ、とっても。これで毒入りじゃなかったらもっと素敵なのですけれど………」



 アザリアが艶やかに微笑むと、王子はうっそりと幸せそうな顔をした。

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