2ー50 戦いが終わって

「レオ……」

 ベッドに横たわる親友に、ジュールは心配を隠せなかった。魔法使いは全身に巡る魔力で一般人より頑強で、回復も早いのが救いとはいえ、戦いに間に合わなかったのが悔やまれてならない。

「そンな顔すンなって言ったろ。大丈夫だっつーの」

 体中傷だらけなのに、いつも通りの明るい声に、ジュールの方が泣きそうになる。


「痛くないの?」

「痛いに決まってンだろ」

 真顔で答えてから、レオは笑った。

「痛いけど、薬効いてるから。大丈夫大丈夫」

「うん……」


「でも、悪りぃ。薬のせいか、眠くなってきちまった。オレ、ちょっと寝るわ」

 レオは明かりが眩しいのか、腕で目を覆った。

「じゃあ、ボク、他の人の様子見てくるから。ゆっくり休んで」

 天幕を出ていくジュールに、レオは片手をヒラヒラ振る。


「くっ、そ……」 

 一人っきりになった途端、込み上げる嗚咽を我慢できなかった。

 決して、油断したわけではない。

 侮ったわけでも、気を抜いたわけでもなかった。リュカに気合いを入れてもらったのだ。

 それでもやられた。


 無様な姿を晒した。

 戦力にならなかった。

 足手纏いだった。

「カッコ悪りー……」

 噛み締めた奥歯の隙間から、弱々しい声が漏れる。


「チクショウッ!」

 ダン、と拳をベットに叩きつけた。






 治療を終えた魔法使いは、野営地で各々休息を取っていた。

 リュカもベンチに座ってお茶を飲んでいるが、本当は酒が飲みたいところである。

 シモンやレオを除けばリュカが一番負傷していたが、慣れたもので、本人はケロッとしている。


 向かいのベンチに座るディアとリーズも治療を終え、今は言葉少なだった。

「オレが言うのもあれだけど、フレデリクさん、いい男だろう? 魔法使いの中の魔法使いっていうかさ」

 少し離れた所で騎士と話すフレデリクをぼんやりと眺めているリーズに、沈黙に耐えられないリュカが無駄口を叩く。

「見惚れるのもわかるよ。やっぱカッコいいよな。もしかして惚れちゃったか? なーんて……」


 傾けたコップが、不自然な角度で止まった。

 唐突に途切れた語尾が、夜を彷徨い、桜色に染まった頬に辿り着く。

「え……」

 リュカのみならず、ディアまでもコップを落としかけた。


(やってしまった……!)


 リュカが自分の迂闊さに気付いた時には、後の祭りである。

「あ、えと、冗談! 冗談だから!」

 取り繕ったところで、もう遅い。

 リーズはキッと、リュカを睨みつけた。

「リュカさん! おじさんくさい!」


 まさかの反撃に、三十代目前の男はガーンと大ダメージを受ける。

「お、おじ……おじさんくさい……」

 なまじ童顔で若く見られるだけに、言われ慣れない罵りに深く傷付いた。魔者に受けた傷より、心が痛む。

「おじさんくさい……」

 何故かエコーまでかかって重くのしかかってくる一言に、敢えなく撃沈した。


「……え? オレ、オッサンなの? いやいや、まだ若いよ。腹だって出てないし、肌もピチピチだよ?」

 打ちひしがれるリュカを残し、リーズはさっさと立ち去ってしまう。

「リーズー、待ってよー」

 リュカにちょこんと頭を下げ、ディアがリーズを追いかけた。


 逃げるようなリーズの後ろ姿に、リュカが激しく後悔する。

 触れてはいけない乙女の秘密に、土足で踏み込んだのだ。大人の男として最低である。

(ああああああぁぁぁ、オレのバカ!)

 リュカが己の軽口を反省したのは、言うまでもなかった。






「花ちゃん、知ってるのかな」

 湖に浮かぶ黒城を見ながら、ロワメールが呟いた。

 湖畔の篝火に照らされ、黒城は夜の闇の中に暗く浮かび上がっている。湖周辺の民家には、まだ明かりはついていない。住民の避難命令解除はこれからだった。


「知らない、というのはありえないな」

 セツも前を向いたまま、低く答える。

 ここは花緑青の支配する島だ。この島で魔者があれだけ派手に動いて、魔主である花緑青が気付かぬはずはない。

「そう、だよね……」

 それは花緑青の差し金か、もしくは見て見ぬふりをした、ということだ。ロワメールにはショックなことだった。


「ただ、あの魔者はこの島の魔族じゃない」

 俯いていたロワメールが、驚いて顔を上げる。

「どういうこと?」

「あいつ、黒い髪に薄灰色の目だったろ? この島の魔族なら、どこかしらに緑を持っているはずなんだ。花は緑の魔主だから」


 辺りには誰もいない。騎士は忙しく動き回り、魔法使いは治療を受けている。

 そもそも王子とマスターの会話を邪魔する不届き者はいなかった。


「島によって、魔族の色が違うってこと?」

 コウサに行く時、街道で襲ってきた魔獣は、緑の目だった。

 そしてこの島の魔主は緑の髪に、緑の瞳だ。


「そうだ。魔族は己が王と仰ぐ魔主の色を、その身に宿している」

「セツ、それ、情報の開示を請求します」

 堅苦しい言い方に、セツが笑う。


「俺も、全島の色は知らないんだ。カイエの白、ホクトの紫、ユフの緑に、ユーゴの金、ヨコクの青、そしてココノエの赤」

「つまりトウカかキキの魔主は、黒か灰色。そしてあの魔者はそのどちらかの魔族、ってことだね」

 ロワメールは、皇八島の地図を思い描いた。


「ああ。しかし魔族は、魔主により明確に領土分けがされている。だから今回のように、他所の島の魔族が、別の島に侵入するのは本来ありえないんだ」

 異常事態が起こったということだ。


「どうしてそんなことが……」

「現時点ではなんとも。考えうる可能性として、一番穏便な理由は、今回の魔者の単独犯。一番剣呑な理由は、トウカかキキの魔主が、花に喧嘩を売った」

 最悪の場合、ニ島の魔族の全面戦争である。そうなれば、人間もただではすまない。

 ロワメールが顔色を失った。


「そして一番厄介な理由は、花になにかあった、だ」

「………!」

「ま、あの花に、なにかあったとは思えんがな。あいつ、自分は最古の王の一人で、最強だとかほざいてたから」

 物騒な話題の割に、セツに緊迫感が欠けている根拠がそれか。色違いの瞳が目を瞠る。

「花ちゃんって、そんなにすごいの?」

「自称な」

 どこまで信じているのか、セツは掴みどころのない笑みを浮かべる。


「花は好奇心旺盛だが、血の気は多くない。力より、対話で解決を望む奴だ。それにいざとなったら、俺がなんとかするから心配するな」

 ポン、と銀の髪に手が置かれた。

 これから皇八島に、とんでもない災禍が訪れるかもしれない。それでもセツの隣は、ロワメールにとって無条件に安心できる場所だった。

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