2ー40 湖上の黒城9 三階 普段大人しい子ほど……

 檻から少し歩いた所で、ロワメールとジュールは足を止める。二人は無言で神経を研ぎ澄ました。

 足元で感じる振動は破壊音を伴い、どんどん大きくなっている。

 ドォン、ドドォンッと轟音を響かせ、謎の地響きは真っ直ぐこちらに向かっているようだった。


「に、逃げましょう!」

 ダニエルが震えながら叫ぶ。

 明らかになにかヤバいものが近付いてくる気配に、ジュールもロワメールに避難を促した。

「殿下、ここは危険です! 退避を!」


 この黒城は魔者の領域。なにが起こるかわからない。

 けれど切迫した状況であるにもかかわらず、ロワメールは動こうとはしなかった。

「……これ、たぶんセツだ」

 ジュールだけでなく、ダニエルも足を止めて振り返る。三級といえど魔法使いだ。どれだけ恐ろしくとも、ノンカドーである王子を置いて逃げたりはしなかった。


「何故、そう思うんですか?」

「わかんない。でも」

 爆音との距離を測りながら、ジュールがロワメールを背後に庇った。目線で頷き、ダニエルが退路を確保する。

「確実でないなら、留まってはいけません! 退避を!」

「でも、セツだよ」


 ジュールは、それ以上の説得は諦める。押し問答をしている時間はなかったし、なにより、逃げたところでもう間に合わない。

 不気味に部屋を揺るがす振動が、目前に迫っていた。

 ジュールが呪文の詠唱を開始する。


(命にかえても、殿下は守る!)


 ピシリッと、突き当りになっていた前方の壁にヒビが入った。次の瞬間、ガラガラガラッ! と壁が崩れ落ちる。

 ロワメールが、ジュールの背後から飛び出した。

 詠唱中のジュールは、反応が遅れる。

 伸ばした手はロワメールに届かず、空を掴んだ。


「殿下あああああぁぁぁっ!!!」


 絶望に満ちた叫びは、崩れ落ちる瓦礫の音に掻き消された――。






 もうもうと砂塵が舞う中に、うっすらと人影が浮かぶ。

「ロワメール! 無事か!?」

 その声を聞いた途端、ジュールはぺたりと地面に座り込み、ダニエルは壁にもたれて冷や汗を拭った。


「セツ!」

 ロワメールはパッと花が咲いたような笑顔で、黒いローブに駆け寄った。魔剣を鞘に収め、瓦礫の山を踏み越える。

「怪我はないか?」

 セツは立ち込める土煙を風魔法で一掃し、ロワメールの無傷を確認した。

「うん! 大丈夫!」

 元気そうなロワメールの姿に、セツは安堵の息を吐く。


「まったく、どれだけ心配したと……」

「ごめんね。でも、今回はぼくのせいじゃないよ?」

「ああ、わかってる。お前をこんな危険に巻き込んだ奴には、責任を取らせる」

 その台詞に含まれたヒヤリとした冷気に、ロワメールの背筋に震えが走った。

(あ……セツ、怒ってる……)

 しかも、ただ怒ってるわけではない。すごく怒っている。


「はぐれた時は、ウロチョロするな。最短距離で来るつもりだったのに、何度も軌道を修正して時間がかかった」

「セツを探してたんだよ。それに、魔獣もいたし……」

 その一言に、セツの目が吊り上がった。

「魔獣!? お前、また無茶したのか!?」

「違うよ! ジュールもいたし!」

 慌てて言い訳する。あの場合は戦うしかなかったわけだが、これ以上セツを怒らせたくない。


 ロワメールが後ろを振り返れば、ジュールがゆらりと立ち上がるところだった。

「どうして……」

 俯いたままのジュールから、地を這うような低い声が聞こえる。


「ジュール……?」

「どうして、安全が確認されてないのに飛び出したんですか!?」

 明るい水色の瞳が、キッとロワメールを睨みつけた。

「だ、だってセツだったから……」

 見たこともないジュールの剣幕に、ロワメールが押され気味に弁明する。


「ボク、守るって言いましたよね!? それなのにあんな風に飛び出されたら、守ることもできない!」

 仁王立ちのまま、憤怒の形相のジュールに、ロワメールもセツも固まった。

「もしマスターじゃなかったら! もし魔者だったら! どうなっていたか、わかっているんですか!?」

「で、でも、だから、セツだって思ったから……」

「思ったから? なんの確証もないのに、そう思ったから、という理由で、あんな危険な真似をしたと……?」

「あ、あの、ジュール……」

 怒り心頭のジュールに、ロワメールはしどろもどろだ。


「ご自分のお立場を、まさかお忘れではないですよね? 貴方はロワメール・アン・ラギ。皇八島の第二王子です! 軽率な行動はお控えください! もし殿下になにかあれば……ボクがどんな思いをすると……っ」 

 ジュールの声が震える。


 契約をしたわけではない。

 忠誠を誓ったわけでもない。

 それでもこの方を守りたいと思ったから。


 唇を固く引き結び、今にも泣き出しそうなジュールに、ロワメールはなんの弁解もできなくなった。

「ボクの気持ちはどうでもいいです。この状況で、安全を確認せず飛び出すことがどれだけ危険か、お考えください! もし魔者だったら、殿下のお命はなかったんですよ!」

「ご、ごめんなさい」

「もう二度と軽はずみな行動はお控えください! わかりましたね!? 返事は!?」

「う、うん」


 二人のやりとりで、ここまでの経過をセツは理解する。

「すまなかったな。俺のせいで要らぬ不安を与えて」

「マスターのせいでは……」

「俺が来るまで、よくやってくれた。ありがとう」

 亜麻色の髪をフワリと撫でられ、ジュールはみるみる真っ赤になる。


「……ぼくと全然違うくない?」

 その一部始終を目撃し、納得いかないのは王子様だった。

 ロワメールにはあれほど怒りまくったのに諸悪の根源には従順極まりないとか、不公平ではないか。


 むすりとした半眼を向けられ、ジュールは狼狽えた。しかしあろうことか、そこで開き直ったのである。

「殿下は殿下! マスターはマスター!」

「……なにそれ」

 そんな、「うちはうち、よそはよそ」みたいなノリで言われ、ロワメールが堪らず吹き出す。それに釣られ、ジュールも笑い出した。


 いつの間にか仲良くなってる二人に、セツもアイスブルーの目を細める。そんなセツの視界の端で、見知った色が過ぎった。

 亜麻色の髪は視線に勘付き、すぐに引っ込んでしまったが、あれは。


「マスター?」

「どうしたの?」

 奥の部屋を見つめるセツに、ジュールとロワメールが交互に尋ねる。

「いや……」

 セツは言葉を濁して、首を振った。


「ここにお前達だけ残せない。ついて来い」

 城の上層階を、セツは見据える。


「もう戦闘が始まってる」

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