2ー38 湖上の黒城7 三階 いい加減長男

 シノンの別邸でウトウトと微睡んでいたジスランは、師匠アナイスからの使者に叩き起こされた。

「魔者が現れたので討伐隊に加わるように、との炎司からの命令だ」

「マスターがいるだろう? おれが行く必要はないさ」


 あくびを噛み殺しながら、再びだらしなくソファに寝転がろうとするジスランに、ギルド職員ベンジャミンは舌打ちした。

 この非常事態にすら惰眠を貪ろうとするジスランに、盛大に嘆いてみせる。


「それでも魔法使いか! 一級の金ボタンが泣くぞ!」

「安心しろ。金ボタンに感情はないし、泣くなんて機能もない」

「比喩だよ!」

「知ってるよ」

 なにを言ってものれんに腕押しなジスランに、ベンジャミンは地団駄を踏む。


「なんでエマもミラもポーラも、こんな奴のファンなんだ!? なんでフラれる時の台詞が、私、ジスランのファンだから、なんだ!?」

 個人的な恨みがだだ漏れているが、毎度のことなのでジスランは知らんぷりだ。


「ちょっと凄い魔法使いだからって! ちょっと金持ちだからって! ちょぉっっっっっと顔がいいからってー!!」

 何度目になるかわからぬ雄叫びには、悲哀がこもっている。

「魔法使いのくせに顔がいいとか、なんなんだよ! 魔法使いってだけでカッコいいのに、顔まで良い必要ねーだろ!」


 理不尽な怒りだが、最後は決まって言うのだ。

「オレだって魔力があれば、魔法使いになってたわ! ちくしょう!」

 ベンジャミンの魔法使いへの憧れは半端なかった。魔力もないのに就職先は魔法使いギルド一択である。ギルド職員の洒落た黒い制服を着ることが、ベンジャミンの日々の慰めであった。


「気が済んだか? なら帰れ。おれは寝る」

「おう、またな! ……じゃねーわ!」

 律儀にノリツッコミを返すベンジャミンだったが、優秀な事務方は本来の用件を忘れてはいなかった。


「魔者が出たんだよ、ソウワ湖に! 出動命令出てるっつってるだろーが!」

「マスターほどの使い手が出向くのに、おれたちが行けば足手纏いになるだけだ」

 ジスランは長い足を持て余し、ソファの肘掛けに放り出す。ゴロリと寝転がるが、その目だけは怜悧にベンジャミンを見上げた。

「それともなにか、マスターに引率でもさせるつもりか?」

 まるで見ていたかのように司の心算を見抜くジスランに、いつものことながらベンジャミンは舌を巻く。

「……司の決定だ。マスターは、覚悟のある奴だけついて来いって」


 ジスランは、司の魂胆が気に入らないようだった。マスターへの敬意か、単なるものぐさか。……たぶん後者だろう。

「とにかく、炎司の命令なんだから起きろ! 師匠にまた怒られるぞ!」

 ジスランは渋面だが、重い腰が起き上がる気配はなかった。やれやれと、ベンジャミンは切り札を出す。


「いいのか? ジュールは討伐隊に参加してるぞ」

 その一言にジスランは飛び起きた。

「早く言え!」

 ジスランの周りで一緒に昼寝をしていたネコたちが、慌てて逃げていく。


「妹弟思いの良い兄貴だ」

 日頃のぐうたらさが嘘のような素早い身のこなしでソウワ湖に向かうジスランを見送り、ベンジャミンは満足そうにウンウンと頷いた。


 




 魔獣を倒すのは、魔法使いの義務。魔者を倒すのは、一級魔法使いの責任。


 魔者が現れれば、戦闘職の一級は全員討伐に駆り出される。そこに命の保証はなかった。

 それは、ジスランもわかっている。

(魔法使いとはそういうものだ。しかし……)


 ジスランは大股で城の中を進んだ。司の決定が気に入らず、苛立ちを隠せなかった。

(だからって、魔法学校を卒業してまだ五ヶ月の新人に、魔者討伐は荷が重すぎる。ギルドの人材不足も深刻だな)

 背後から飛びかかってくる魔獣の群れを、流れるような炎で蹴散らす。


(マスターの監督下なら、安全とでも考えたのか)

 こんな大きな城、いかにマスターといえど全域をカバーするのは無理だった。絶対に死角ができる。

(下手をしたら人死が出るぞ)

 端正な横顔に険しさが増した。


 妹のジルは、本部で指揮を取っている。魔族に対して鉄壁の要塞とも言える本部内なら、妹の身は安全だ。

 逆に司であるが故に弟を特別扱いできず、ジュールの身を案じてやきもきしているはずだった。

 妹の分も、ジスランが弟を守らねばならない。


 ソウワ湖に到着した途端に城内へ転移させられ、弟と合流する暇もなかったが、感知魔法で居場所は確認している。

「無事でいろ、ジュール……!」






(困った……)

 ジュールを見つけたはいいが、出られない。

 盗み聞きするつもりはなかったが、聞こえてきた弟の言葉に動けなくなってしまった。


「ボクなんかが、魔法使いでいいのかなって」

 壁にもたれ、弱々しい弟の声を聞く。

(ずっと、悩んでいたのか……)


 レオールの家に生まれ、ジスランもジルも、魔法使いになることに疑問は感じなかったが、ジュールが兄姉と同じとは限らない。

 ジルに似て真面目だが、もっと要領の良い子だと思っていた。


「ぼくが見る限り、君は魔法使いに向いていると思うけど?」

 出ていけないジスランに代わり、王子がジュールと向き合ってくれている。

(……王子、案外良い奴だな)

 ジュールからはマスターと王子の話題がよく上がり、その口ぶりから、ずいぶん好意を寄せているのは感じられていた。ジュールと話す王子の姿も、同年代の友人そのものだった。


「ジュール!」

 王子の鋭い声に、ジスランは我に返る。

 魔獣だ。

 すかさず飛び出そうとしたが、目に映った弟の表情に二の足を踏む。


「背中を預かります」

「――任せたよ、魔法使い」

 王子と背中合わせに戦う覚悟を決めた弟は、迷いが吹っ切れた顔をしていた。

 完全に出ていきそびれたが、まあいい。逆に、ジスランが出ては無粋である。


 ここから見守りながら、危なくなればこっそり手を貸せばいい。王子に万が一があれば、ギルドの信用は失墜するが。

(ジュールの友達なら、王子もまとめて守ってやるしかあるまい)


 優等生な妹弟と比べられ、『いい加減長男』と親族には陰口を叩かれるが、ジスランにとって長男が果たすべき義務とは、妹弟を守ることだけである。

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