7 瞳の奥の刃

「ロワメール」

 横を向いたまま、セツはロワメールを見ようとはしなかった。

 けれど、その声にこれまでとは違う響きを感じ取り、ロワメールは表情を改める。


「はい」

 答えても、堅い横顔で続ける。

「お前は、俺の……マスターの役目がなにか、知っているのか?」


「……はい」

 しばらくの躊躇の後、だが、ロワメールははっきりと肯定した。

「ぼくなりに、理解しているつもりです」


 王子となり、王宮に上がり、初めて知ったマスターの二つ名――魔法使い殺し。

 それは、裏切り者には死を、というギルドの絶対の掟に由来する。


「ぼくはもう、子供じゃない」

 全てを承知の上で、ここにいる。

 アイスブルーの目に見つめられても、目を逸らさず、真っ直ぐに見つめ返した。


 五年前、セツは一度もその名を口にしなかった。子どもに聞かせる話ではないと配慮したのか、それともセツ自身、その名を告げることに躊躇ったのか。

 しかし今のロワメールは、その言葉の意味も、セツが背負う重責もわかっている。 

 知った以上、聞かなかったことにする気はなかった。


 アイスブルーの目に、葛藤が浮かんでは消える。

 それでもロワメールの覚悟が伝わったのか、セツは小さく溜め息を吐いた。

「……わかった。なら、ついて来い」


 次いでセツは、ロワメールの後ろで控える背の高い男に視線を向ける。糸のように細いタレ目で、ニコニコと笑みを絶やさない男だった。

「そいつもか?」

「この度ご一緒させていただく、カイ・トロワ・ニュアージュと申します。ロワ様の側近筆頭を務めております」

 二十代半ばくらいに見える。側近筆頭ということは、ロワメールの信頼も厚く、有能な人物ということだ。


「セツ様にはロワ様をお救いいただきましたこと、臣下を代表し、厚くお礼申し上げます」

 深く頭を下げるカイを、セツは胡乱に見上げる。


 五年の眠りから覚めたばかりのセツが、宮廷の権力構造を把握しているとは考えられないが、ニュアージュ侯爵家が王子の側近を務めるくらいには力のある家柄なのは明白である。


 やはり権力者嫌いのセツは中央の大貴族を気に食わなかったか、とロワメールは心配したが、違った。

「……一人だけか?」

 セツはカイが気に入らないのではなく、お付きの少なさに顔をしかめたのだ。


 ロワメールは笑って首を降る。

「ぼくとカイだけで、あらかたのことには対処できますから。ギルドに来るまでは、一応護衛の騎士もいましたよ」


 ロワメールの養父オーバン・リブロウは領の剣術師範で、ロワメールも幼少期から手ほどきを受けている。そしてこの青年は、剣の才能に恵まれていた。本人の言う通り、荒事に巻き込まれても難なく片付けるだろう。


「だからってな」

 セツは、ロワメールが心配でならないらしい。

 王家は皇八島の要、粗雑に扱っていい存在ではなかった。だというのに供が一人とは、王子として軽んじられているようにセツの目には映ったのだ。


 納得いかない名付け親に、ロワメールは苦笑する。

「セツ、王子ご一行みたいにゾロゾロと移動するの嫌でしょう?」

「……まあ、確かに」

「ぼくも、ああいうのには慣れません。でも、誰か連れて行かないと、陛下も王太子殿下も許可してくれなくて」

 自分の意向なのだと明かして、ロワメールは嘆息する。

 民間人から急に王子となり、いまだ慣れない慣習もあるようだった。

 けれど、いかに治世が安定し治安が良くとも、一国の王子にフラフラ一人で出歩かれては、国民の方が心配になる。


 それをわかっているのかいないのか、当の王子様はケロッとしたものだった。

「本当は、カイもいなくて平気だけど」

「またそんなことを。私泣きますよ?」

 情けない顔を作る側近に、ロワメールは笑う。


「賑やかになりそうね?」

 これまでやり取りを見守っていたアナイスが、マスターの真意を測ろうとセツの表情を窺った。

 いくら赤子の時に助けた相手とはいえ、セツの権力者嫌いは筋金入りである。

 今回だとて、相手が王子だろうと関係なく、セツは難癖をつけて断ると思われていた。それをどう説得すべきが頭を悩ませていたが、蓋を開けてみればどうだ。

 あっさりと同行を許可したのである。

 そして更に、アナイスは驚くこととなった。

「そのようだ」

 王子を見守るアイスブルーの目は、とても優しかったのである。






「よかったですね。セツ様が同行を認めてくれて」 

 ギルドの廊下を歩きながら、ロワメールの耳元でカイが囁いた。


「うん。どうしても反対されたら、シャルル王妃様の……母上の契約を持ち出すつもりだったけど、それをかたに押し切る真似はしたくなかったからね」

 ロワメールも低い声で答える。


 契約は魔法使いにとり、掟と同じく絶対のものだった。例えそれが十八年前に交わされたものでも、効果は有効だ。


「なんてお綺麗な王子様」

「信じられないほどにお美しい……」


 廊下に居合わせた職員は頭を下げて一行を見送るが、ロワメールが通り過ぎると囁きが後を追う。

「まさかよりにもよって、魔法使い殺しとご一緒されるとは……」

「でも魔法使い殺しが、悲劇の王子様を救った魔法使いなんだろう?」

 囁き交わされる雑多な声は、寄せては返す波のようにロワメールの耳を打つ。


「あの時は、魔法使い殺しが人助けをするんだって驚いたけど、実は良い人なんじゃ……」

「馬鹿、そんな訳あるか。冷酷無慈悲の魔法使い殺しだぞ」

「そうだぞ、見ろ。あの白い髪に薄い色の目を。いかにも恐ろしいじゃないか」


 ロワメールは前を向いたまま、表情が色を失っていく。

「ロワ様」

「わかってる」

 穏やかな微笑みは姿を消し、目を瞠る美貌は硬質な冷たさを帯びる。

「ここまでは、計画通り」


 玄関には、出立の準備を終えた馬車が待っているだろう。

 それに乗れば、長い旅が始まる。


「ぼくは、絶対に救ってみせる」 

 ひそりと零す声は、冷たく硬く。


「誰にも、邪魔はさせない」

 セツと話している時とはまるで別人のような眼差しで、王子は告げる。


「手伝ってくれるよね、カイ?」

「仰せのままに」

 密かに交わされる会話を聞く者は、誰もいなかった……。

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