第2話 足りない力

  僕は将来起業したいと思っている。とはいえ、今はまだ何も決めていない。何を売るのか等は決めていない、というか決めきれていない、というべきなのか。

 どれを選んでも出来そうではあるが、どれを選んでも失敗・つまずきがありそうで、挑戦して失敗した時にまた同じ事でやり直せるのか、と考えた時になんとなくだが諦めてしまう、そんなイメージがどれを選んでも湧いてきてしまう。

 なので僕は今自分に出来ること、アルバイトをしている。父さんの遺産は使いたく無いし、働けばその業界の動向も少しは見えてくるからだ。

 僕が今働いている所は喫茶店だ。老後に喫茶店のマスターとして常連のお客様に対してコーヒーを入れている、悪くない老後だと思う。

 ただ今働いている喫茶店ではそんな老後をイメージ出来ないくらいには忙しい。都内に五店舗出店していて、雑誌にも取り上げられる人気のお店で、特にフードメニューの人気が高い。その為かランチやディナーの時間はとても混雑する。もちろんコーヒーはドリップしていたのでは間に合わないので、機械でコーヒーを入れている。

 僕が思っていた喫茶店の姿では無かった。

 とはいえ働かないといけないので、僕は今日もバイトに行った。ディナーの忙しさが一段落つくともう21時を過ぎている。

 いつもなら賄いをお店で食べてから帰るのだが、今日は天気も良く、明日のバイトが休みのためアパート近くの公園で食べようと思い持ち帰りにしてもらった。公園に何かある訳ではないが、気晴らしのために偶にそうしている。

 公園についてベンチに座り賄いの袋を開ける。貰った時から気づいてはいたが、今日は量が多い。一人暮らしの僕を心配して店長がいつも多めにしてくれている。それにしても今日のは多い。おそらく明日の分の事も考えてくれての量なのだと思う。

 お腹がある程度満たされた頃に視線に気づいた。最初は今日子さんの仲間かと思ったが、どうも違うらしい、透けては見えない。

 視線は小学生くらいの女の子からだった。小学校2・3年生くらいだろうか身長はそれ程高くはない。リュックを背負っている。塾の帰りなのか。

 女の子は僕を見ている、というよりも僕の食べている物を見ている。そして徐々に僕に近づいて来ている。多分本人は気づいていない。ある意味では今日子さんよりも怖い。

 ついに僕のすぐ横にまで来た。ぐうぅ、お腹の音まで聞こえる。

 「良かったら食べる?」

 僕が声を掛けると女の子はビクッと反応してから、ゆっくり小さく横に首を振った。しっかりした子だな、と思う。

 「もう僕はお腹いっぱいでね、良かったら食べてくれないかな?じゃないとコレこのまま捨てる事になっちゃうからさ」

 僕がゴミ箱の方を見ると女の子も釣られるように見てから、勢いよく振り向き大きな瞳で僕を見た。

 「食べてくれる?」

 今度は大きく頷いて、僕が手渡すと勢いよく食べ始めた。余程お腹が空いていたのか、あっという間に食べ終えた。食べている最中に買ってきた飲み物を渡すと、これも一気に飲み干した。

 「美味しかった?」

 コクンと頷いて、満足げな微笑みを見せた。

 「そっか気に入ってくれて良かった。僕は平良昌義。お名前は?」

 「立花すず香」

 だいぶ小さい声だったが答えてくれた。

 「すず香、いい名前だね。じゃあこれからはすずちゃんって呼ぶね」

 またコクンと頷く。

 さて、色々と聞きたいことは有るけど、今日は時間が時間だ、22時を過ぎている。

 「お家はどこかな?送っていくよ」

 「ううん、いい。家近いから」

 声も大きくは無く、表情も変わらずだが、語気には強い拒絶が感じ取れる。

 すずちゃんはスクっと立ち上がり立ち去ろうとしたが、2・3歩でこちらを振り返り、

 「明日もここ来る?」

 尋ねてきた。僕は返答を少しためらったが、

 「明日はバイトが休みだから、明後日なら来れるよ」

 「分かった。じゃあ明後日ね」

 すずちゃんはそう言うと駆け足で公園を出ていった。

 何か一方的な約束をされた気もするが、まあいいか、気になることも有るし。

 アパートに戻るといつもはリビングに居る今日子さんが、玄関に居て少し驚いた。さすがに声は上げなかったが。

 なんで玄関に居たんだろう。まさか嫉妬か。


 2日後、僕は約束通りに公園に向かった。今日は店長に頼んで多くしてもらった。

 公園に着くと、もうすずちゃんはベンチに座り、何か独り言を呟いていた。何を話しているのかまでは聞き取れないが、なんだか楽しそうにしている。

 僕の足音に気づいたのか、こちらを見て僕を確認すると姿勢を正した。本当にしっかりした子だと思う。だからこそ気になる。一昨日の夜に会った時と同じ服装なのが。

 「お待たせ、待たせちゃったかな?」

 僕の言葉に首を横に振って応える。僕はすずちゃんの隣に座り貰ってきた賄いを渡した。

 ありがとうと言って受け取るすずちゃんに、一緒に食べようと声を掛け、先に好きなものを選んでもらった。暗い夜の公園でも分かるくらいに目を輝かせながら選んでいる姿は可愛らしいが、同時に切なさや辛さに似た感情も湧いてくる。

 食べながら、答えてくれないかもと思ったが、学校での話を聞いてみた。どんな授業が好きで、先生の授業中の失敗で笑った話など、思っていたよりも話してくれたが、やはり友達や家族の話は出てこなかった。

 僕も敢えて友達や家族の話題を避けて質問をした。僕も家族の話はまだしたくない。それに普段話し相手がいないのだろう、本当に嬉しそうに良くはなしてくれる。

 食べ終わって、また自動販売機で飲み物を買って、また少し話して、

 「じゃあそろそろ帰ろっか」

 僕が言うと少し寂しそうな顔をしたが、直ぐに素の顔に戻り、

 「また明日も来る?」

 聞いてきた。うん明日も来るよと今度はちゃんと約束をして、すずちゃんは同じように走って公園を出ていった。

 アパートに帰ると、また今日子さんが玄関に居た。なんとなくだが今日子さんが言いたい事が分かる気がした。すずちゃんとあまり深く関わるな、と言いたいのだろう。

 そう、確かにそうなんだ。すずちゃんにこのままご飯を渡し続けても何の解決にはならない。ただの僕の自己満足に過ぎない。根本的な解決は出来ていない。

 でも、だからといって放って置く事も出来ない。とはいえ僕にこれ以上の事が出来るのかといえば、出来ない。そんな思いが僕の中でせめぎ合っている。

 すずちゃんは親からの虐待を受けているのは間違い無い。ただどんな虐待を受けているのかが分からない。暴力等の身体に残るようなものも、男である僕には確認のしようが無い。逆に僕の方が疑われる。それを頼めるような女友達もいない。

 すずちゃんに直接聞いても答えてはくれないだろう。すずちゃんに話す気が有るなら、今日の会話の中で何かしらの、助けを求める何かが出ているはずだが、あるいは単純に僕が見落としているだけかもしれない、が分かるようなソレは無かった。

 幾つかの方法を考えてみたが、現実的な解決策が思いつかなかった。何らかの解決策を考えるには、僕の社会経験が少な過ぎる。しょうがないんだ。そう思った。

 翌日約束通りにまた賄いを持って公園に行った。昨日と同じでベンチに座り独り言を言っている。

 「お待たせ、待たせちゃったかな」

 昨日と同じ状況、同じセリフだが、心が重い。そして昨日と同じように先に選んでもらい食べ始めた。

 昨日と同じ、僕が質問してすずちゃんが今日あった出来事を話す、傍から見れば平和な光景だと思う。

 食べ終わり、意を決して切り出す。

 「ごめん、明日からはもう持ってこれないんだ」

 「うん、分かった」

 拍子抜けするほどの呆気ない返事。思わずすずちゃんの顔を見る。素の顔、いや感情を無くした顔。

 すずちゃんの顔を見て僕も悟ってしまった。これが初めてでは無いんだ。もう何度も繰り返してきた事なんだ。

 色々と言い訳、説明などを考えていたが、全てを飲み込むしかなかった。

 「最後に飲み物買おうか」

 返事も反応も無い。このまま居なくなるかもとも思ったが、自動販売機の方へ歩いて行った。すずちゃんは黙って付いてきた。

 昨日と同じ飲み物、僕のボタンを押す指が震えている。

 ガシャンと落ちてきたのを取り出し、すずちゃんに渡すと、

 「今までありがとうございました」

 一礼して、クルッと後ろを向いたと思ったら、勢いよく走り出して公園から出ていった。追いかけるのも何か違う気がして、しばらくは立ち尽くしていた。

 公園からアパートに帰るまでも、ずっと考えている。これで良かったのか、もっと出来ることがあったのではないか、他にも最善の方法があったのではないか。

 アパートに着くと今日子さんは玄関に居なかった。といえ、リビングのドアを開ける事も出来なかった。多分僕はこの時には泣いていたのだろう。

 僕に泣く資格が無い事は分かっている。しかもすずちゃんの事を思っての涙ですら無い。だから、例え幽霊とはいえ、人には見られたくはなかった。

 玄関横にある風呂場に入り、服を着たまま頭からシャワーを浴びて泣いた。

 自分の無力さに、思いやりの無さに、言い訳した自分に、全力じゃあなかった自分に、何で他の人に助けを求めなかったのか、知恵を借りなかったのか、僕に出来ることはまだまだあった。

 本当に泣く資格が無い。なのに涙が止まらまい。

 僕は生きている価値が無い。

 そう思ったら、父さんと母さんの顔が浮かんだ。

 いつか、父さんが子供の頃を話してくれた。今のすずちゃんのように、毎日食べる物を探して街なかを歩いていたと。

 思い出してまた泣いた。思いを馳せてまた泣いた。

 父さんが生きていれば。

 母さんが生きていれば。

 もっと父さんと母さんと話をしたかった。

 親孝行したかった。

 声を上げて泣いた。

 僕は生きることにした。

 僕は父さんと母さんにあんなにも愛されていたんだ。

 父さんも母さんも、子供の頃がどうであれ僕を一生懸命に愛してくれた。

 僕はここで自分の命を投げ出すわけにはいかない。

 だから僕は生きる。


 気がついたら僕は寝ていた。寒さで目が覚めた。シャワーは止まっていた。今日子さんが止めてくれたのか、とも思ったが多分違う、自分で無意識で止めたんだと思う。なんの根拠も無いけど。

 そして無事に風邪をひいた。一週間寝込むことになった。この一週間は高熱のため記憶がない。が、生きることを決めたことだけは覚えている。

 僕はもっと強くなりたい。

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