第3話<世界で一番幸せな男>

テルーオ歴4998年4月8日


木造の畳が敷かれた部屋にて長い黒髪を持つ美しい女性が布団に包まっている黒髪の少年を見下ろしている。少年の方は夢の中のようだ。


割烹着を着た黒髪の女性「ぼっちゃま、おはようございます。」


女性特有の少し高めでいてそして心地よい声が部屋に響く。


「ユリ姉?今日も相変わらず天女様のように綺麗だね。そんな素敵な女性に起こして貰える僕はきっと世界で一番幸せな男だろうね。だから、後五分だけオヤスミ〜。」


少年は幸せそうな顔で極自然な動作で二度寝についた。ユリと呼ばれた女性の口元は笑顔の形ではあるが、その右側頭部に十字型の血管が浮かんでいる。


ユリ「残念ですね。強制執行です♪」


ユリは口だけは笑顔のまま少年が使用している『敷』布団に手をかける。


「え?ちょ・・」


少年から発せられた音声が意味のある言葉になる前に、ユリは布団ごと少年をひっくり返した。少年は間抜けな表情をユリに見せ、一瞬の浮遊の後、畳に布団ごとベチンと叩きつけられた。


「へば!!」


少年が顔を上げるとユリは清々しい笑顔をしていた。


ユリ「おはようございます。朝食ができています。あと、私の事はユリ姉ではなくユリと呼んで下さい。」


「将来、自分の義姉となる人を呼び捨てなんて出来ないよ。あともう少し優しく起こして欲しいな。」


少年の言葉にはからかいが含まれていた。


ユリ「早くしないとケイゴ様が貴方の分も食べてしまいますよ。」


ユリは顔を少し赤くしつつ口早に少年を促した。起こし方については当分変える気はないらしい。


少年は部屋着から余所行きの服に着替え、居間に向かう。


父「おはよう。相変わらずネボスケだな。」


母「本当相変わらずねえ。」


兄「お前の卵焼きを食べちゃうところだったぞ。」


「おはよう。ってケイ兄、待って、待って、何卒卵焼きだけはご勘弁を〜。」


母「ほら、ケイゴも意地悪言わないの。」


食事が終了する頃、父が口を開いた。


父「今日は入学式だな。」


「少し緊張しているけど、まあなんとかなると思うよ。」


母「今まで何度も言っていることだけど・・・いいわね?」


「分かってるよ。我が家の家訓なんでしょ?」


よほど真面目な内容なのか父やケイゴも無言で見守っている。





母「加護が分かるまで貴方に名はつかない。先生にも伝えているけど忘れないようにね。」





朝食後、少年は洗面所で顔を洗う。鏡には黒髪紅眼の顔が写っている。


「俺以外にも目が赤い奴はいるのだろうか?」



髪の毛が少し寂しい男性「・・・の諸君、入学おめでとう。諸君は厳しい入学試験に見事合格し・・」


抜けるような青空の元、新緑の香りとともに桜の花びらを運ぶ穏やかな風を受けながら、新入生達は台の上に乗って有り難い挨拶をしている校長の話を退屈そうな顔をしながら聞いていた。


眼鏡をした男子生徒「長いな。」


「脚が辛くなってきた。いつ終わるんだろう?」


校長「・・本校の建学の精神は、感謝することから・・」


もうかれこれ30分は話している。長い時間立たされているせいか、少年の少し前に居る黒髪ボブヘアの女子生徒がフラフラしはじめている。


隣の眼鏡「なあ、なんかあの女の子フラフラしてないか?」


「もしかしたら倒れるかもしれないな。」


そう言いながら少年は少し腰を落とし身構えた。


校長「・・ 一つは、「よき習慣を身につける」ということです。習慣は第二の天性とも・・」


少し頭が寂しい校長先生はなおも気持ちよさそうに演説をしている。っと例の女子生徒が体勢を大きく崩した。


ダッ!!ガシ!!と音がする。


少年は身構えていたからか、始動が間に合い、女子生徒が倒れ頭を地面に打ちつける前に何とか抱きかかえることに成功した。彼女は比較的スレンダー体型だったが、それでも脱力した人間というのはかなり重く、腕に痛みが走ったらしく顔を顰めている。


「痛!!、・・あっぶね〜。君、大丈夫か?」


「・・・。」


彼女は意識はあるようだが、顔は真っ青である。不安なのか少年にしがみついている。少年は困ったように周囲を見回す。ようやく一人の教師がこの騒動に気がついたのか、少年に静かに向かう。


校長「・・三つ目は、「やればできる」という自信を・・」


元凶である校長は異変に気がついていないようで相変わらず演説を気持ち良さそうにつづけている。


少年は女子生徒を教師に引き渡そうと試みるが、少女にしがみつかれている。少年はまんざらでもなさそうで、恥ずかしいのか顔が少し赤くなっている。


女子生徒A「ねえ、結構恰好良くない?」


女子生徒B「そうね。でも、どちらかというと可愛い系かしら?」


女子生徒A「トモ子の表現、なんかやらしい~」


周囲の生徒はひそひそはするが誰も手助けするつもりはないようだ。


近くにいた先生「悪いが保健室まで連れてってあげてくれないか?あそこに見える下駄箱の近くのあの部屋だから迷わないと思う。」


少年は先生に苦笑いされながら見送られた。


彼が保健室の戸を開けると室内には一つの空いたベッドがあり、一人の銀縁眼鏡をかけた中年の男性教師が机で何やら文書を読んでいた。室内には消毒薬の香りが漂っている。


「すみません。新入生なんですが、この子が少し気分が悪いそうなので休ませて頂けないでしょうか?」


先生は書類を片づけて少年に向き直る。


保健室の先生「ああ、なるほど~、今年も被害者が出たか~。あの校長、人は良いけど話が長いんだよね~。君たちも本当に災難だな〜。」


先生は苦笑いしながら不幸な新入生の二人を安心させるようになのか、わざとらしく語尾を伸ばしている。


入学式で生徒が校長に保健室送りにされるのはどうやら恒例行事らしい。


少年は例の女子生徒がベッドに横たわるのを手伝う。


保健室の先生「まあ、ついでに君も少し休みなさい。あの話は聞かなくても君の学園生活には全く支障はない。要は入学おめでとうって言いたいだけなんだからさ。」


保健室の先生は身も蓋もないことを言う。


保健室の先生「だが、俺が言ったのはここだけの内緒だぞ~。」


「ハハハハハ、了解しました。」


女子生徒「あの・・。」


彼女の顔色はまだ良くないが、だいぶマシになったようだ。


「こんな事言うと君は怒るかも知れないけど、あの長い演説から逃げられて助かったよ。君のお陰だ。ありがとう。」


女子生徒「フフフ、そんな事言っちゃだめだよ〜。」


セリフとは裏腹に女子生徒は笑っている。あの演説は彼女にとっても退屈だったらしい。


ちなみにこの女子生徒はケイコ・ワタナベさんというらしい。翌日、少年は教室にて本人から笑顔で聞かされることになる。



**「へえ、あれが通達にあった名無しの紅眼か。目の色以外は剣聖によく似ていたな。」


彼らが立ち去った後、誰かの独り言が発せられ、虚空に消えた。

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