第48話 願望はるか
あの日に振り返っても
「そうですね、手ぶらで行くのも何ですから菓子折りでも買い求めますか?」
「店長ならまだしも、本社勤務になれば常にその様に云われる前に動かないと、薪美志家の一族に加わるのは難しくなるわよ」
「そんなに難しいんですか」
「そう、婿養子とも成れば店長でなく本社勤務でしょう。それも入り口でなく、奥の方の上席になるわよ」
と深紗子さんが降りしなにそっと小耳に囁いた。後部座席でも輝紅さんが「同世代のあたしが、寺島結希乃さんの口に合う物を探してきます」と降りた。深紗子も続くと、兼見がエッ、何で、と引き留めた。
「あたしは花屋さんで花束を誂えてもらいますから」
と知らんぷりする父に、今度は聞こえるように言って降りた。
「矢張り深紗子さんは、ここぞと言うときはキチッと気を遣われる人ですね」
「だから何もしないで居るのなら、本社に社長秘書で来いと言ったが、働くのならまったく別の会社に行くと言っても長続きしないのだから、お前に任せたんだ」
顔が見えないのを幸いにエッ、と顰めた。
「今度は会社と深紗子さんの受け持ちになるんですね。そうなると足を引っ張られると大変だなあ」
「それは承知している。深紗子ならその心配はない。仕事以外では俺は関与しないからそのつもりだ」
社長は具体的には何も言わない。今までは仕事以外では余りお目に掛からなかったが、これからは社長の普段の私生活を深紗子さんから聞いて置かないと、いつ飛ばされるか解らない。今更ながら今日の彼女の隠れたきめ細やかさには感心した。
待ち時間を潰すのに、巡礼が終われば此の車は処分するのか、その辺りを聞いてみた。
「女は上辺で決めると此の車のように手入れが大変だぞ」
まあ車以外でも物は徐々に劣化して合わなくなるが、逆に丈夫に作られていると今度はこちらの気分が合わなくなる。そこで、こうと決めた伴侶なら、磨きが掛かり味わいを深めて、酸いも甘いもそれなりに馴染んでくる。そんな人と出会えても、逆に千年続いた神社の後継者と言うのが禍した。俺が中々けじめを付けられなかったのもそれが一因だ。
「あっ、社長、帰ってきました。しかも二人一緒ですから、寄り道したんじゃないですか」
良かった。何で車の話からこんなに大きく逸れるのか。これなら
輝紅さんは菓子折りを、深紗子さんは花束を持って帰ってきた。
「こんな時でも、花束や菓子折りを手配する。あの娘の気配りは母親譲りなんだ」
と謂うことは、朧気ながら
あれから父には何も言わずに、深紗子は花束を抱えたまま助手席に座った。隣で運転している兼見には、深紗子の沈黙を理解しょうとその答えに目をやった。
「寺島結希乃さんの実家が見えて来ました。どうします」
「着いたか」
あたし降ります、と輝紅さんが求めた制止に従って兼見はスカイラインを停車させた。父はと見れば、当然のごとく降りる気配はない。輝紅さんも父を促す様子もなく車を降りて「今日はこのまま東京へ帰ります。姉のいい想い出が解り、ありがとうございました」と礼を言われて、寺島さんの自宅に消えていった。ついに深紗子さんは答えを出さなかった。数メートル走り出すと急に深紗子さんが車を止めさせて振り向き、父の肩越しに暫く見ていた。
「留守じゃないようだ」
そうね、と兼見の言葉に頷きながらも深紗子は、無言の父とその後ろの輝紅さんが消えた、入り口の門構えを見ている。
「少しバックさせて」
兼見はバックでピタリと止めたが、輝紅さんが降りた玄関先に彼女の姿はなかった。
「招かれたようです」
「そうね、もういい。車を出して、葛籠尾崎に向かって」
兼見は一度確認するように社長の顔を窺ってから車を発進させた。沈黙に包まれた車内に流れる愛のスカイラインのエンジン音は、まるで葬送曲のように成り響いた。
車は湖岸に出て少し走ると、直ぐに奥琵琶湖パークウェイの入り口に着く。パークウェイに入ると、暫く尾根沿いの曲がりくねった道を走ると、十分以内に葛籠尾崎の展望台に着いた。長浜からだと長い道のりだが、こちら側だとあっと言う間に着く。三人は車を降りて崎の突端に行った。そこで深紗子は抱えていた花束を無言で父に渡し、彼も無言で受け取り、独りで数歩先に歩み出た。けじめを付けた父は、もう黙して語らずに、花束は湖水に投げ入れられた。一連の行動はセレモニーに過ぎないように後ろで見守る二人には見えた。
車は奥琵琶湖パークウェイを折り返して、最終地である弟の居る薪美志神社へ向かった。
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