第42話 巡礼2

 手入れに手間暇が掛かるのにと思っていたが、社長ご自慢の日産スカイラインRS昭和五十八年式の車にそんな由来があるとは知らなかった。此の前はノッキングが起こり、今日はその点検と点火プラグの調整を頼んでいた。それを深紗子さんが受け取りに行って、本社のあるテナントビル横で待機させた。ビルの地下駐車場に入れると、前は五条通で直ぐに北へ上がれないが、河原町通ならそのまま北へ上がれる、それでビルに面していない河原町で待機させた。

 五条河原町の交差点から少し下がった場所に深紗子さんの運転する日産スカイラインRS昭和五十八年式は停まっていた。

 いつも社長自ら運転する車で、深紗子さんと代わるのかと思いきや、そのまま助手席側を通過して兼見は慌てて、後部座席のドアを開けて社長と輝紅てるこさんを誘導した。じゃあ俺が運転するのと思いきや、深紗子さんもハンドルを持ったまま待期している。アレッ、と窓越しに見ると深紗子さんは突き立てた指を助手席側に指し示した。慌てて乗り込むと「此処は交通量が多いから長くは駐められないのよ」と兼見のシートベルトもしないうちに車を出した。

「深紗子さん、どういう風の吹き回しですか」

「どうせマニュアル車は苦手なんでしょう。今日は信号のたびに此の前みたいにガクンガクンと発進させられないでしょう、湖岸道路に出るまではあたしが運転するわ」

 と深紗子さんは車を動かすと、手際良くスムーズにギアを次々と上げていった。なるほど一番の繁華街を抜けるのにこれでは無理だと、賑わう河原町通りを北上した。

「いつか此の車で迎えに行く約束をやっと叶えられる」

 大阪での最初の待ち合わせでは、人混みの中を掻き分けて通天閣の下まで輝紅てるこさんが大粒の涙を溜めて来られたときは驚いた。でもまさか亡くなったとは夢にも思わなかった。きっと何か事情があって代わりに寄越したと思った。それだけに頭の中は真っ白になった。あれから我武者羅がむしゃらに働いて此の車をやっと手に入れた。そこでもうあの人はいないと実感すればするほど足が遠のいて仕舞った。

「せめて耀紅ようこの足跡を訪ねたいと想いながらも、四十年の月日があっと言う間に過ぎてしまった。やっと会いに行く気になったのも娘のお陰です」

 説明不足で誤解を招くと、助手席で黙って聞いている兼見は、輝紅てるこさんにひとこと云いたい。深紗子は叔父を知らずに偶然知っただけだ。でもそのお陰で行く気になったのなら、過程はどうあれ結果オーライなのか、と彼女を見たが運転に集中しているのか無関心だ。混雑する繁華街を抜けるのに小まめにシフトギアを入れ替えていた。彼女が言うには、適切な走行に見合ったギアで走るなら、道路の走行状態と混み具合を常に頭で把握していないといけない。即ちそれだけ運転に集中出来ると事故の回避も出来ると謂う理論だ。いや、だから必ずオートマが事故を起こすとは限らない、それで兼見に言わせば理論でなくへ理屈だ。後部座席ではまったく別な次元の会話が飛んでいる。

「あの後はどうされたんですか?」

「いやー、もうショックで何も手につかなかったですが、これじゃあいけないとまとまった金が出来ると、商品を仕入れてそれを売りさばいて、徐々に規模を大きくして四十年で現在のように大きくしましたが、ここまで大きく出来たのは耀紅ようこを忘れるために頑張ったお陰ですから、一度だけマキノの家に行きましたが引っ越されたんですね」

「ええ、あの後直ぐに……」

 二人ともあれからは色々とあった。社長も今の仕事が軌道に乗った頃に輝紅てるこさんも落ち着けた。此処から二人とも亡くなった姉の思いに囚われた。社長はなんとか耀紅ようこさんの家族を捜した。一方の輝紅てるこさんも、社長の行方を捜したが掴めずに聡叔父さんに焦点を定めて息子の正茂に近付いた。

「これは偶然か、それともなんかに導かれたのか。もしそうだすれば天上で耀紅ようこが早く行けと導いてくれたんでしょう」 

 社長はもっと早く実家の神社を訪ねなかったのか、そこが知りたいと振り向きかけると、深紗子に黙って聞けと謂うように止められた。深紗子は既にお父さんから聞いているようだ。

「もう四十年も経ってしまうと中々行く切っ掛けが出来なくて、それではこっちで切っ掛けを作ろうと、丁度娘も年頃で内の会社に娘に合う者を見付けた」

「それが兼見さんですか」

 なんで本人を前にして急にそんな話になるんだ、と深紗子を見れば納得済みなのか薄笑いを浮かべている。

「これを切っ掛けにして式と披露宴に弟を呼べると思っていると、先に娘の方がいきなり訊ねてしまった」

「それって本当に偶然かしら?」

 輝紅てるこに訊かれた、

「そうだなあ、おい深紗子!」

 彼女は一瞬ルームミラーで父を見た。

「あの場所はお母さんから聞いて一回行ったそうだが、その時に美由紀は他になんか言ってなかったか」

「お母さんはなんも言ってなかったけど……」

「そんなことないだろう、美由紀は勘づいていたんじゃないのか、あそこが俺の実家だと、それでお前を連れて行ったんじゃないのか」

「ううん、ただ、あそこから見える景色が一番気にいっているとしか言わなかった」

「本当にそうか」

「お父さんこそお母さんとは何処で知り合ったの」

「そんなのはどうでも良いだろう」

「お母さんは、お父さんが時々奥琵琶湖の写真を視て、もの凄く感傷的に浸っていた。それで一度行ってみて気に入ったのよ。お母さんはお父さんが黙っていても解るらしいわよ」

 そこが耀紅ようこに似ているんだと茂宗はポツリと呟いた。

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