第27話 薪美志正茂2

 やれやれと東京出張を命じられる。仕事ならいざ知らず、急に降って湧いた社長の甥の動向なんて知ったこっちゃない。社長室を出ると既に事務員が調達した新幹線の回数券を渡された。これって一回ボッキリじゃないのかと思ったが、余ったら返却を求めるそうだ。既に今日のビジネスホテルも予約済みとは、まだ行くとも行かないとも言わないうちに東京へ出張の事務処理がされてしまった。

 これはどうなっているんだと、本社を出ると深紗子みさこさんに電話した。そこで意外なことを聞かされた。父からの正茂の素行調査の打診は聞いていたが、それほど強い要請でも無かった。と言うより兼見を行かすからホローしてやれと言われた。

「それはないでしょう」

 兼見は河原町五条の本社ビルを出て、タクシーを探して五条通を歩きながら話している。そこでやって来たタクシーに乗り込むと、京都駅に向かう途中でも話を続けた。

「だって俺はまだ身内じゃないのに、社長の甥っ子になんて言っても、そんな相手にどう挨拶すればいいんだ」

「でも、ものは考えようでしょう。父はあたしより先にあなたを認めているんだから」

他人事ひとごとみたいに言うな」

 まるでこれを試練と思え、と言わんばかりの響きが、何処までもスマホを通して聞こえて来た。

「じゃあ、どんな手伝いをしてくれるんだ」

「今は無理、手に負えないときはあたしも手伝うってことよ」

「それって反対じゃあないのか。正茂って謂うやつは君の従兄妹いとこで俺には他人だ」

「今の処はね、それを早く身内にしてあげようって言うのが父の親心じゃないかしら」

「そもそも社長の四十年前のツケを俺にやらせようってのはどうなんだろう」

「まだそこまで決まった訳じゃあ無いでしょう。父はあなたに身内の紹介と一泊二日の東京見物をさせたかったのじゃないかしら」

 そんな風に言われると、現段階では否定する根拠は何処どこにもない。それどころか今回の一件で苦労を掛けた罪滅ぼしだと思えば、楽しいはずだと言われれば、もう此の話は続かない。丁度タクシーも駅に着いてしまった。今朝、部屋を出たままの軽装で新幹線に乗る。向こうに着くのは昼過ぎだ。それを告げると深紗子は、昼からなら丁度良いんじゃないと言ったが、そこに根拠もなにもない。多分大学院を出て今は骨休みをしているのだと、勝手な空想を働かせるから気楽なもんだ。しかしものは考えようだ。此の先の不安を払拭させるために、敢えて楽観視させてると思えば、それはそれで滅入る事は無いと新幹線に乗った。

 待てよと思った。深紗子は何で断ったんだ。と思い巡らすうちに新幹線はホームを離れた。もう名古屋まで止まらない。それより此の回数券で東京までの指定席を取った。回数券だから何回でも使えるが、後の事務処理で枚数が合わなくなればそっちの方が面倒だ。もう一度深紗子さんに電話した。送信先を見たのか、面倒くさそうに返事した。

なんなの」

「ひとつ聞きたいんですが、どうして深紗子さんは、お父さんの頼みを断ったんですか」

「面倒くさいからよ」

 さっき考えた事務処理の方が遥かに面倒くさいが、それ以上なのか。

「でも相手の正茂さんって、どんな人が知らないんでしょう」

「だいたい解るわよ。世間に晒されるのが嫌なのよ」

「それはないでしょう。研究熱心でやり残したものを極めたいだけでしょう」

「だってもう神職の資格は取ってるのよ。どうして大学院へ行くのよ。なにをやり残したと言うのッ」

 なるほど言われてみればそうだ。ほかの学部ならいざ知らず、正茂が進学したのは神職の資格を取るためだ。大学院は単なる引き延ばしに過ぎない。

「じゃあ、正茂って謂うやつは何を考えてるんだ」

「多分、なんも考えてないと思う。だから多分、周りに誰か居るのよ」

「エッ! 誰、そいつは」

「そんなの知る訳ないでしょう。ただの思いつきだから」

「それで断ったの?」

 少し間が空いた。顔は見えないが微妙な息遣いで笑っているようだ。

なんか、楽しそうだなあ」

「そんなこと無いわよ。どれほどあなたのために苦悩しているのが見えないのが残念だけど」

 嘘吐け! 見えないのをええ口実にされてはたまったもんじゃない。

「でもお父さんにすれば一世一代の恩返しになるんだから、あなたの責任は重いわよ」

 それならどうして本人が行かないんだ。まあ、会社経営を考えると行けるわけないわなあ。なら、尚更その娘が行くべきなのに。

「本当に面倒くさいだけなのか」

「今の処ね」

 彼女なりに重く受け止めて、どうやら暫く様子見らしい。手に負えないようならなんとかするわよ、とまたさっきと同じ気休めを言って電話は切られた。

 平日の午前中とは云え、ビジネスマン達はもっと早い電車で行くだろう。指定席でなくても良かったが、会社の経費だからいた電車の指定席に座っても、金に関する悲壮感はない。本社を出るときに、切符と一緒に近くのコンビニで買ったパックのジュースとサンドイッチの入った袋も、一緒に事務員から渡された。まさかこれまで社長が手配するわけがないわな。するとこれは事務員の差し入れかと食べ出した。社内では次の社長候補ではと思われている。なんせ社長の一人娘と結婚する予定なのは、みんな口には出さないがそんな配慮が顔に出ていた。此のコンビニ袋の中身もその一環か。それにしても、もう少し弾んでくれても良いが、社員も心得たもので、あのひと癖もある社長の娘ではと、半信半疑なのが此の中身なんだ。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る