第25話 薪美志茂宗4
湖西線マキノ駅で茂宗は
「無理しないでよ、肉体労働はやっちゃダメよ」
深刻そうな茂宗とは対照的に耀紅は笑顔を見せたり、ひんがら目をして舌を出してみたりしながらも、ちゃんと受け答えをしてくれた。茶目っ気たっぷりな演技には、前途に待ち受ける余計な事を考えないで心強かった。
「解ってるよ、二、三日は安い素泊まりなら十日は凌げるから、今は好景気で人手不足で、それに大阪なら近くで毎週会えるよ」
「それもそうね」
彼女は
耀紅は我が身より、これから人生の荒波に向かう茂宗にとって、今一番必要なのは安らぎだと心得ていたのだ。この以心伝心まで高めた二人が、そのために、命に替えてもと謂うもっと重大な意思疎通を欠いた。
耀紅は茂宗を見送ると、彼を神職から引きずり下ろした自分を責めた。だが此の時まではその結論は出せなかった。どうすればいいのかと募る不安に、背中を押されて夜には夢遊病のように家を抜け出した。その足元は寺島結希乃の自宅に向かってただひたすら歩いた。玄関で彼女の母親の声を聞いて始めて我に返った。寺島の話では此処でスッカリ気分転換を図って家路に就いたはずだった。
「でも耀紅さんは家路に就かずにお父さんの生地に向かったのね」
「聡の話だと夜中に誰かが参拝した形跡があったと、耀紅の通夜に参列した妹から聞かされた」
「エッ! それって
これには兼見が驚いた。耀紅は葛籠尾崎に行く前に
「実はあの日、別れしなに次の日曜日には落ち着き先が多分決まっているだろうと近況報告を兼ねて、大阪で耀紅に会う約束をしていたが、そこに現れたのは耀紅でなく妹の
その時はどうして来られない理由が出来たのだろう。もう俺の失踪は身近な人伝で耀紅の両親が知って迂闊に出られないから耀紅は妹を寄越したと思った。
「それは大阪の何処ですか?」
「通天閣の下」
テレビで良く見たあの賑やかな前の通りを、耀紅と二人で久し振りに会って歩くのを楽しみにしていた。そこへ人通りを掻き分けるように辺りをキョロキョロ見回しながら近付いて来る女性に目が留まった。どうやら彼女もほぼ同時に俺を見付けた。視線が合うと真っ直ぐ駆け寄ってきて判った。最初は戸惑いがちな表情から次第に涙が頬を伝いだした。ウッ? 耀紅は? おかしい。その内に
「そこでお父さんは耀紅さんの死を始めて知ったの」
「ああ、あの時に渡したお守りをしっかり肌身離さず持っていたと見せられた」
「それをどうして持って来たのだろう ?」
茂宗は力なく言った兼見を見た。
「あの日、神社のお守りを耀紅に渡したんだ。これをしっかり持っていれば大丈夫だと言って渡した」
なんせ千年以上守り神として薪美志神社が出しているお守りだ。
「お父さん、矛盾している。だったらどうして神社を飛び出したの」
そうだなあ、と言いたげに茂宗は薄笑いを浮かべた。
「若かった。あの時は
神職を捨てた人が神頼みか。
「そのお守りはどうしたんですか?」
「妹の
そこで茂宗は、聡から耀紅が最後に薪美志神社に立ち寄ったであろう話を聞かされた。
あの日、あの時間に、お詣りした者が居たとすれば、それは耀紅以外には考えられなかった。
「おそらくあのお守りを握り締めてお詣りした」
「耀紅さんはあなたの身代わりを持ってお詣りしたんですね」
「他人行儀な物言いだが、この部屋に居る限り最初の約束事で聞き流すが、何の身代わりなんだ」
「心中、だと思うんですが、当たってませんか」
ウ〜んと低く響かせて何故、四十年間それに気付けなかたのとか一捻りして娘の深紗子に「聡にも招待状を出さないといけないだろう」と承諾を求めた。
兼見の回答とこの組み合わせはどうもちぐはぐだ。
「まだひと月ちょっとあるからどうでしょう」
深紗子は兼見の顔を覗って曖昧な返事をするが、それをそのまま応える深紗子も理解できない。
「取り敢えず聡が近々俺に相談事があるからとやって来るが、その話はもう少し伏せておくか」
「やっとお父さんを見付けた叔父さんが何しに来るの」
「だから積もり積もった相談だ」
そう言うと父は、既に空になった湯飲み茶碗を軽く持ち上げて娘の方に差し出した。今は
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