第23話 薪美志茂宗2
茂宗は悠然と構えるが、いきなり凄いシュートで打ち返すので無く、これからじっくりと話を詰めていこうとするように軽く何度か頷いた。
「凡庸に見えてそのくせ狡猾に立ち回る
エッ! といきなり調子抜けするこの前置きは何だと、兼見は深紗子を見たが、素知らぬ振りで彼の視線を葬りさった。
「望んだがその先は未知だ。恋とはそう謂うもんで、
娘の毅然とした態度に表現を改めたが、兼見はすかさずその言葉尻を捉えた。
「その耀紅さんがですが、卒業する半年前に知り合ったんですか」
「小さい地方都市の高校だから町で見かけても大抵は内の高校生だと解るよ」
「そうじゃなくて、あっ、その前に寺島結希乃さんはご存じですか」
「
ウッ? と深紗子さんを見ると彼女も頷いていた。
「てるこさんですか」
「それが単なる『てるこ』でなく、
「
「矢張りお姉さんに合わせたんだろう」
「ねえ、お父さん、その姉妹の名前より、そのお姉さんの
「まあ待て、あの頃は今みたいにこっそりと二人だけで連絡を取り合うのが大変な時代に、その相手の名前が見づらいのがどれほど苦労したか。その辺にも
だからこの違いは避けて通れず、知ってもらいたかった。つまり本人からワクワクした気持ちで受け取れば本人確認は要らない。けれど寺島さん経由で来ることも偶にある。後は年賀状とかの公の挨拶状。此の時はこのよく似た名前は読み辛い。だから電話なら良いが手紙は紛らわしかった。ほとんどが手渡しなのも、そんな配慮が
「寺島さんの話だと遅刻しそうなった
これではこの人は率先して話す気はないのかと段取りを付けた。
「バイク通学の俺には校舎以外でクラス以外の者に会うのは体育際や文化祭その他の行事以外は滅多に会わない。少し見知っているだけで、それほど喋れるもんじゃ無い。彼女もそんな一人で、どうしたんだと訊くと、電車に乗り遅れると聞いて駅まで乗せてやった。一瞬、
女の子をバイクに乗せたのはその日が初めてで、背中にしがみつかれたのも初めてだ。帰り道では、歩道の淵に居る彼女を見付けると、同時に向こうも手を降って手招きしているので止まった。乗るかと訊ねると、お喋りがしたいから駅まで一緒に歩いてと頼まれた。後で聞いたが、あの時に男の人の温もりを始めて感じたそうだ。その温もりがずっと持続して、大学の合格発表の頃には、更に二人の気持ちは高まった。
「問題はそれからだ。心が萎えたのでは無く、むしろその逆に二人の愛、気持ちは命の瀬戸際まで高まった」
困難になるほどほとぼりが冷めるまで待てば良いが。十八の二人にそれはもう酷い仕打ちで益々のめり込んで行く。もがけばもがくほど愛は深くなり、
「安全な愛と危険な愛、熟成された愛と未成熟な愛、今二人が辿ろうとしているのは後者の方だ。もっと早く
「どうしてその時は一緒に行かなかったんですか?」
「濁流の中で川岸に渡ろうとすれば、まず一人が渡りきって安全を確かめてから迎えに行くだろう」
「それで耀紅さんを川岸にまたせたんですか」
「そこが一番安全な場所だっただけに、耀紅は余計な事を考えたんだ」
「余計なこと?」
「立場が違うんだ、俺はあの集落にとってなくてはならない人間だ」
「薪美志神社の後継者ってことなのね。でも聡さんが居るでしょう」
「弟は
「別に落ち着いて考えればいずれ二人一緒にあの神社を支えられたのに……」
「十八で高校を卒業して世間と謂う大海を知らずに、その前途を悲観した耀紅が目の前の濁流を眺めて『もしあたしが此処で身を引けば茂宗さんはそのまま大学へ行き神職の資格が取れるのに』と思い詰めれば愚かな行為とは思えない」
愛に殉ずるその行為は尊く美しい。だが芸術や自然のような不変の美しさとは違う。千差万別変幻自在な心が作り出す愛に不変があると思うか。歴史が時の流れに依って変えられるように美しい愛が、醜い憎しみに変わるのは一瞬だ。それを乗り越えるのはもう愛では無く忍耐力なんだ。耀紅の死で俺はそれを学んだ。
順風満帆の船出より、敢えて夜明けを待たずに嵐の中で船出する。その愚かさの中から掴み取れと耀紅から暗に教えられたと思っている。
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