第23話 薪美志茂宗2

 茂宗は悠然と構えるが、いきなり凄いシュートで打ち返すので無く、これからじっくりと話を詰めていこうとするように軽く何度か頷いた。

「凡庸に見えてそのくせ狡猾に立ち回るすべを身に付けていると悟ったから娘婿に選んだ、いや娘が望んだ」

 エッ! といきなり調子抜けするこの前置きは何だと、兼見は深紗子を見たが、素知らぬ振りで彼の視線を葬りさった。

「望んだがその先は未知だ。恋とはそう謂うもんで、耀紅ようこがその喩えだ」

 娘の毅然とした態度に表現を改めたが、兼見はすかさずその言葉尻を捉えた。

「その耀紅さんがですが、卒業する半年前に知り合ったんですか」

「小さい地方都市の高校だから町で見かけても大抵は内の高校生だと解るよ」

「そうじゃなくて、あっ、その前に寺島結希乃さんはご存じですか」

耀紅ようこを知ってから解った、でも彼女は妹の輝紅てるこの存在は娘にも言ってないそうだなあ」

 ウッ? と深紗子さんを見ると彼女も頷いていた。

「てるこさんですか」

「それが単なる『てるこ』でなく、輝紅てること書くから、ぱっと手渡された紙切れの名前を見ても一瞬間違えそうになって最初は往生した」

耀紅ようこ輝紅てるこじゃあ無理も無い。耀紅ようこさんもそうですが、輝子てるこさんでなく輝紅てるこさん、全然違う名前なのに何でそんな良く似た字にしたんですか」

「矢張りお姉さんに合わせたんだろう」

「ねえ、お父さん、その姉妹の名前より、そのお姉さんの耀紅ようこさんの話を進めて欲しいの」

「まあ待て、あの頃は今みたいにこっそりと二人だけで連絡を取り合うのが大変な時代に、その相手の名前が見づらいのがどれほど苦労したか。その辺にも耀紅ようことの並々ならぬ思いがあったのだ」

 だからこの違いは避けて通れず、知ってもらいたかった。つまり本人からワクワクした気持ちで受け取れば本人確認は要らない。けれど寺島さん経由で来ることも偶にある。後は年賀状とかの公の挨拶状。此の時はこのよく似た名前は読み辛い。だから電話なら良いが手紙は紛らわしかった。ほとんどが手渡しなのも、そんな配慮が耀紅ようこにも働いていたんだ。

「寺島さんの話だと遅刻しそうなった耀紅ようこさんを学校まで送ったそうですね」

 これではこの人は率先して話す気はないのかと段取りを付けた。

「バイク通学の俺には校舎以外でクラス以外の者に会うのは体育際や文化祭その他の行事以外は滅多に会わない。少し見知っているだけで、それほど喋れるもんじゃ無い。彼女もそんな一人で、どうしたんだと訊くと、電車に乗り遅れると聞いて駅まで乗せてやった。一瞬、躊躇ちゅうちょしたが直ぐにお願いしますと言われて乗ったが、改札を抜ける前に電車は行って、とぼとぼと引き返してきた。今度は躊躇ためらわずに送って欲しいと頼まれたんだ」

 女の子をバイクに乗せたのはその日が初めてで、背中にしがみつかれたのも初めてだ。帰り道では、歩道の淵に居る彼女を見付けると、同時に向こうも手を降って手招きしているので止まった。乗るかと訊ねると、お喋りがしたいから駅まで一緒に歩いてと頼まれた。後で聞いたが、あの時に男の人の温もりを始めて感じたそうだ。その温もりがずっと持続して、大学の合格発表の頃には、更に二人の気持ちは高まった。

「問題はそれからだ。心が萎えたのでは無く、むしろその逆に二人の愛、気持ちは命の瀬戸際まで高まった」

 困難になるほどほとぼりが冷めるまで待てば良いが。十八の二人にそれはもう酷い仕打ちで益々のめり込んで行く。もがけばもがくほど愛は深くなり、こらえきれずに此処を離れようとした。

「安全な愛と危険な愛、熟成された愛と未成熟な愛、今二人が辿ろうとしているのは後者の方だ。もっと早くほかに気付ければ耀紅を失わなくて済んでいた」

「どうしてその時は一緒に行かなかったんですか?」

「濁流の中で川岸に渡ろうとすれば、まず一人が渡りきって安全を確かめてから迎えに行くだろう」

「それで耀紅さんを川岸にまたせたんですか」

「そこが一番安全な場所だっただけに、耀紅は余計な事を考えたんだ」

「余計なこと?」

「立場が違うんだ、俺はあの集落にとってなくてはならない人間だ」

「薪美志神社の後継者ってことなのね。でも聡さんが居るでしょう」

「弟は物心ものごころついた時からあの集落を出るように育てられたが、俺はその逆に、集落の守り神として長く続いた神社の後継者として意識付けられた。この重みは本人しか解らない。俺を愛するって事はその重みを共用して初めて解るからこそ代々受け継いでいけるのだ。それをそのまま素直に俺の迎えを待つ耀紅自身がその立場を考えれば、一緒には渡れないと気付いて濁流に身を投げた」

「別に落ち着いて考えればいずれ二人一緒にあの神社を支えられたのに……」

「十八で高校を卒業して世間と謂う大海を知らずに、その前途を悲観した耀紅が目の前の濁流を眺めて『もしあたしが此処で身を引けば茂宗さんはそのまま大学へ行き神職の資格が取れるのに』と思い詰めれば愚かな行為とは思えない」

 愛に殉ずるその行為は尊く美しい。だが芸術や自然のような不変の美しさとは違う。千差万別変幻自在な心が作り出す愛に不変があると思うか。歴史が時の流れに依って変えられるように美しい愛が、醜い憎しみに変わるのは一瞬だ。それを乗り越えるのはもう愛では無く忍耐力なんだ。耀紅の死で俺はそれを学んだ。

 順風満帆の船出より、敢えて夜明けを待たずに嵐の中で船出する。その愚かさの中から掴み取れと耀紅から暗に教えられたと思っている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る